君にとって私はなんなの(桜智×帯刀)
桜智は欲のない男だ。

余程のことがなければ怒りもしないし、私に何かを望むこともない。
こうしてゆきくんの世界で二人で暮らすようになってもそれは変わらず、ただ平穏な毎日を淡々と送るだけ。
それが悪いことなのかと聞かれれば、きっといいことなのだろうとは思う。
波風の立たない暮らしは、元の世界にいた頃に思い描いていた素晴らしい生活だ。
何一つ不満のない、そんな満ち足りた中。
胸にはぽつんと何かの染みが出来たまま、一日一日を過ごしていた。


「ただいま」

面倒な接待を終えて帰宅した私を待っていたのは、ふんわりと笑う桜智だった。

「おかえりなさい、小松さん……今日は随分と飲んだのかい?」
「しばらくは酒を見たくないほどには飲んできたよ。飲める客というのは厄介なものだね」

鞄を桜智に預け、ふらふらと部屋に上がる。私も飲める方ではあるが、客の方が更にその上をいっていた。久しぶりにこんなにも酔った感覚を味わっている。吐く一歩手前くらいの、ぎりぎりの酩酊感だ。

「小松さん、あの……」

どさりとソファーに身を投げ出すようにして座ったところで桜智がおずおずと私の前に立った。鞄を手にしたまま、酷く困惑した表情で。
一体何が彼をこんな顔にさせているのだろう。飲んで帰ってくることなどよくある話で、今更気にするようなことでもない。それに、桜智は私をそんなことで咎めることは一切なかった。私が何をしようと、例え連絡もせずに一晩家を空けたところできっと怒ることもしないだろう。
感情が欠落しているというのに近く、無関心と等しいものだ。私のことを好きだと言うくせに、桜智は私に執着しようとしない。桜智が感情を剥き出しにするほど執着したのは後にも先にもゆきくんのことだけ。結局、私はゆきくんには及ばない。
そんなことを考え始めたら苛立ちが募ってしまい、嫉妬というわけでもなかったが乱暴にネクタイを緩めて桜智の呼びかけに無言で睨みつけた。私は新しい世界に旅立つことを願い、桜智はそんな私についてくることを願った。なのに桜智はただ私に追従するだけで何一つ私に望まない。ならばどうして私たちは同じ屋根の下で暮らしているのだろう。そんな必要が、一体どこにあるというのか。
そんな私の気持ちが視線に現れていたのか、桜智は私の顔を見下ろして悲しげに眉尻を下げた。

「水を、持ってくるよ……」

鞄を下ろし、逃げるように桜智が小走りにキッチンに向かう。
逃げるようにではない、逃げるためにだ。

「待ちなさい、桜智」

背中に声を掛けると、桜智は大袈裟なほどびくりとそれを震わせた。

「言いたいことがあるならきちんと言いなさい。何もないのなら、せめて表情くらいは繕うことだ。私の言っている意味、分かるね?」
「……」
「桜智。君にとって私はなんなの?そうやって逃げるだけの関係なの?」

ゆっくりと振り返る、その表情は実に冴えない。青褪めてすらいる桜智は、私の怒りに触れて今や雨の日の子猫のようにがたがたと震え出しそうになっていた。
そうやっていつまで怯えているつもりなのか。私と桜智の関係は、そんなものでしかなかったのか。主人の怒りを買った小姓でもあるまいに、と眼鏡を押し上げながら溜息を噛み殺す。

「……言いたいことがあるのでしょ?」

足を組み直し、深く背凭れに背中を預ける。喜怒哀楽の一部しか見せられないような関係は確かに表面上は平和かもしれない。
でもそれはあくまでも表面上だ。そんな関係ならば桜智を選ばずとも可憐な花々で事足りてしまう。なのにわざわざ桜智を選んだ意味を、この聡い男が気がつかない方が不思議でならない。

