十八、【朝に夕べを謀らずとも】 朝一番、史長と隊長達のやり取りが交わされた廊下から所変わって食堂。 木津宮燎介は角盆を持ったまま、溜め息と共に肩を落としていた。 白鶯館は洛叉監史が単独で活動出来るよう館内で衣食住が賄える体勢になっている。 今木津宮がいる食堂もその一つ。 きちんと専属の料理人が在籍し、昼夜を問わない隊史と同様、朝昼晩必ず最低一人は常在している徹底ぶり。 味は勿論お墨付き、値段もなかなか良心的、更に出来上がりも早いと公的な施設としては文句なし。 それ故隊史以外が紛れていることすらあるほどだ。 木津宮も早朝勤務や深夜残業に当たった時は必ずお世話になっている。 今日もこうして臨時で駆り出された為に食べそびれた朝食を摂りに来たのだが、今回はその習慣が裏目に出た。 「……よりによってこんな朝っぱらから」 ついてねぇという語尾は濁してまた小さく溜め息を吐いた。 何故なら木津宮の視線の先には、同じ食卓の両端に最も席が離れるよう対角線上に座る和泉兼定と相沢青女がいるからだ。 和泉は珈琲杯(コーヒーカップ)を片手に新聞に目を通し、青女は数冊の分厚い本と議事録を目の前に積み上げ何やら紙に書き込んでいる。 一見問題ない光景に見えるが、肌を撫でる空気は最悪だった。 それぞれが一人ずつなら問題ない。 二人とも口数はあまり多くはなく、加減を間違えなければ激昂することはない。 日常生活という面ならば比較的良心的な部類に位置している。 だが、二人揃うと、更に言うなら二人だけだとその組み合わせはかなり悪い。 青女は紅に憧れ単身洛叉監史に志願し、隊長まで登りつめた生粋の副長至上主義者。 主に銃などの火器を扱い後方支援に回ることも多いが、紅の為なら単独行動や先陣を切る無茶をすることも少なくない。 対する和泉は洛叉監史でも五本の指に入る剣聖で、単独先攻を得意とする。 実力行使に出る場合、事実上その先頭に立つ紅と意見の食い違いから真っ先に衝突するのは、その地位と実力、加えて性格も含めると和泉である。 また、同じ剣士として実力が肉薄する二人は、顔を突き合わせれば必ず勝負に縺れ込むと言っても良い。 更に青女は公家の流れを汲む旧家のご息女、和泉は州公御三家と言われる武家の名家の嫡男、既に出自から折り合いが悪い。 一人は紅を慕い、一人は紅と対立する。 片や公家のお嬢様、片や武家の御曹司。 諍いがあっても何らおかしくない条件は揃っていた。 お互い完全に無視を決め込んでいるこの状況は、木津宮は勿論周囲にも影響を及ぼす。 いつもなら大きな仕事がない限り朝ここに来れば必ず一人くらいは誰かいるはずだが、今は木津宮と青女と和泉の三人しかいない。 おそらくこの何とも言い難い雰囲気に皆近寄れないのだろう。 適度にそれに慣れてしまい気付かず入室してしまった自分を木津宮は少し恨んだ。 「あら、木津宮君どうしたの?そんな所に突っ立って」 三度溜め息を吐きかけたところで背後から声がした。 振り返ると木津宮と同じ褐色の角盆を持って日野榧が怪訝な面持ちで木津宮を見ている。 「……あ、日野大佐。おはようございます」 「おはよう。何かあった?」 「あそこ見たら分かります」 顔は榧に向けたまま、木津宮はこの得も言われぬ雰囲気の元凶に指を差し向ける。 榧は長めの指が遠慮がちに指す方向に目を向けると、すぐ納得してああ、と短く応えた。 「またやってるの、あの二人」 相変わらずねぇ、と言いながら榧は大して気に留めるでもなく備え付けの硝子洋杯(コップ)を角盆に乗せる。 「今日紅がいないのが不幸中の幸いだわ」 「いたらやっぱり拙いですか」 「そうでしょ。青女ちゃんは紅が好き、兼定は紅がいけ好かない。紅の人当たりが良くて間に入って仲裁でもしてくれればどうにかなるかもしれないけど、あの子そんな柄じゃないでしょ?」 「まぁ……確かに」 「入ったら泥沼。ついでに言えば私達が入っても無駄。最善策は放置よ」 そう言うと榧は調理場に通じる小窓に向かってカツ丼を頼んでいた。 「朝からよく食いますね」 「野菜は食べた気しないのよ。それ言うと息子に怒られるんだけど」 「普通逆じゃないっすか?息子の方が野菜嫌いなんて話はよく聞きますけど」 「そうよねぇ。だから家じゃこういう食事できないの」 カツ丼にまたいくつか追加しながら榧は笑う。 榧の登場で何とか持ち直した木津宮も焼き魚定食を注文した。 「木津宮君、しっかり食べといった方が良いわよ」 一足先にカツ丼が出来上がった榧が振り向きざまに告げる。 「この後史長直々に各隊長のお呼び出し。十中八九昼食べる暇がなくなるから今のうち食べときなさいよ」 「円鵠楼の件ですかね」 「多分。それにもう少し何かありそうだけど。 