君をこの手で壊してしまいたい(忍人×千尋)
俺が倒れたのはもう三日も前のことだった。
散々に魂を削り戦ってきた日々の報いを受けているという自覚はあるため、特に驚くようなことではない。
寧ろ今までよくもっている方だ。国が平安になった暁には死しても構わないと思っていたからか、まるで褒美と言わんばかりに与えられたこの余命を俺は持て余している。
死にたかったのかと問われれば否だ。生きてやりたいことは山のようにある。天寿を全うしてもなお時間が足りぬほどには。
それに、この豊葦原を統べる美しい王を守る軍を率いて、俺こそが彼女を守りたいという願いもある。
彼女を、豊葦原を。いや、それだけではない。
俺や彼女が没しても、永久にこの国を、彼女が慈しみ育てているこの国を、残していけるように。その礎を今築かなくてどうするのだ。


(……臥せってばかりいると取り留めのないことばかり頭に浮かぶ)

三日間、こんなことばかりを考えて日がな一日を過ごしている。
自分に残された時間はあとどれだけだろう。その間に何が為せるだろう。
俺はまだ、生きていられるのか。
その時が来たら彼女は泣くだろうか―――。

(…馬鹿馬鹿しい)

軽く頭を振ってくだらない妄執を振り払う。
何をどう考えたところで俺は間もなく死を迎えるだろうし、彼女はそんな俺の死を悼みながらもこの国を導いていくだろう。
考えるだけ無駄なことだ。
それよりも残された時間で出来ることを考えた方がずっとこの国のためにもなり、彼女のためにもなる。

溜息を一つ残し、俺は窓の外に目を遣った。
俺に似つかわしくない柔らかな花が風にそよいでいるのが見える。
兵舎からは見えるはずのない光景だが、ここは兵舎ではなく療養のため彼女が俺のために設えた小さな邸だ。
そんなものは不要だと固辞したけれど、部下や仲間たち、そして彼女が是非にと強引に建ててしまったのだ。

「誰もが貴方の快癒を願っているんですよ、忍人さん」

その言葉に、笑って頷いた同門の徒を思い出す。
臥せることが増えてきた俺に対する皆の気遣いをそれ以上無碍には出来ず、倒れるたびにここで療養をすることになった。
四季それぞれに咲く花を、どの窓からでも楽しめるように。
寝てばかりいる俺の目を、少しでも楽しませることが出来るように。
そして、他の人間の目から俺の弱った姿が見えないように―――この邸はそう配慮されている。

一際強い風に煽られて、花がさわりと横に揺れた。
あの花が散ればまた違う花が咲くだろう。
名も知らぬ花は目にも鮮やかで、俺はそっと目を細めた。
しかしどれだけ美しい花も類希なるあの金の色には及ばないだろう。
そう、今俺の視線の先で光を弾き揺れるあの―――、あの、金の髪。

「……陛下?」

思わず声が出た。
窓の外、この世界にたった一人しか持ち得ない、金の髪と蒼の瞳がある。

「忍人さん!」

ぱたぱたと走り寄るその姿は、夢でも幻でもない、この国の王の装束を身に纏う彼女だ。
重たげな装束も彼女が着ればまるで天の羽衣のごとく軽く見える。
衣を棚引かせ視界から消えた彼女は、ばたんと扉を勢いよく開けて室内へと入ってきた。
王になったというのに変わらない、彼女らしい元気の良さ。
咎めるように眉を寄せたが、そんな俺の表情には一切構うことなく彼女は俺の下へと駆け寄り、その尊い膝を俺のために折った。

「具合はどうですか?少し顔色はよくなっていますけど……」

敷布に手をつき、ぐっと俺に顔を近づける。
警戒心のまるでないその態度に呆れるよりも早く白い手が俺の額に触れた。

「熱は下がりましたね。よかった……倒れた時、高熱だったから心配だったんです」

ひやりとした手は長い間外にいたことを容易に想像することが出来る。
俺に会うためにここまで人目を忍んで駆けて来たのだろう。手の冷たさとは逆に、白く滑らかな頬はほんのりと赤く上気し、額には汗が浮かんでいた。
その姿に俺がどんな感情を抱いているのか、きっと彼女は考えたことすらないに違いない。

