【SS】落掌する星彩/皇綺羅



「うわあ」
思わず声を上げた。
見上げた夜空には、数多の星々が輝いていた。
「凄い……キラキラだ……都内にこんなに綺麗に見える所があったんですね」
隣に顔を向けると、その横顔も同じように空を仰いでいた。口が開く。
「ああ……。……寿……さんから……教えて……もらった……」
吐息とともに、ゆっくりと紡がれる言葉。
それは、心地よく鼓膜を振動させ、体内へと溶けるような。
私は細めた目を空へと戻して、また星を見上げた。確かに、寿嶺二さんならこういった穴場、詳しそうだ。
「そうなんですね。本当に綺麗……」
電車を乗り継いで降りたのは、海沿いの駅だった。街灯の明かりは点々とし、都会の明かりは遠くに見える。
真っ暗な藍に浮かぶ無数の星と、微かな波の音。
コンクリートの防波堤を前に二人並んでいるから、きっと目下には海が見える。けれど夜の闇に紛れて、空も海も一枚の藍色のキャンバスだ。
その音も香りもある絵画を仰ぎながら、口を開く。
「綺羅さんの名前って……星みたいですよね。キラキラって感じで」
星空から少し視線を動かす。高い場所にある隣の顔を見た。
端整な横顔は、暫くそのまま星を見上げていた。そしてゆっくりと、その顔立ちは変えずに口だけ開く。
「……皇……キラキラ……」
言葉が漂い、波に消える。
静寂へ、口を開く吐息の音がした。視線がこちらへ向く。
「……笑うなら……笑った方が……いい……。可笑しな……顔に……なっている……」
「う、ごめんなさっ……ふふっ……」
私は思わず吹き出して笑った。綺羅さんって、その整った顔の、色一つ変えずに可笑しな事を言う。
笑いのツボを脱するまで暫く笑っていると、不意に微かな息遣いが聞こえた。
隣を見ると、綺羅さんが口元に手を持っていっていた。広角が緩んでいる。
「……あははっ、自分で言って笑うんですか?」
綺羅さんが微笑むところは珍しく、見られるとなんだか嬉しくなる。
「いや……」
綺羅さんはそうこぼすと、口元から手を離した。
そうして私に視線を向けて、柔らかく目を細めた。
「お前が……笑っているのが……嬉しい……」
私が目を見開くと、綺羅さんの下瞼がまた少し上がった気がした。
私は反射的に視線を逸らす。そして、口をつくように「いや、」と溢した。
「私の笑った顔なんてそんな良いものでは……ありふれたものだし……綺羅さんの笑顔はほら、凄く珍しいから、」
「いや、」
と、今度は綺羅さんが呟いた。綺羅さんの静かな言葉を聞き逃さぬようにと、私はいつもの癖でつい口を閉じる。
綺羅さんを見上げていたら、目が合った。
「笑顔と……一口に言っても…………一度として同じ物は……ない……。お前の……些細な表情も…………全てが……俺には…………宝物のように……煌めいて……見えている……」
綺羅さんが言い終える。
そして、ふ、と軽い吐息と共に、柔らかな笑みをこちらに向けた。
「…………き、綺羅さん今日は、沢山話して、くれますね……」
しどろもどろな調子で言えば、稀有なことに間髪入れずに返事が。
「お前と二人きりが、嬉しくて」
ビクッと肩が跳ねてしまう。
誤魔化す為に何か話そうと顔を上げる。
すぐそこに爍爍しゃくしゃくと光った瞳があった。
私は目を見開き、けれどもそれだけで固まる。
この瞳に見つめられると、いつだって動けない。
まるで互い以外の全ての存在が無いような錯覚に惑う。静寂と、情熱が混沌としたその不思議な色に、いつまでも魅入る事が出来る。
「…………そのまま……じっと……していろ……」
気息を混ぜて紡がれる音。すぐそばで、この鼓膜を震わせる。
ゆっくりと瞳が近づく。
その速度に合わせるように、私は瞼を閉じた。
髪に触れられた感覚があった。
私は片目を開ける。
綺羅さんの目線は、私の頭頂部に向いていた。
分け目の辺りに指先が触れる感じがして、視界に髪の束が一房通った。
「……髪が……乱れていた……これで……いい……」
綺羅さんが満足そうに頷く様を、私はポカンと口を開けて見ていた。
「どうか……したか……?」
綺羅さんは口角を上げ、コテンと左に首を傾げた。
私は目を見張る。
か、からかわれてる。
顔面が帯びていく熱を自覚する。何か言おうとして口を開き、けれども瞼を閉じてしまった恥ずかしさの方が勝り、食いしばるように唇を引きむすんだ。
綺羅さんって、こういう事するんだ……!