後から渦嶋君が呼びに来るみたいだから気を付けといてね」 「了解でーす」 会話を重ねる内に出来上がった定食を抱え、木津宮は席を探して辺りを見渡した。 榧との会話で幾分意識が逸れていたが、未だに例の二人は居心地の悪い空気を醸し出している。 幸いど真ん中の食卓の端と端でそれは繰り広げられているので避ければ何とかなる。 広く空いているとは言え、誰も好き好んであの間には座らないだろう。 当然木津宮も回避する為に食堂の端へ目を移した。 「あ、燎介さん」 再び声を掛けられ首を回せば、おはようございます、と言いながら園衞が小走りで駆け寄ってくるところだった。 木津宮が挨拶を返すと、他にいる三人にも同じように園衞は声を掛ける。 榧はにこやかに挨拶を返し、青女は快も不快も分からない能面のような顔を上げてようやく声を発して答え、和泉に至っては目配せするだけ、と三者三様。 三人の反応が返ってくる頃には園衞は木津宮の脇を抜け、調理場の小窓から前もって注文したのかスコーンとジャムを塔のように積んだ皿を受け取りふわりと目の前を通り過ぎた。 それから園衞は何を思ったか、丁度和泉と青女の真ん中に陣取ると木津宮を見てにっこり笑ってひらひらと手を揺らし、 「燎介さん、独活(うど)の木みたいにぼさっと立ってないでこっちに座ったらどうですか?」 一緒に食べましょう?と言わんばかりに手招きをしていた。 「ご愁傷様、木津宮君」 申し訳なさそうに、だが幾分努力して笑いを堪えながら榧は和泉に近い方の席に着く。 彼女にとってこの状況はいつもの朝と何ら変わらないらしい。 立ち尽くす木津宮を余所に、園衞と榧は手を合わせて既に食べ始めている。 視線を左右に動かせば、相変わらず棘のある気配を撒き散らす二人が目に入るものの、園衞と榧が間にいることで多少は緩和されるらしくそのお陰で木津宮は一歩遅れて何とか席に近づいた。 園衞の前に榧が座り、その隣青女寄りの席に木津宮はまず角盆を置く。 そしていざ座ろうとしたその時。 目の前の焼き魚が消えた。 「……は?」 思わぬ視覚効果に木津宮は引きかけた椅子を持ったまま固まった。 ほんの寸分前まで確かにあった焼き魚。 脂の乗った好い秋鯖。 焼き加減は絶妙、酸橘をかければ尚好し、好い塩梅。 しかし待てど暮らせどそれは目に映らない。 みゃあ。 予想外の音。 と、言うより鳴き声。 何かと思って顔上げると、 そこには焼き魚を銜えた黒猫と横にぴったり付き添う白猫がいた。 黒猫の首には赤いリボン。 白猫の首には青いリボン。 猫と言えどもこの白鶯館に易々と侵入出来るものはそういない。 「あ、くれないとえんだ」 園衞の呟きでようやく気付く。 それはいつか頼光が拾った猫だった。 「ってことは開高(カイコウ)君今日は出勤なのね」 榧が呟くと同時に小気味良い靴音が食堂に響き渡った。 「すいませーん!猫見ませんでしたぁ?!」 快活な声音と共に現れたのは如何にも好青年といった柔和で爽やかな面持ちの青年。 腕まで捲り上げたシャツに緩んだネクタイ。 着崩しているが手に持つ漆黒の外套(コート)が彼が洛叉監史の隊史であることを示している。 彼の名は開高愁一(カイコウ シュウイチ)。 洛叉監史第二分隊隊長を任される少佐で、以前頼光が拾ってきた猫を最終的に引き取った人物でもある。 「猫ならそこにいるわよ」 「あ!ここにおったんですね〜。ほんまようおらんよーなるなぁ」 剣呑とした雰囲気を物ともせず、開高は軽快に中へと進む。 目的の二匹を確認すると器用にその腕で抱え込んだ。 「目離したらすぐおらんよーなるんに、心配したんよ」 開高の心配など何処吹く風、二匹は抱え込まれても尚今し方得た戦利品を噛み合って離さない。 「よく食べるわねぇ」 「こいつら食べる割に選り好みするんですよ」 開高はそう言いながらも実に楽しそうに二匹を見ている。 榧もつられて思わず顔が緩み、園衞も黙ってはいるが興味を示しじっと二匹の猫を見つめている。 ただ木津宮は呆然と鯖の成り行きを見ていた。 「………オレの、秋鯖」 呟きはか細く、しかし明確に。 「あ、召集かかってますよ。今おる隊長は皆来いって」 木津宮の嘆きも開高の爽快且つ簡素な宣告によって虚しく潰された。 「はよ行かな輔佐がこれですよ〜」 頭に角を作るように空いた片手の人差し指を突き上げて開高は無邪気に笑う。 「よーし、仕事、仕事!園衞、食べるの止めなさい。青女ちゃん、もう片付けないと遅れるわよー。兼定、はもう行ってるか。木津宮君もさっさと行きなさいよ」 掛け声一つ、てきぱきと注意を促す榧の声と各々の靴音、食器の甲高い音と椅子のガタガタ揺れる音が響く。 木津宮は入ってきた時と同じようにまた肩を落とした。 【了】 |