【SS】夜々の解纜/天草シオン



名を呼ばれた気がした。
ゆっくりと目を開ける。シーツの中で首を傾け、隣に向けた。
「……シオンさん……?」
私がうとうとと呟けば、暗闇の中にボンヤリと横たわる白い肌、その瞼が開いた。
妖しげな色をする瞳と目が合った。私は眠気により、何度かゆっくり瞬きをする。
「どうかしました……? 何だか呼ばれた気がして……」
私は途中で、喉の奥から込み上げた欠伸を吐き出した。部屋の中は暗かった。カーテンの隙間からの光も、まだ無い。
「闇が……」
耳に届く独特な声色に、私はゆっくり隣へ目を向ける。
シオンさんは眉を中央へハの字に寄せ、ギュッと瞳を閉じた。天井に向かって、小さな口から息を吸う。
「深き闇が我を覆い、星々の光を消し去った……手を伸ばせど届かず……天草の世界はまた、光の届かぬ深淵に回帰する……」
眉間に苦しく力が込もる。シオンさんの口からは、震えたような吐息が一つ吐き出された。
「……シオンさん、」
呼んで、私はシーツの中で体の向きを変える。隣のシオンさんに向き合う体勢を取って、手を伸ばした。
その柔らかな髪を撫でるように触れると、シオンさんの目がこちらを見て見開かれる。
「…………」
口を開けたまま固まっているシオンさんに、私は少し笑って見せて頭を撫でた。
「夢を、見たんですか……?」
撫でたまま問い掛ければ、シオンさんは見開いていた目をゆっくりと戻した。そして、揺れた瞳を無理矢理瞼で閉じる。
「たかが夢……されど我には、そなたやHE★VENSの居ない世界は、どれだけ刹那であろうと耐えられぬ」
シオンさんが首を振るように動かす度、白いシーツの上は音が鳴った。
「運命を憂きただ蹲っているだけでは何も得られぬのはわかっている……だが手を伸ばすより、声を発するより速く、暗闇は我の世界を覆い目の前を閉ざしてゆく。道標みちしるべも無き常闇では、歩き出す勇気も持てぬ……」
シオンさんの震えた声だけが、暗い部屋の中に響いていた。
私はシオンさんの呻吟する横顔を眺めていた。
シオンさんはよく夢を見るようだった。それも、彼のネガティヴな思考も関係しているのか、どうやら悪夢が多い。
私はあまり夢を見ないので、その気持ちに一緒に寄り添うことは出来そうにない。
私はなるべく優しくシオンさんの頭を撫でる。
シオンさんは繊細であるから、夢にもこれほど苦しむ。だとすれば、その悪夢はどうか私に見せてくれないだろうか。
そう今までも幾度か思った。獏のように彼の夢を……いや。
「そうだ、こうしましょう」
私が突然声を上げたからか、シオンさんが少し肩を揺らした。
私は自分の閃きにすっかり目が覚めて、シオンさんに笑いかける。
ギュッとシーツの中で手を握ったら、シオンさんの吊り目気味の目が、見たことのないくらい丸く見開かれた。
「こうしてずっと手を握ってます。だから、」
頭の中には、HE★VENSの音楽が響いていた。
「暗闇の中でも、恐れず進んでください。きっと私が手を引っ張って、この世界へ連れ戻しますから……。ほら、朝が必ず来るってわかってるから、夜のもっともっと深遠へ沈めると思いませんか?」
そう考えると、悪夢も胸が膨らむ大冒険へ変わらないだろうか。命綱無しの綱渡りは、誰だって恐ろしい。
「……つまりそれは……天草が呼べば、そなたはいつでも我の傍へ駆けつけてくれるということか」
シオンさんは目を見開いたまま、そう問う。
「もちろんですよ」
私が返すと、シオンさんは一度瞬きをして、それからふっと瞼を閉じた。
「あ、そういえばシオンさん、さっき私のこと呼んでくれてましたよね。あれ……」
言いかけたところで、握っていた手をギュッと握り返された。
ベッドの軋む音がする。
瞳を閉じた顔が、近づく。
ギ、と音が鳴って、シオンさんの頭は私の枕へ着地した。首筋にシオンさんのフワフワな髪が当たる。
「今宵は……安心して眠れそうだ……。そなたの言うように、夜々の冒険へ……出掛けるとしよう……」
うつらうつらと徐な声だった。
やがて体の力が抜けたように肩が下がり、寝息が聞こえ始めた。
胸の中で聞こえる穏やかな呼吸を見つめながら、そういえば今日は朝からロケで、疲れていたんだろうなと思い返す。
「…………」
シオンさんの呼吸に合わせて、首元をくすぐる髪の毛が、触れたり離れたり。
……キスされるのかと思った。
シオンさんの寝息を傍で聞きながら、私は少し鼻の頭に皺を寄せる。
不意に、ヴァンさんの顔を思い出した。
シオンさんが、体力を使い切ったり、悪夢を見たりすると、一緒にベッドに入る事がよくあると話の流れで話した。ヴァンさんは、『それで何にもあらへんって! ピュアも行き過ぎて心配やわ!』と大声で叫んだ。
シオンさんは、確かにそういう事に疎いところがある。
私は期待しないわけじゃないが、でも、この時間が意外と気に入っていたりする。
世が明ける前のこの時間帯に聞く、シオンさんの夢の話。その瞬間、全てはシオンさんのテリトリーという感じがする。どこか浮世離れしたシオンさんの見る世界に、2人で共に居るような気分になる。
シーツの中の手は握られたまま。
ふ、と笑えば、肩の力が抜けて、そのまま夢の世界へ真っ逆さまに。