ふ、と吐息のような笑い声がした。
頬に手の平が触れ、顔が持ち上げられた。リップ音がした。
チュ、と軽いその音と共に、瞼を閉じた端整な顔立ちを見た。
大きな片手の平は私の頬を包んだままで、顔だけが離れていく。
私は暫く固まっていた。その私に唇はもう一度だけ触れた。
離れていく顔をただ見上げる。綺羅さんの前髪が、海風に軽く揺れるのを見た。
頬の手の平が、ゆっくりと撫でるように動く。
衣服の擦れる微かな音がして、腰に手が添えられる。
その手はグッと力のまま私を引き寄せた。
左右の手のギャップに驚き、体が強張る。
「き、綺羅さん……あの……」
頬の手が、私の顔を引き上げる。
ジッと見つめる綺羅さんの眼。
私は声を失い、ただその眼を見返した。
綺羅さんは暫くの間、その視線を私の瞳に注いでいた。
ふと、瞼が閉じる。凛々しく形取る眉が、緩んだ。
再び開いた瞳は、星空の光が反射してか、眩しく、輝き。
「あっ」
私は思わず叫んだ。綺羅さんが瞬きをする。
「今、流れ星! 流れた気がする」
綺羅さんの頭越しに一瞬、光の筋が見えた気がしたのだった。
綺羅さんが私の体から手を離し、後ろを振り返る。暫く星空を見上げて、徐に口を開いた。
「みずがめざ……流星群の……時期だと……寿さんが……言っていた……。運が良ければ……観られるかも……しれないね、と……」
「本当ですか! じゃあ今の本当に……!」
私はもう一度空を見上げる。流星なんて生まれて初めて見た。本当に見られるものなんだ。
「もう一回流れないかな……願い事する余裕がなかったし、綺羅さんだって見れてないし……」
「願い事は、」
声がして、私は思わず空から視線を移す。綺羅さんの横顔は天を見上げていたが、少し眉が歪んでいる。
「……お前の願いは……俺が全て……叶える……。他のものは……必要ない……」
息を最後に吐き出して、瞼を閉じる。
その横顔に、私は目を細めた。
眩しくて、ああ何よりも。
私は息を出して少し笑った。綺羅さんの視線がこちらへ下がる。
「……笑う……ところじゃ……ない……」
「あはは」
笑う私を、綺羅さんは少し不服そうに見つめてくる。私は暫く笑い、それから、静かに息を吐いた。
「ありがとう、ございます……」
胸に手を当て、ギュッと握りしめる。
「でも、綺羅さんにも見て欲しかったな、流れ星」
パッと顔を上げれば、綺羅さんは横目で私を見た。
「それも……必要ない……。俺はお前が……この手の中にあることで……満たされて……いる……。煌めく……ような……お前の……姿が…………全て……この手の中にある……幸福……。……この幸せに比べれば……どんなことも……些細な……こと……。俺は……お前が……いれば……いい」
見開いた目の、涙膜は、キラキラと海面のように揺らいだのではないかと思う。
綺羅さんは私を見る。私は顔を下げて、瞼を閉じた。
一つ一つゆっくりと選んだ言霊は、胸の奥の深い部分まで溶ける。心の真っ白な部分にまで、届く。
「ありがとう……ございます……」
瞼を開いて、息を吸い込む。顔を上げると、眩しいその姿が見えた。
流れ星より、どんな星より、キラキラに、眩しい。
私は綺羅さんの左手を掴む。心臓の前へ持って行って、全てを込めて両手で握りしめた。
綺羅さんの表情が緩む。瞼が閉じられる。
額に触れた手が、私の前髪を掻きあげた。そっと、柔らかな感触があった。
終電に乗って、事務所寮までの帰路を辿る。
電車の中で、今度は水族館に二人で行きたいと、綺羅さんは笑って話した。



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