【SS】秘密の花園/鳳瑛二



カラカラと掃き出し窓を開けると、降雨の調べが耳に届いた。
「あ、苗字さん」
ベランダにしゃがんでいた背中が、振り向いて微笑んだ。
「いらっしゃい。兄さんには無事渡せた?」
事務所の寮。瑛一さんに頼まれていた資料を届けにやって来た。
「はい。ついでにケーキを買ってきたんですけど、食べますか?」
「わあ、ありがとう。じゃあこれだけ終わらせるよ」
瑛二さんは一度、窓越しに部屋の中を見てから言った。共有リビングにはメンバーの皆が集い、フォーク片手にテレビを観ている。
私はカラカラと窓を閉じた。瑛二さんの隣にしゃがむ。
ツアー明けでHE★VENSの皆は今日一日オフだ。だが生憎この天気なので、どこにも出かけられない。そうナギさんが口を尖らせていた。
瑛二さんの手元にはハサミとボウル、植木鉢があった。軍手をはめた手は一つ穂を取り、その横顔は目を細めた柔らかなもの。
「これは何をしてるんですか」
「挿し木って言ってね、株を増やすための作業なんだ。これはレモングラスなんだけど、この前ハーブティーにしたら皆んな気に入ってくれて、もっと増やそうかなって」
ボウルに張った水に、穂が何本か浸されている。それを水から上げ、切り口をハサミで整える。
「そっちはローズマリーだよ。料理なんかにも使えるし、花も咲くんだ。これは紫色の花が咲く種類。すごく綺麗だよ」
シュ、と微かなハサミの音が響いたと思ったら、手の動きが止まる。
顔を上げると、瑛二さんの瞳がこちらに向いていた。
「ゴメンっ、こんな話退屈だよね! 俺自分のことばっかで……」
瑛二さんは後頭部に手を当て、首を捻りはじめた。
「えっと、うーん……雨! 止まないね!」
急に顔を上げて言った。
パッチリとふたり目が合う。
「そ、そうですね」
私は言おうとしていたことも忘れ、それだけ呟いた。
雨脚は絶えることなくシトシト続く。
「う、えっと……ゴメン、気を遣わせちゃって……」
瑛二さんは瞼を閉じるとギュッと眉間にしわを寄せる。それから溜息をついた。
「俺……苗字さんと二人きりだと、何話していいかわからなくなって……」
首の後ろに手を添え呟く。
かと思えば、バッと顔が上がる。
「って、あっ! 嫌とかじゃないよ、全然! むしろうれ……」
目が合ったのは、至近距離。
直ぐに瑛二さんが顔をそらした。
「ごっ、ごめん!」
ぐりんと向こうまで逸らした顔は見えない。だが、少しだけ癖毛の混じる髪から覗く耳が、紅く染まって見えた。
「い、いえ」
急に気になりだす自分の鼓動、声は少し上ずった。
こんな事が一度じゃない。呼応するように、どちらかの鼓動が跳ねれば、もう一方の鼓動も、そんなカノンのような。
雨音が不意に強くなった気がした。
つられるように顔を上げる。ベランダには雨除けのシートが吊られていて、その隙間から鈍色の空が窺えた。
視線を戻す過程で、並んだ植木鉢が視界に映る。鉢も植物も、どれも丁寧に世話を受けているのがわかるような。
「……あの、」
口を開けば、隣の肩が小さく跳ねた気がした。それ程広いわけではないベランダで、寄せ合う肩は思ったよりも近いのだと気がついた。
「なに?」
若干、上ずった声が届いた。私は息を吸う。
「私、えっと……好きです、瑛二さんの植物の話」
後ろの窓越しに、微かに賑やかな声が聞こえている。
「花の話をしている時の瑛二さん、優しい声で、柔らかな表情で、普段とも、歌を歌っているときともまた違う……それに知らない事ばかりで、楽しいです」
少し視線を上げたら、丸い瞳がこっちを見ていた。私はまた軍手に視線を下げた。
「え、えっとあと、雨止みませんね、朝から降ってる……あと、私も瑛二さんと二人っきり、嬉しい、です」
