ゴミ箱 | ナノ


▽ はじめて(りょましゅん)


力を入れすぎてぐぎぎ、という擬音が相応しい状態になったのは初めてだった。
歯を食い縛り、不自由な体勢で力を出しているからか、筋肉がぶるぶると震えている。
思い切り顎と肩を押し返しながら瞬はこめかみにくっきりと青筋を浮き上がらせた。

「いい加減、退けっ、龍馬!」
「いーやーだー!瞬こそ、いい加減諦めろって」
「諦めるのはお前の方だ!りょう、ま!」

迫り来るにやけ顔を寸でのところで押し戻し、力を入れすぎて目許を真っ赤にしたままで睨みつける。
マウントポジションを取られこれ以上逃げることすら出来ず、かといってこのままなし崩しにされてしまうのは納得がいかない。
布団の上の、柔らかな敷布の真ん中に寝転がって、さあいよいよというところでどうしてこんな思いをしなければならないのか。
瞬は羞恥と苛立ちと恐怖で頭と胸を一杯にしながら必死に龍馬の顎を上へ上へと押した。



本当は、覚悟した上で全てを受け入れようと思っていたのである。
江戸に残ったのも龍馬が乞い、瞬が望んだからだ。
初めて望み、初めて望まれた。
だから口には出さずとも瞬はこの男のためにこれからの生を尽くすことを誓っていた。
歪な関係だと人は言うだろう。
子も生せぬ間柄に何の価値があるのかと。
あの坂本龍馬もついに衆道に堕ちたかと笑われるかもしれない。
だが、それでもよかったのだ。
二人のことは二人が知っていて、分かっていればそれで充分だった。

しかし、今目の前にいる龍馬は、一体誰なのだろう。
欲望に駆り立てられ、ぎらぎらとした目で瞬を見下ろしているこの男は。
果たして、本当に瞬の知る龍馬なのだろうか。

欲しい、抱きたいと言われ、その気持ちに応えようと肯いたのは瞬だ。
懇願する龍馬の目には瞬を愛しく思う甘やかな色があり、それがくすぐったくも幸せに感じたのも、確かだった。
なのに瞬を組み敷く龍馬にはそんな優しい色が欠片も見当たらない。
ぞくり、と背筋を恐怖が走る。
温かかったものが急激に凍り付いてしまったかのような急変に、心も身体もついていかない。

「瞬、なあ、さっきはいいと言ってくれたろう」

攻防に疲れたのか龍馬の息は弾んでいた。
声音は瞬の知る龍馬のもので、態度とのギャップに心が軋む。

「……」

それを言われると言い返すことが難しく、瞬は口を引き結んだまま眉根を寄せた。
どう言えばこの気持ちが伝わるのか、口下手な瞬にはよく分からない。
龍馬が別人みたいだと正直に話したところで龍馬にしてみれは理解するのは難しいだろう。

「俺のことが、嫌になっちまったかい?」

黙り込んでいる瞬の耳に、どこか心許ない声が届く。
そろりと見上げた龍馬の目からはぎらぎらとした男の気配が嘘のように消えていた。

「…嫌いになど、なれるはずが、」

あるものか、と。
喉の奥に言葉を詰まらせて、瞬は上げ続けて痺れてしまった腕をようやく下ろした。
力を抜いても龍馬は先程のように無理やり迫ってきたりはしない。
瞬を窺う気遣いを見せ、恐る恐る瞬の髪を無骨な手で梳いてくるだけだった。

「……お前ではない、みたいだった」

ぽつ、とそれだけを告げ、瞬はまた押し黙る。
言葉に少年のような目を瞬かせた龍馬は、同じく黙って思考を巡らせた後、ぱかりと口を開いた。

「あー……すまん、つい、がっついちまったな。怖かったろう。すまん、瞬」

じわりと首許が赤くなっているのに気づき、瞬はふと菫の目を緩ませる。
今なら瞬のよく知る、あの龍馬だ。
温かな気持ちが身体中に満ちて強張っていた身体が自然体に戻っていく。
龍馬の手を取って頬に導き、龍馬、と心のままに名を呼んだ。
手のひらの厚い皮膚が瞬の柔らかな丸みを撫でる。
たまらなく、好きだと思った。

手のひらがやがて瞬の身体の稜線をなぞり出しても、もう怖いという気持ちはどこにもない。
初めて身体の奥で交わした熱は、まるで龍馬のようだと瞬は思う。

瞬の心の奥にも、身体の奥にも、この先ずっと龍馬の熱が宿っていくのだ。


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