「……陛下、俺の心配は不要です。それより供もつけずに歩き回る陛下の方が心配なのですが」

やんわりと手を払い除け、ひたと彼女を見詰める。
俺の言葉に少しだけ傷ついた顔をした彼女は、それでも気丈に笑ってすみませんと謝罪を述べた。

「まとまった時間が取れたの、久しぶりで……つい浮かれちゃいました。でも行き先はちゃんと風早に言ってありますから、大丈夫です」
「知っていてなお供をつけないとは……」
「大丈夫って分かっているからだと思います。道中はちょっとだけ危ないかもしれないけど、ここにいれば忍人さんがいます」
「陛下、今の俺にそのような過信を抱かれては困ります」

そうだ。今の俺では有事の際に存分に剣を振るうことなど出来ないだろう。彼女に万が一のことがあったら、俺の命を使い果たしたとしても贖えない。
厳しい口調でそう言えば、彼女はそれに首を振った。ふわりと金の髪が広がる。場違いにも、その姿は目を奪われるほど美しかった。

「過信じゃありません。忍人さんの力は、ずっと見てきた私たちが一番知っています。それに、私たちが頑張って築いてきたこの国が、一人で忍人さんのお見舞いにすら来れないほど危険な場所だなんて思いたくないでしょう?」

そう言って笑う彼女は、やはりこの国の王なのだ。
仲間を信じ、国を信じ、民を信じ、そうしてここまでやってきた人だ。
敵わないな、と肩の力を抜く。
理屈は多少強引だったが、それが俺の知る「葦原千尋」という人だった。

「確かにそうかもしれないが、次からは供をつけてくれ。君のことだからどこで転ぶかも分からないからな」
「あ……」

口調を砕けさせた俺に、彼女が、千尋が嬉しそうに破顔する。

「はい!でも、転んだりしませんよ。私だって少しは王らしくなったんですから。この服だってちゃんと着こなせてるでしょう?ちょっと前までは着られてる感じでしたけど」

手を広げ、見てくれといわんばかりに立ち上がる。
随分と見慣れた王の装束は、確かに千尋が着ていても違和感を感じなくなった―――が。

「きゃっ!?」

立ち上がる際に長い裾を踏んでしまったのか、千尋の身体がぐらりと揺れる。

「千尋っ」

腕の中に飛び込むようにして倒れてきた身体を受け止めたが、衝撃を殺しきれずに千尋ごと敷布の上に倒れ込んだ。
俺の身体を下敷きにしているから千尋に怪我はないだろう。ほっと胸を撫で下ろす。
しかし安堵と同時に気付いたのは、千尋の身体がこれ以上はないほど近くにあるということ。
そして、俺の胸板に当たる、柔らかな千尋の胸。

「っ……!」
「い、た……忍人さん、ごめんなさい!大丈夫ですか?どこか怪我は…頭は打ってませんか?!」
「俺なら大丈夫だ、千尋、落ち着け」

密着したままの体勢で千尋が俺の後頭部を弄る。
繊細な指の腹が頭皮を擽り、髪を梳かす。まるで抱きかかえられて頭を撫でられているようだった。

「ここ、コブになってます。ごめんなさい……私のせいで」

指先が触れている場所は確かに痛かったが、それよりもなおどくどくと脈打つ心臓の鼓動の方が痛かった。
俺の気持ちに千尋が気付いているということはない。
だからこそ離れて欲しかった。俺が千尋を傷つけてしまう前に。

「明日には腫れも引く。千尋、退いてくれ」
「……あ、あの…っ。ごめんなさい!重かったですよね」

ぱっと飛びのいた千尋の、白く桃のようなまろい頬は赤く染まっていた。
恥らう姿は王ではなくただの郎女のようで、俺を見る目はどこか甘やかな色を孕んでいる。
齧れば甘い蜜が滴り落ちるのではないかと思うほど、頬も唇も綺麗に熟れていて―――。

「おしひとさん……?」

どくん、と警告するように心臓が跳ねる。

「あの、どうしたんですか?」

触れた頬は思っていた通りに柔らかく、指が軽く沈み込んだ。
どこもかしこも柔らかくて甘いのだろうか。

「……君は、」

頬に触れた手を振り払ってさえくれれば、俺はきっと正気に戻れただろう。
不敬を働く俺を罰してくれてもよかった。
なのに千尋は俺の手を厭うこともせず、大きな蒼目で俺を見詰め続けている。
俺が今から何をしようとしているのか、今までずっと千尋をどうしたいと思い続けていたのか、知らないまま。
無垢な瞳が、ゆっくりと瞬いた。

