▼page.1 巧の大声が止んだと思うと、今度は誰も言葉を発しなかった。 会話を盗み聞きされていた事に驚いて反応し損ねた二人、こそこそと二人の会話を盗聴していた気まずさに笑って誤魔化すしかない四人。 たった一人が空気に飲み込まれず、むしろ堂々と扉を開けて他の人が動けないような空気を作り出した張本人だけが平然と室内に入り込んできた。 「こ、香坂さん……」 無言のまま近づいてくる凌に思わず侑莉は一歩後ろに退いた。 自分から会いに行こうとはしていたが、全く予想していなかった場面での再会に混乱した頭では、何をどうすれば良いのか考え付かない。 何でここにいるのか。何故何も言わないのか、どうしてこっちに来るのか。 慌てふためく侑莉を易々と捕まえた凌は、軽々と彼女を担ぎ上げた。 「きゃ……っ、なに、香坂さん!?」 足は宙に浮き、普段より少しだけ高い視野。 動物を抱える要領で持ち上げられた侑莉は安定感を求めるために凌の肩を掴んだ。 背中越しに見た部屋の外にいる四人は、四者四様の表情をしているが誰一人として凌を止める気はないようだった。 「侑ちゃん……!」 搾り出されたその声に侑莉は今まで一緒に居た千春を見た。 焦っている彼に、どうしてこうなっているのか状況は読めないものの、多少落ち着きを取り戻した侑莉は口を開いた。 「春く――」 ガクンと視界が揺れて体勢を崩しそうになり凌にしがみ付く。 そうする他なかったし、彼が急に動き出したせいだから仕方ない。 侑莉を抱きかかえたまま出て行こうとしているようだ。 「好きだったよ。……ちゃんとって言ったら変かもしれないけど……でも」 最初は誰でも良かったのかもしれなかった。 ただ優しく手を差し出してくれる人ならば、それが千春でなくとも心は傾いたかもしれない。 だったとしても、侑莉の傍らに在ったのは間違いなく千春で、当時の侑莉の心が傾いた相手は千春以外の誰でもなかった。 あまりに動機が後ろめたくて言えずにいたけれど。伝えておきたいと思った。 本当はもっと早くに言わなければならなかった事だ。 ちゃんと伝わっただろうか。 千春が視界から消える瞬間、寂しそうに笑ったのが見えたから、大丈夫なような気がした。 しかし大丈夫でないのは自分の方ではないだろうか。 今に至るまで一言たりとも声を出していない凌の表情は、担がれていては見る事も叶わない。 いや、確認してしまうのも怖い気がするが。 彼が一体今何を思っているのか、少しでも解ってしまうのが怖い。 廊下に待機していた皐月達は呆然と侑莉と凌を見送り、ただ瑞貴だけがやたらと笑顔で手を振っていた。 生徒に加えて一般人もいる学校の中を闊歩すれば注目の的になるのは必然。 だが凌は僅かも意に介したりはせず、堂々と歩いていた。 そして侑莉もまた何も言えず、身じろぎも出来ずにじっと凌にしがみついていた。 進行方向から後ろ向きになっている侑莉にも、彼が校門へ、学校の外へと向かっているのだと分かる。 何処へ、など聞くまでもなかった。 前 | 次 戻 |