【SS】四つの瞠目/日向大和



「よっし、こんなとこだろ」
大和さんが公園のベンチの前で足を止める。
私は肩で息をして、膝に手をついた。
大和さんが中央の時計を見上げて、口を開く。
「先週に比べりゃ大分速くなったぜ? よく頑張ったな」
大きな手が頭に置かれ、わしゃわしゃと撫でられる。
私は息を切らしたまま、高いところにある顔を見上げる。頬を緩めた。
柱の時計は4時半を指している。辺りはまだ薄暗く、公園にはもちろん人気ひとけはない。
私は肩に掛けていたタオルで汗を拭った。
「ほら。水分補給はしっかり、だろ?」
頬に冷たい感覚がして、見ると大和さんがペットボトルを差し出していた。いつか私が言った台詞だ。
「……はい、ありがとうございます」
私は笑って受け取り、ベンチに腰を下ろした。
数週間前から、大和さんの早朝ランニングに付き合わせてもらっている。
だが流石に2時間も3時間も走るのは不可能なので、冒頭の30分間程度、大和さんのウォームアップのコースだけ参加している。
大和さんにとってはウォームアップにすらなっているのか疑わしいペースではあるが、何とか毎日続いている。
「だいぶ慣れてきたか? 最初の頃よりは息も上がってねぇ気がするが」
「そうですね。始めの頃はもう、倒れる寸前って感じでした……そう考えると随分体力が付いたのかも」
「倒れる寸前っつーか倒れてたな、初日は。まあおれがお前のペースが掴めなかったってのもある。お前はぶっ倒れるまで何も言わねえからな」
呆れたように笑う大和さんに、私はあはは……と苦笑いを返す。そもそもこうしてランニングを始めたのも、仕事を詰め込みすぎて倒れてしまった私へ、大和さんが提案したのが始まりだった。
「でも、本当に役立ってます。朝早く起きなきゃいけないし、疲れてるから夜はすぐに眠れるし、生活リズムが自然に整います。それに、肩凝りも全然なくなって!」
「おおそりゃいいな。よく食べてよく動いてよく寝る、それさえ出来てりゃ何だって出来る!」
大和さんはそう言って、また私の頭をわしゃわしゃ撫でた。
大和さんは弟がいるらしい。こういう仕草をされると、自分に兄がいたらこんな感じなのだろうかと思ったりする。
「あ、」
私は自分の足元を見て声を上げる。
ニワトリのシルエットがランニングシューズの先に映っていた。時計塔の上に取り付けられている風見鶏の影だ。時計塔はずっと向こうにあった気がする。
顔を上げると、赤く強い光が射し込んだ。
「日の出だ……」
公園のフェンスに沿って植えられたイチョウの木の隙間から、真っ赤な色が見えている。空は段々と白んでいく。
「ん? おお、もうそんな時間か。夏は太陽が昇るのが早え」
「ですね……綺麗……」
天を仰ぎながら、呟いた。
「『綺麗』……? よくわかんねぇな……」
声に視線を向けると、大和さんは空を仰ぎながら眉を歪めていた。
まるで教科書でも見るような顔だ。
「綺麗じゃないですか? なんていうか……グラデーション……色の混ざり合った感じっていうか……。それに、夜が明けたっていう感慨深さ……えっと、新しい世界! みたいな……」
大和さんに伝わるようにと、言葉を探しながら口にする。
が、大和さんはますますこんがらがったように眉を歪める。
「色……世界……。わかんねえ、毎日来るもんだろ?」
大和さんが首を傾げて言う。私は目を見開く。
「確かに、そうですね……」
言われてみればそうだ。毎日見られるのに、どうしてこんなに感慨深い気持ちになるんだろう。
私は首をひねって考え込む。
「まあでも、」
不意に笑い声と共に声がした。
大和さんが明るくなっていく空を見上げている。その横顔を生きた光が照らす。
「難しいことはよくわかんねぇけど、おまえが言うなら、悪くねぇ気がしてくるな」
大和さんは、天に向かって笑いかけた。
太陽は動き、もうイチョウの木を越えている。
「……そういう、ものですか?」
私は横顔を見たまま呟いた。
「おう。おまえがいいっつーといいと思えてくる。まあ、わけわかんねぇのもあるが……この前の本は、マジでわけわかんなかったな」
『本』と大和さんは一口に言うので、私は小説か楽譜か教本か……と頭の中を巡らせる。
「おれとおまえはよ、」
思考の途中で声がした。私は考えを留めて顔を上げる。
「お世辞にも似てるとは言えねぇ。むしろ真逆みたいなところがある」
大和さんは、天を明るく染める太陽を見ている。それに向かって笑う。
「けどよ、だからこそおまえと居ると世界が広がる気がする。おれは、おまえと居る時間が好きだぜ」
大和さんはそう言って、視線を私に戻した。
白い空をバックに堂々と立つ大きなその姿を、私は暫く見ていた。
「は……はい……」
大和さんが腰を曲げて首を傾げる。
「ん? おまえ顔赤くねぇか? 調子悪いなら言えよ」
ずいっと覗き込むように顔が近づく。大和さんの案外長い睫毛が見えた。
「いっ、いいえ! 大丈夫です」
「そうか?」
大和さんは片眉を上げて暫く私を観察した後、姿勢を戻した。
コン、と額に大きな手の甲が触れる。
「しばらく休んでろよ。おれはもうひとっ走りしてくるからな」
はい、と顎を引いて答えれば、額の手が離れて代わりに笑った顔が見えた。
「水分しっかり取って、日陰に居ろよ」と言い置いて、大和さんはランニングを始めた。あっという間に見えなくなる。
私はベンチに座ったまま、天を見上げた。その色はもう青い。
雀の鳴き声が、朝の空気を連れてくる。