「小松さんの、」

ぎゅ、と胸元の服の布地を掴み、桜智が呻くように言の葉を紡ぐ。

「あなたの、その……身に纏う香りが、苦しくて」
「香り?酒の?」
「酒の臭いなら、気にとめたりしないよ。もっと……嫌な、白粉の……甘く、惑わすような……あなたを、私から連れ去る匂い……」
「……白粉?」

言われて初めて思い当たった。
今日の主賓がやり手の若い女社長だったことに。

「……美しい髪に、残る華の香り……。小松さん、残り香を部屋に連れ帰るほど、誰かの傍にいたのかい……?」

蒼い瞳に灯る、嫉妬の炎。
長く繊細な指がじりじりと私に近づいてくる。
ソファーの前に膝をつけた桜智の、その指が私の頬にそっと添えられた。
至近距離で見る蒼目は惑いを捨て真っ直ぐに私の目を覗き込んでいる。
震えているかと思いきや、桜智の指はしっかりと私の頬骨をなぞっていた。

「おう、ち」
「どうしたら、あなたは私だけ見てくれるのだろう……。この腕の中に閉じ込めて、誰の目にも触れないようにしたらいいのか、それとも……手足の自由を奪ってしまえばいいのか……」

する、とシャツに掛かっていただけのネクタイを引き抜き、桜智が静かに視線をそれに落とす。
桜智の手の中にあるそれは、私の首を彩るタイなどではなく、彼の武器である鞭のように見えた。

「こうすれば、あなたは私だけを愛してくれる……?」

衣擦れの音。しゅるしゅるとネクタイが私の手首を拘束するのを、私は黙って見つめていた。
桜智の心の闇とでも言うべき欲求。驚きは否めない。何でも許容し、いつでもにこやかにしているような男が、嫉妬に駆られ私を束縛しようとしている。
手首を縛り、動きを封じてどこにもいかないように、桜智だけを見るようにと。
そんな子供みたいなことをして、私を桜智の傍に置こうと必死になっている、それをどうして止められるだろう。

「……それが君の本心なの?」

戒められた手首がしくりと痛む。

「嫌いになったかい、小松さん」

つうっと首筋を撫で上げられ、喉の奥が鳴った。

「馬鹿だね。……言うのが遅い」
「……え?」
「今回はどうしても必要な接待だったけど、それ以外は花との食事は避けることにするよ。もしくは部下を同席させる。それから、今すぐ風呂の用意をしなさい。私もこの臭いには辟易してるんだ」
「……あ、あの…」
「他に君が嫌だと思っていることは?この際だから全部白状して。出来ることは善処してあげる。出来ないことは理由をちゃんと言うから。分かった?桜智」

こくり。
頷く桜智にやれやれと胸を撫で下ろす。
別に縛られることも、無体を働かれることもそれほど嫌だとは思わない。
相手が桜智である以上、そう傷つくようなことでもないからだ。
それよりも押し殺していた本音が聞けて良かったと思う。
もっと我儘になればいい。
私を望み、そうして私の傍で笑っていればいい。
応えると決めた以上、私だって気持ちを返すつもりでいるのだ。
一方的に桜智が私を好きなわけではなく、私だって桜智を充分に思っている。それを、桜智がちゃんと知ればいい。

「小松さん……その……」

おずおずと抱きしめてくる腕にほっとするのは、そういうことなのだと分かってくれる日はそう遠くないだろう。

「私以外、誰も……あなたの心に、生涯…住まわせないで……」

やっとのことで桜智が願ったことは至極当然で、ささやかで壮大なことだった。
ともに住んでもう短くはない。なのに今更、本当に今更な願いだ。
けれど私は「いいよ」とこの上なく軽く、けれど真意は重く返してみせた。


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リク内容
帯刀さん「君にとって私はなんなの」と桜智に言ってまじめに考察させてくだしあ

何か色々ずれた気がします。


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