ベランダの手すり壁と、雨除けシートが自然光を遮る。部屋からの明かりは、背中にだけ照る。
「……ありがとう。俺、苗字さんにそんな風に言ってもらえると……」
私は、視線を少しずつ上げた。
パチッと目が合う。
相手の瞳孔が自分を映しているのに驚いて、二人同時にパッと逸らした。
「…………」
「…………」
反対方向へ顔を背けながら、私は自分の鼓動を聞く。大きなリズムが、激しく降りだした雨音と重なる。
ガラッと音がした。
「瑛二ー、名前ー? 何してるの? 大和がケーキ食べちゃうよ?」
窓が開いて、ナギさんの声が降ってきた。
「えっ! あっうん! もう少ししたら行くから!」
瑛二さんが振り向いて、慌てて答えた。
ナギさんは片眉を上げて瑛二さんを見る、私を見る。
「ハイハイ、冷蔵庫にしまっとくね。でも大和に食べられない保証は無いから〜」
ナギさんはそれだけ言うと、ガラガラと窓を閉めた。
瑛二さんは暫く閉まった窓の向こうを窺っていた。ナギさんが真っ直ぐケーキの元へ行き、そのままキッチンの方へ足を進めるのを確認すると、小さく息を吐いた。
「大和、やっぱり一つじゃ足りなかったかな」
ふと瑛二さんがそう呟く。
「二つ買ってきましたよ。皆さんに二つずつだから、シオンさんや瑛一さんはあまり食べないし、いくつか残るはずで……」
「あはは、大和いくつ食べたんだろう。ナギも、苺の取り合いしてないといいなぁ」
瑛二さんは眉を下げて笑う。
見ていなくとも思い浮かぶ光景に、私も一緒になって笑った。
窓から視線を外すと、目が合う。
瑛二さんの目が少し見開かれたが、逸れずに目が合い続けた。鼓動も雨脚も少しだけ落ち着いていた。
「あの……お願いが、あるんだけど」
瑛二さんはゆっくり口にした。「はい」と私は返事をする。
「俺もその、ナギみたいに……苗字さんのこと、名前で呼んでもいいかな」
思わぬ提案に、ふと目を見開く。
「あっ、嫌だったらいいんだよ。でもその……」
「い、いえ、是非、呼んでくれるなら嬉しいです」
瑛二さんが軽く目を見開いて、「う、うん」と返事をした。
暫く、雨の音だけが残る。
「えっと……じゃあ、名前、さん」
フイッと、視線は語尾で弾むように逸れた。
「は、はい……」
呟いている間に、私も思わず視線を少し逸らしてしまった。瑛二さんの顔が、少し赤いように思う。
瑛二さんが顔を上げて、はにかんだような笑みを浮かべた。
「なんか、慣れ、ないね……でも、特別な感じがするっていうか……」
そこまで言って、瑛二さんの顔が耳まで赤くなる。
「いやっ、その、特別って、言い過ぎだよね! ナギだって兄さんだってみんな呼んでるし、ははは……」
瑛二さんが顔を逸らした。それからはめた軍手の裾を、何度か引っ張り上げる。
「……さ、さっさと終わらせないとね……!」
瑛二さんはニコリと笑みを見せ、レモングラスの挿し芽を再開させた。
クリスタルの粒のようだった雨は、糸のような静かな雨に変わっていた。
「……瑛二さんは、『瑛二さん』ですね」
呟くと、瑛二さんが顔を上げる。
「え? あっ、名前? 出会ったときから下の名前で呼んでくれてるもんね。あそっか、兄さんが居るから……」
「そうですね、『鳳さん』だと……」
「たまにそう呼ばれると、俺たち二人で振り向いちゃうよ。呼んだ人はビックリするみたい」
その景色を思い浮かべる。確かにその二人に振り返られると、驚くかもしれないと思った。随分、ギャップがあって……。
私は顎に手を当てる。
「特別な、呼び方……」
見つめていたレモングラスの動きが止まる。
「……呼んでくれるの?」
「出来れば呼びたいです。皆さんと同じじゃ……」
二人を名前で呼ぶから、統一してHE★VENSの全員を下の名前で呼んでいる。
なんとなく顔を上げると、隣の瑛二さんの顔が真っ赤だった。
