4.一瞬の独り占め



 きっとわたしは初手を間違えたんだ。

 まさかこんな事になるとは毛ほども思ってなかった。金曜日の夜、6限目の講義を終えて真っ直ぐアパートに帰って来ても時間は7時を過ぎる。

 今の時期はまだ辺りは明るいが、問題はそこじゃなくって。

「虫にいっぱい刺されたんじゃない?」

 わたしの部屋の前にしゃがみ込んでいる人に向かっての第一声は、まぁいつも大体こんな感じ。3回以上も同じことがあれば驚きもしなくなる。慣れって恐ろしい。

 ううん、と返す相手にそれ以上は何も言わず、カバンの中を漁って鍵を探す。数週間前から、決まって金曜の夜はこうやってわたしの帰りを待ってるこの少年がいる。

 わたしが傍まで来ると立ち上がり、当然のようにドアのカギを開けるのを待つ少年の名前は廿六木という。高校3年生だそうだ。

 ストレートの黒髪に、くりくりとした瞳が特徴の可愛らしい顔をした子なんだけど、意外と背が高くて落ち着いた雰囲気のせいか、私服で黙っていれば大学生でも通りそうな外見をしている。

 最初高校生だと聞いた時は驚いたもんだ。

「これ言うの何回目か数えてないけど、毎週末ここ来てさ、友達と遊んだりしないわけ?」
「別に、友達とは学校で会ってるし」
「そうなんだけど、そうじゃないでしょ……」

 学校で会ってても、それとは違って休みの日は一緒に遊ぶもんじゃないの普通。ドアを開けて中に入ると、その後ろを廿六木くんもついて入る。そしてリビングのテーブルの前まで来ると、座ってテレビを点けた。慣れたもんだな全く。

 自分ちみたいな寛ぎっぷりに腹が立ってくる。
 どうしてわたしは、赤の他人に晩ご飯を馳走し、あまつ寝床を与えねばならんのか。

 発端はまだ梅雨入り前の頃、ひょんな事から帰る場所がないと路頭に迷う少年に出会い、一晩家に泊めてあげる事になった。

 なにこの少女マンガ展開。現実にあっていいものなのって叫びたいけど、実際そんな事態に遭遇してしまっているのだから如何ともしがたい。

 現実は少女マンガのように恋に繋がるものではなくて、どちらかというとヒモ男に引っかかったような感じだし。

 そしてわたしは最初の行動を誤ってしまった。
 あそこは変な同情心など出さず、むしろ警戒心を持って拒絶するべきだったんだ。だって出会ってものの数分の男の子を家に招き入れるなんてどうかしてる。

 結果として廿六木くんは、そういった点ではとても紳士だったわけだけれど。だけどそこから毎週末、彼はわたしのアパートに上がり込むようになってしまった。体の良い宿替わりにされている。

 金取ってやろうか。
 もう来るなと突っぱねる事も出来るけど、彼の複雑な家庭環境というものを教えられた手前、今更断りにくい。

 しかしまぁ、何なんだろうか、この不毛な関係性は。

「廿六木くんさぁ、わたしに彼氏が出来たらどうすんの?」

 今は廿六木くんが部屋に入り浸っているからと言って、それがバレて困るような相手がいないから良いものの。

 逆に廿六木くんに彼女が出来た場合もそう。彼はまた路頭に迷う羽目になるのではないか。

「……そういや前の人はどうなったの?」
「お蔭さまでどうにもなりませんでしたわ!」
「ドンマイ」

 生温かい目で見るな!
 廿六木くんと出会ってまだ3週目の金曜日、さすがに3連続で訪ねてこないだろうと油断していたわたしは、飲み会で知り合ってちょっと仲良くなった子と家で飲む約束をした。

 が、家に着いてみれば玄関先に男の子がいて、忠犬の如くわたしの帰りを待っていたとか。

 別にどっちとも付き合ってたわけじゃないから、問い質されるとかそこまで面倒な事にはならなかったけれど(第一やましい事は何もしてない)、当然男の子はさっさと帰っちゃったわけで。

 その晩わたしは、二人で飲むはずだった酒を一人で飲みほした。ヤケ酒だ。それに一晩付き合ってくれたのが、原因である廿六木くんなんだから、激しくしょっぱい。

「千吉良さんに彼氏が出来たら考えるよ」

 へらへらと笑う。あ、これ絶対に当分は出来ないって思ってるに違いない。残念ながらわたしもそう思う!

「廿六木くんはどうよ、彼女になりそうな子いないの」
「おれぇ? そうねぇーいるような、いないような?」
「うっぜぇー」
「そんな事言うから彼氏出来ないんだよ」

 口が悪いのはもうどうしようもない。三歳も下の子に窘められるって結構凹む。
 ああそう、そういう事言っちゃう。

「恩人に向かって生意気な口聞く廿六木くん」
「は、はい」

 距離を詰めてにっこりと笑ったわたしに、まずいと思ったのだろう。頬を引き攣らせているけどもう遅い。

「そろそろ恩を一括払いで返してもらおうかなぁ、身体で」

 彼の肩を掴む手に力を込める。怪しげに見えるように笑みを湛えると、廿六木くんは途端に怯む、はずだったんだけど。

 目を丸くしてきょとんとしたかと思うと、すぐに真顔に戻った。

「千良木さんがしてほしいなら、おれ頑張るよ」

 肩に置いていた手を掴まれたかと思うと、とさり、と後ろに倒され。覆いかぶさってきた廿六木くんを見上げる格好になる。

 これは――

「全力で頑張るポイントを間違えてんじゃない、このエロ高校生!」

 これは喝を入れるべきだろう。
 急所を蹴ってやっても良かったんだけど、とりあえず顔を殴るだけでやめておいた。グーで。

「廿六木くんが頑張るのは……」

 翌日、ぐったりした廿六木くんの隣で充実感に満たされているわたし。

「いやぁずっとやりたかったのよねぇ、部屋の模様替え」

 でもテレビ台とかベッドとか一人じゃなかなか動かすの大変で、ずるずると今まできちゃったけど。

 力仕事はやっぱ男の子に頼むに限るわ。いっつもタダで泊めてあげてる子だから、気兼ねなくこき使えるし。

 大きな家具を動かしたついでに部屋の隅々まで掃除したから、なんだか空気も爽やかになった気がする。

「ありがとう廿六木くん」
「ドウ、イタシマシテ……」

 ほんと、良い子は良い子なんだよな。文句も言わずやってくれるし、丁寧に仕事してくれるし。
 これはなかなか使い勝手がいい。

 そう思えば妙な縁で繋がった男子高校生だけど、まだしばらくはこのヘンテコな関係を続けてもいいかもしれない。
 




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