「君は、俺のことを、ただの将軍としてしか…見ていないのだろうな」
「…どういう意味ですか?」

首を傾げる動作に従い、金の髪がするりと撫でるように千尋の首筋を滑る。
その首筋に触れるのが千尋の髪ではなく、俺の指であったのなら。
そんなことが俺に許されているはずもないが。

「……千尋、君はもう帰れ。国の主が男と二人きりなどと人が聞けば誤解を招く」
「忍人さんと一緒にいて変な誤解なんてする人はいません」
「俺だって男だ。どうしてそう言い切れる?俺が君に無体を働くと思ったことはないのか」
「無体、って……そんなっ…あの、……」

俺が言わんとしている意味をようやく理解したのか、千尋は見る見るうちに身体を強張らせ、首筋まで赤く染め上げた。
頬に触れていたままだった手を髪を追うようにして首筋に下ろせば、赤味はますます濃くなるばかりだ。

「例え臥せっていたとしても、君よりは力がある。俺が君をたまらなく好いていて、思うだけでは飽き足らず、いっそのこと君をこの手で壊してしまいたいと欲に駆られ捻じ伏せたとしたらどうするつもりなんだ」
「忍人さん……」
「……君は国の王だ。立場を弁え、軽率な行動は慎んでくれ」

そっと手を離すと、体温を惜しむようにぎゅっと拳を握る。
視線を逸らし、全身で千尋を拒絶した俺に、千尋がきゅっと唇を食い縛ったような気配を感じた。

「………軽率なのは、忍人さんもです」

何を、と顔を向けた俺の視界を、金色が埋め尽くす。

「だって私は、私はっ……!私の方が、忍人さんをたまらなく好きなんだもの!」
「千尋、君は一体何を…」
「お願い、忍人さん。軽率だなんて言わないで。私はずっと、あなたのことが好きだったんです」

背中に小さな手を伸ばし、ぎゅっと縋るように抱きついてくる身体は小刻みに震えている。
耳元で聞こえる千尋の言葉はまるで夢のようで、俺が願って止まず―――けれど決して聞きたくなかった言葉だった。
この心の思うがままに千尋を好きだと、愛しいと思っていると告げることが出来たのなら、どれだけ良かっただろう。
だが俺には先がない。
俺の業に千尋を付き合わせるわけには絶対にいかなかった。

「……聞かなかったことにさせてくれ。俺は、……君をそんな風には思っていない」
「それでもいいの。私が勝手に好きになって、勝手に思い続けてるんです。おばあちゃんになっても、きっとずっとずっと好きなまま。私、こう見えても結構しつこいんです」

涙声で笑う千尋にどう応えてやればいいのだろう。
言ってしまおうか、それとも―――この気持ちは命尽きるまで一人抱えて逝くべきか。
震える背に右手を添える。
一層強く縋りついてくる千尋が、酷く愛しかった。

「千尋」

名を呼ぶだけでしくりと痛むこの胸は、千尋も同じなのだろうか。

「俺にはもう時間がない。それでも、君は俺を求めるのか」
「はい。私の命がある限り、ずっと」
「……そう、か」

細い肩を押し、身体を離す。
俺を見る蒼目はひたひたと濡れていて、今にも雫が零れ落ちそうになっていた。
眦に唇を当てるだけでそれは俺の唇と顎を伝ってぽたりと布を濡らす。
愛しい、俺の。
ただ一人の、ひと。

「ならば、俺は君のものだ。そして君も俺のものだ。命ある限り、この気持ちを君に捧げると誓おう」
「忍人さん……っ」
「千尋。……俺もずっと君を愛していた」

柔らかな頬を包み込むようにして、初めての口付けを交わす。
頬よりもずっと柔らかい千尋の唇。何度も触れたいと思っていたそれに、俺自身の唇で触れることになるとは思ってもいなかった。
俺の手と、唇が、千尋の涙に濡れる。
この先どれだけの時が俺に残されているのかは分からないが、最後の最後まで二度とこの味を知らないままでいられたらいいと思う。

強く掻き抱いた身体からは、窓の外にそよぐ甘い花の匂いがした。


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「君をこの手で壊してしまいたい」「君は俺のものだ」「あなたは私のことをただの将軍としてしか見ていないのでしょうね」
どれか一つでもということでしたが、全部入れたら色々アレになりました。
甘い話をとのことでしたが、甘くなくなってしまって本当に申し訳ありません…!


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