名前を呼ばれた気がした。
半睡から段々と覚醒していく意識は、まずけたたましく鳴り響く音を拾う。
ハッ、と目を開ければ、目の前に別の瞳があった。
「うわあっ!」
思わず飛び起きれば、手をついたシーツがズルリと滑った感覚があった。声を上げるより早く、体に浮遊感が来る。
「痛……」
フローリングの床に背中を打ち付けて、顔をしかめて天井を仰ぐ。
その視界にひょいと姿が割って入る。
「大丈夫か名前……天草が突然声を掛けたせいか……」
「違います違います! 大丈夫ですから」
悔いるように顔を歪めだしたシオンさんに慌てて笑って、体を起こす。
立ち上がって、ベッド脇のサイドテーブルに置いた携帯を取る。鳴り響くアラームを止めた。振り返る。
「すみませんシオンさん、目覚ましで起こしちゃいました?」
シオンさんはパジャマのまま、ベッドに腰掛けている。携帯の時間表示は『5:31』。
「いや……そなたの我を呼ぶ声で目覚めた」
シオンさんの言葉に、私は動きを止める。不自然な汗が背中を一筋滑った。
「え、え? そうですか? 呼んだかな私……聞き違いじゃないですか?」
「『聞き違い』……そうか……そなたが呼ぶ声で目が覚め、天草は嬉しかったが、勘違いだったのか……」
シオンさんが視線を落として眉を下げるから、私は慌てて口を開いた。
「いやっ、やっぱり呼んだかもしれない! そんな気がします!」
言うと、シオンさんの顔がパッと明るくなる。
私は顔を歪めて、あはは……と無理に笑った。
「天草の名を呼んだと言うことは、」
シオンさんが口を開く。部屋のカーテンの隙間からは、薄い光が微かに漏れていた。
「そなたの夢の中に、天草が存在したということか」
シオンさんの言葉に私は体を硬直させる。シオンさんは珍しく頬を緩めて、柔らかに瞼を閉じる。
「ああ……これ程嬉しいことはない……。天草の夢にもそなたが居た。やはり天草とそなたは魂の通じ合う存在……夢の中でも共に愛を確かめられるとは」
シオンさんは胸に手を当て天を仰ぐように言い放った。
「? どうかしたか名前……」
ぱちっと目が合う。私の名が、その唇から……。
「いっ、いいえ!? 何でも! ていうか準備、しなきゃ!」
必要以上の声量で言い、私はバタバタと部屋を出た。
午後になって、事務所の廊下でヴァンさんとすれ違った。
当然すれ違うだけで終わるはずはなく、ヴァンさんは挨拶を済ますと次いで口を開く。
「ちゅーか、シオンが何かしてもうたかもー言うて、えらい落ち込んどったで?」
「え?」
あ、と今朝の事を思い出す。
「すみません……私が悪いんです……。ちょっと素っ気ない態度とっちゃって……」
「素っ気ない態度? 2人の喧嘩なんて想像出来へんし……なんや、欲求不満でシオンとの色事、夢に見てもうて気まずいとか?」
ヴァンさんの冗談交じりの笑い声に、私は思わず目を見開いて口をあんぐり開けた。
「え……? ちょお待って、当ててもうた?」
ハッと我に返る。
「ちが、ちちちが、違います!」
「いやめっちゃ噛んどるやん、わかりやす!」
ヴァンさんはツッコんでから、楽しそうに腕を組んだ。
「なんや心配する事あらへんかったな〜ほっといても2人進展しそうやん」
うんうんとまるで父親気分で頷くヴァンさんに私は違うと叫ぶ。
「あれ、ヴァンと苗字さん? 2人ともどうしたの?」
「おっえーじちゃんええとこに! 実はな……」
「うわー!」
私達の様子に瑛二さんは目をパチクリさせる。状況を読み取ろうとしているのか、私達の無駄な掛け合いを最後まで真剣な顔で聞いてくれていた。
違う、違う。確かにシオンさんに求めてもらえたならば嬉しいけれど、私はあの時間が確かに大切なんだ。
距離がもっと近づくような、2人だけの時間が。
その晩、シーツの上でシオンさんに押し倒された。
絶対にヴァンさんの入れ知恵だ。


Fin
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