私は三度目の顔を上げた。
ノートを膝に置きシャーペンを握ったまま、視線を右へ左へ動かす。
「あ、あのっ」
立ち上がって放った一言は、イメージとは程遠く弱々しかった。
「そういうのは、良くないと思います」
隣のベンチにたむろしていた夏服の学生服へ、向かい合った。
「は? 誰?」
1人が仲間に向かって問う。仲間らしき2人が知らないと首を振った。
半袖のシャツから覗くのはまだ華奢な腕。中学生と見れる。
「お金が無くても人から盗ったら犯罪ですよ」
横柄な態度でベンチに腰掛ける3人に挟まれるように、スクールバッグをギュッと抱えた同じ制服姿の男子がいた。
1人がベンチから立ち上がった。私へ一歩距離を詰める。
私は思わず、地面に映る彼の影を凝視した。
背が高い。私の頭など優に超えたところに顔がある。
「俺らがカツアゲしてるって言いたいんですか? コイツが貸してくれるって言うんで、借りるだけですけど?」
長い影は私に届く日光を遮ると、この全身を簡単に覆った。
私は唇を噛んで、バッと顔を上げる。
つもりだったが、不意に視界に映り込んだ一回り大きな影。
顔を上げると、もう拳を後ろへ引いていた。
「待って待って大和さん!!」
顔が青ざめた。
中学生の傍を通り抜け、背後の大和さんへ飛びついた。
「おい何すんだ邪魔だろうが」
「違います待ってください暴力は駄目です!」
大和さんの厚みのある胴回りに、抱きつきながら必死に叫ぶ。
が、私の全力は大和さんの前では微力に過ぎない。片手で肩を押し退け私を引き剥がすと、突っ立っていた中学生の前に出た。
大和さんを見上げる中学生の顔が、どんどん白くなっていく。
「こいつに手ぇ出すってんなら、おれが相手になる。ほら、かかってこいよ」
大和さんの低い声を聞いた。
中学生は一歩後退り、背を向けたと思えばダッと駆け出した。砂を踏む音がして振り向くと、ベンチにいた2人も慌てたように立ち上がって走っていった。
被害者の中学生も同じように逃げていった。
フー……と長く息を吐く音が聞こえた。
「……大和さん、」
呟けば、大きな背中から顔だけが振り返る。
眉を上げて、半目にした眼が私を見た。
「あ……」
「『あ』?」
私の声を大和さんが繰り返した。
「アイドル出来なくなったらどうするんですか! 暴力は絶対駄目です!!」
普段の数倍もの声が出た。
大和さんが顔を歪める、片眉を上げる、口をへの字に曲げる。
ビシッ、とデコピンをされた。
「おれの心配の前に、する事があんだろ……」


