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 学校を出たところから降ろされた侑莉だったが、掴まれた腕が痛みを訴えるほどの力で拘束されている。
 
 逃げ出すのを阻止するようだ。

 歩む速度は侑莉の事を無視していて、何度も足が縺れて転びそうになっても一向に改められる様子がない。

 だが侑莉が口を開き、それでも結局は言葉にならずに凌の背中を見つめているのは、そんな事が言いたいからではなかった。

 彼の名すら呼べない。
 重苦しい空気に包まれながら辿り着いたのは、やはり凌のマンションだった。

 靴を脱ぎ捨ててリビングまで来ると、力一杯壁に押し付けられた。
 乱暴に背を打ったせいで息が詰まる。

 だが呼吸を忘れたのは今日初めて、そして数ヶ月ぶりに合った目のせいだ。
 相変わらず鋭い眼差しに射抜かれて、状況も忘れて歓喜した。

 覚えていてくれた。こうして連れて来られたという事は、まだ何かしら気にはしてくれていたのだろう。

 それがどんな感情であっても構わなかった。
 文句を言われるだけであっても、ただ何か荷物が残っていたから持って帰れというだけであっても。

 どんな些細なものでもいい。
 凌の中にまだ侑莉の存在があるのならば。

「あの、どうして――」

 漸く紡ぎ出した言葉さえも口を塞がれて奪われた。

 突然の事に驚いて身を引こうとしたが、壁に背をつけた状態では動く事は出来ない。

 凌を押そうと持ち上げた手は、しかしただ彼の肩に置かれただけだった。

 嫌がる素振りでさえする余裕はなく、凌の真意が分からないというのに、与えられる熱に酔い痴れた。

 何故ここに連れて来られたんだろう。
 どうして口付けられているんだろう。

 重なる体温が離れていかないようにと縋る侑莉を抱き止めてくれるのは。

「侑莉」

 思考が溶けて無くなる直前、今まで侑莉を塞いでいた凌の唇が名を紡いだ。
 少し掠れた声で。

 至近距離から見下ろす凌の瞳から感情を読み取るのは難しいが、その分声が雄弁に語っているようだった。

 以前はこんな風に名を呼ばれた事はあっただろうか。

 疲労と焦燥なんて、凌に似合わないとずっと思っていた。
 そんなものは存在しないように思わせる人だった。

 なのにそれ等が滲む、少し掠れた声は驚くほどの拘束力を有していた。
 たった一言、名前を呼ばれただけで侑莉は何も言えなくなる。

 いや、言葉を発すれば泣いてしまいそうだ。
 何も言い出せない侑莉の頬に凌の手が添えられる、その直前で止まった。

 躊躇する彼が信じられない。
 瑞貴が言っていたのはこの事なのだろうかとふと思った。

 思い知るべきだと彼は言っていた。

 知らない。
 眉を寄せる、どこか苦しそうな表情も
 触れるべきか、悩む仕草も
 堪えきれず溢した様な、名前の呼び方も

 知らなかった。凌はこんな人だったなんて。侑莉と同じように考え迷う事があるのだと。

 ふいに凌の髪が頬に触れた。右肩に重みを感じる。
 凌が侑莉の肩に頭を預けていた。

「何で勝手に出てった、ここに居たいっつったの誰だ。……あんなふざけた置き書き残していきやがって、あんなもんで俺と切れるとでも思ったのかっ!」

 顔を上げ、くっつきそうなくらいの至近距離で侑莉を睨んだ。

 数枚の万札なんかで凌との間にあった出来事全てを清算するつもりだったのかとどれほど憤った事か。




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