私は目を見開いて、記憶を巻き戻す。
「あっ、いやその……」
「嬉しい! 嬉しいよ、呼んでほしい……!」
私の否定を遮るように、勢いよく叫ばれ、私は思わず了解の返事をした。
小さな鉢には用土が流し込まれる。
私は顎に手を当ててそれを見つめていた。
特別な呼び方。あだ名とか……。でも、『瑛』を取れば瑛一さんと区別がつかない。かといって『二』を取るのは変じゃ……。
「えっと……うーん……」
「無理しなくていいよ……?」
あだ名以外には何か……世間一般の所謂恋人同士は、どんな風に。
手元を眺めながら、なるほど鉢の底に石を敷くんだ、と発見する。
「……『ダーリン』……?」
「えっ! あっ、えっ!? はっ、『ハニー』……?」
瑛二さんのまん丸に見開かれた瞳を見た。
雨の音だけが鳴る。
我に帰ると同時に、全身におかしな汗が吹き出た。
「…………わ、忘れてください……」
「い、いや俺も……無茶言ってゴメン……」
私の声に負けじと、聞こえた声はか細く、最後にはくぐもった。瑛二さんが掌で口元を覆っている。
私は自身の膝を抱え込むようにした。顔が上げられない。
「苗字さんの口から『ダーリン』……」
呟く声が聞こえて、バッと思わず顔を上げる。
「うわあ俺声に出てた!? 違っ……ゴメン!」
瑛二さんが、左手で押さえていた口に右手も追加した。
私は瞼と唇に羞恥で熱がこもって、ギュッと引き結ぶ。
再び膝に顔を埋めた。もう……ああ……! 取り消したい……。
瑛二さんが乗っかって返してくれたのが、せめてもの救いだ。
ポン、と頭に何か触れた気がした。
「ごめん、怒ってる?」
バッと頭を上げると、空中に浮かぶ右手と、覗き込むように傾けた瑛二さんの顔。
頬が熱を持っていくのが分かり、そしてそれは恐らく色にも出ていた。
瑛二さんの目が見開かれバッと姿勢を正す。
「ごめっ……俺触っ……ゴメン!」
瑛二さんは自分の右手を左手で押さえる。
「いやっ、ごめんなさい私が過剰に反応を……」
「いやそんなっ、苗字さんは何にも……って、あっ」
瑛二さんが口をつぐみ、それから徐に開く。
「名前、さん……」
その優しい声に紡がれると、鼓動が、高鳴って。
「ご、ごめんね、急に触っ……」
「やっぱり私も、」
出した声は語尾に被るほどはやった。
「何か特別な呼び名で、瑛二さんのこと……呼びたいです」
だってなんだか、名前で呼ばれるだけで、自分が瑛二さんの近くに居るような。
瑛二さんは暫く目を見開いていたが、ふと表情を戻すと、ゆっくり口を開いた。
「じゃあ……『瑛二』って、呼び捨てにするのはどうかな?」
瑛二さんの瞳は私の足元辺りに向いている。
「あんまり特別感がないかもしれないけど、苗字さ……名前さんがそんな風にラフに呼んでる人って、あんまり知らないし、……俺だけって感じがして、俺は嬉しいよ」
視線が上がって、私の瞳を真っ直ぐに捉えた。
「……瑛、二」
ゆっくり音にする。
目の前の顔は少しだけ赤らんで、けれども優しく笑った。ドキリと鼓動が跳ねて、目を逸らす。
「じゃ、じゃあ、私のことも……呼び捨てで呼びませんか?」
「え? いいの……?」
はいと頷けば、瑛二さんは表情を引き締めた。
「……名前……」
鼓動が跳ねる。それは、心臓の奥深くを操作されたと、言い換えることも出来ないだろうか。
暫く見つめあって、どちらからともなく視線を逸らした。
それから、どちらからともなく笑い始めた。
胸がいっぱいで、幸せでいっぱいで、呼び方一つで、こんなに、距離が近づいた気がして。
ふと、瑛二さんが一度、窓を振り返った。
私にそっとキスをした。


Fin
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