▼page.1 肌に触れる空気は乾いている。 満ちる冷気に身を震わせた。 かつんかつんと建物の脇にある螺旋階段が鳴った。 希海は何気なくそちらを向く。 「あーねみぃ」 大きく口を開けながら、だらけた足取りで下りてきたのは新岳瑞貴だった。 彼も眠気でとろんとした目で希海を視認して手を上げた。 「何やってんの希海んちょ」 「希海んちょ言うな。見て分かんない? 仕事中なんだけど」 「マジで」 店外に設置されているゴミ箱の清掃中だった希海を、それ以外の何に見えたというのか。 瑞貴はたった今綺麗にしたばかりの灰皿の前に立つと、コートから取り出した煙草に火をつけた。 その慣れた手つきを見て希海は嫌そうに顔を歪ませる。 「店長こそ何してんの、こんな時間に」 「変な時間に目ぇ醒めちゃってさぁ。これから呉叩き起こしてやりに行こうかと」 「……いいけど、二人して店に押しかけて営業妨害しないでね」 呉も瑞貴も、そして希海もこのコンビニの上にあるマンションの入居者だ。 呉を起こしたならば必然的に一階のコンビニに顔を出すに決まっている。 瑞貴は何も答えず、天を見上げた。 「晴れたな」 「ん? ああ、うん。良かった」 安堵の表情を見せた希海を、瑞貴は煙草を持っていない方の手で乱暴に撫でた。 今日という日が誰かにとって特別であるのだと二人は知っている。 「お疲れさん」 何に対しての労いの言葉なのか、分からないわけじゃない。 だがまさか瑞貴がそんな事を言うとは思わなくて目を瞬かせる。 自分が何かしたという感覚はない。 ただ少しだけ接点を持っただけ。 それでも、それだけだったとしても、ちょっとは何か出来ていただろうか。役に立てただろうか。 褒められたような気分になって、むず痒い気持ちを悟られまいと敢えて憎まれ口を叩いた。 「店長の恋路は前途多難なままだけどね」 「うっせぇ!」 タバコを持っていない方の手を振った瑞貴から逃げて笑う。 ほんの少しの接点が、出会いが変えるものも確かにあるのだろう。 交わるはずの無かった二人が心を通わせるようになったように。 希海がこうやってここで生活するようになったように。 そうやって、誰かの変化に立ち会う事で物事を良い方に動かせるなら、この奇妙な瞳も嫌じゃなくなるかもしれない。 「新岳店長くんじゃありませんか」 自動ドアが開いて中からオーナーが顔を出した。 しまったと瑞貴が顔を顰めたがもう遅い。 「おやおや勤勉な夜間店長は勤務時間外にも店のために身を粉にして働いてくれるんだねー。ありがたいねー」 「いやいや粉になっちゃったら働けませんからねー。身体に負担にならないように休みはきっちり取らないとねー」 「毎日タイムカード押しに来てるだけで、ここで休んでるようなもんでしょうが!」 有無も言わさずオーナーが瑞貴の首根っこを掴んで店の中に引きずり込んだ。 わーわーと喚く瑞貴を客が驚いて眺めている。 今日も平和だなぁ。 完全に他人事で、希海は晴天の空のように和やかな気分で後を追った。 前 | 次 戻 |