「はあ!? おまえから絡んだのかよ」
経緯を説明すると、大和さんはそう声を上げた。
「バカじゃねぇのか……おまえ……バカじゃねぇのか」
他に思いつかなかったのか二回同じ言葉を繰り返して、ベンチに座った大和さんは項垂れるように片手を額についた。
「おまえそんな危なっかしいことする奴だったか? 中坊とはいえ、力では女は男には敵わねぇんだからよ」
はい……と口では素直に受け止めながら、私は視線を逆へ逸らす。まさか、大和さんの出演する特撮映画に感化されたなんて言えない。
「心配を掛けたことは謝ります、馬鹿なことをした自覚もあります……。でも、本当に暴力行使はやめてください。大和さんがアイドルを続けられなくなったら、私……」
大和さんがアスリート並みの身体能力を持つのを知っている。喧嘩で負けない事も。だから今更身の心配なんてしないが、けれどアイドルは評判商売な所がある。大和さんがどんな人なのか、私だけが知っていたって意味がない世界だ。
「ほんとに殴るわけねぇだろ。一発見せてビビらせようと思っただけだ」
大和さんが、顔を歪めて言う。
「それでも、有ること無いこと噂になりますから……」
「わかってる、つうかおまえが危なっかしいことしなけりゃこうはならねぇ」
「それは…………」
私は言葉に詰まる。
大和さんから視線を外すと、視界は地面の影を映した。
もし、大和さんがあの時本気で喧嘩を始めてしまっていたら? 大和さんがそうするのは、私が、身の程を弁えずに馬鹿なことをしたからだ。
「…………」
見開いた視界は、影の輪郭をぼやかした。
「……すみませんでした……」
「あ? まあ、わかりゃいいけどよ」
大和さんはそう言うと、膝に手をついてベンチを立った。
「ほら」
声に俯いていた顔を上げる。
見上げた先には大和さんの手の平があった。体の前で構えるように、こちらに向けられている。
「…………」
何だろうかと私は暫く固まった。
「パンチ、打ってみろよ」
「え?」と私は聞き返したが、大和さんはそれ以上何も言わない。
私は大和さんの顔と手の平を順に見てから、利き手に拳を握ってみる。
パンチを繰り出してみれば、小さく音が鳴った。大和さんが自分の手の平を見る。
「こんなんじゃ中坊どころか、小学生だって倒せねぇ。精々シオンを倒せるってくらいだな」
シオンさんは中学生でも小学生でもないような? と私は余計なハテナを思考内に追加する。
「鍛えるなら手伝ってやる。弱音上げずについて来れるならな」
目を見開いて、その高い所にある顔を見上げた。朝日が強い光で照らす。
「……はい。お願いします」
その光に導かれるように立ち上がれば、大和さんの力強い笑みが見えた。


「なんや最近、一段と仲ええなあ。トレーニングまで一緒にしとるんやろ?」
レッスンの休憩中、逆さのヴァンが飲み物片手に話してくる。
「あ? 名前か? まあそうだな。あいつは弱音吐かねぇから鍛え甲斐がある。それに、頭を使うとこはおれにないところだからな、見てて中々面白いぜ」
「『鍛え甲斐』て……ふたりって付き合うとんのやんな……?」
「当たり前だろ。しつこく聞いといて今更か?」
ヴァンが顔を歪めておれを見てくる。
「なんや……名前ちゃんが可哀想になってきたわ」
「無理やりやらせてるわけじゃねぇよ」
逆さまのヴァンの向こうに、逆さまのナギの姿が見える。
「守るのも守られるだけってのも性に合わねぇ。そんなんで最強になれるとも思わねぇ」
「まあふたりがええんやったらええけど……名前ちゃん女の子やし、怪我させへんようにな」
「大和ー」
逆さまのナギが呼ぶ声がした。
上げていた脚を下ろして、足の裏で地面に立つ。
「お疲れ様です」
と、入口の方で声がした。
「おっ名前ちゃーん、どないし……」
ヴァンの肩を掴んで後ろへ押し退ける。軟弱なヴァンが声を上げてよろける。
「あ、大和さん。これ今朝忘れていきませんでした?」
「おお、どうりでねぇと思った」


「アレ絶対無意識っちゃうな!? タチ悪っ!」
「今に始まったことじゃないでしょ? ていうかボク呼んだんだけど」


Fin
prev next
back top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -