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 ふと物見やぐらを見渡すと、上に昇るのは梯子を使うしかないようだが、木で出来たそれは長年野晒しだったために半分腐っていた。ハルが上がった際に何段かは破損してしまっている。

 よく屋上まで辿り着いたものだ。
 しかし梯子を使って降りるのは無理そうで。

「どうやって降りてくるつもりだったんですか」
「えぇっと、そこまで考えてませんでした!」

 いかにディーノから必死で逃れようとしていたのかが垣間見えた。そこまで怖がらせたつもりは一切なかったのだが。
 ディーノはふぅと息を吐き出すと、片手を屋上に、ハルに向かって掲げた。

「そこから飛び降りて下さい。受け止めますから」
 地上からではハルの表情ははっきりとは見えない。けれど彼女の目が見開かれたのが分かった。
 ディーノの提案はあまりに無謀だ。

 高さは普通の建物の二階より少し高いくらい。そこから飛び降りろと平然と言うなんてどうかしている。
 怪我どころでは済まないかもしれないし、ディーノの上に落ちたらそれはそれで大惨事だ。

「む、無理だよ……!」

 当然二の足を踏むハルに、ディーノは掲げる手を下げる事はしなかった。もう片方の手も同じように差し出す。

「大丈夫、絶対受け止めるから。傷つけたりしないから」

 懇願だった。今度はもう間違えないから。ハルの意志で自分のところに来てほしかった。
 ハルが怖がるのは当然だ。下をのぞき込めば本能的に足が竦むくらいの高さはある。
 それでも。お願いだから俺のところに来て。
 
 傾き、赤さを滲ませる陽を背に立つハルを見上げ続ける。眩しくて目を細めながら。
 彼女はしばらくディーノの方をじっと見下ろしていたが、ゆっくりと身体を動かした。

 腰の位置くらいまである石を積み上げて作られた柵をよじ登りその上に立つ。
 飛び降りる決心をつけたようだったが、更に高くなった目線にハルが迷ったのが分かった。

「ハル、俺を信じて」

 勝手な事だ。ディーノもこの世界の全てもハルにとっては勝手な事ばかりだ。
 何を根拠に信じればいいのだろう。ディーノ自身がそう思うのに、それでも彼女に求める。
 数瞬迷ったハルは小さく頷いた。

「ディーノ!」

 ハルは名を呼ぶと柵の端まで一歩前に出た。

「見ないでね!」

 何を? 問う前に彼女は、今までの悩みは何だったのかと言いたくなるほどあっさりその場からひょいと軽く飛んだ。

 もっと力んだりするものと思っていたディーノは一瞬呆気にとられたが、ハルが落下するポイントに合わせて少し体の位置をずらすと、大きく息を吸い込んで止めた。

 すぅっと彼の周りを取り囲むように赤白い文字の羅列が浮かび上がる。
 
 猛スピードで落ちて来たハルが下から風が巻き上がったかのようにふわりとその場に停まった。
 そしてディーノの腕の中にすとんと納まる。

 抱き上げたままニコリと笑いかけると、ハルはぼうっとしたまま何度も瞬きしていた。

「なんか……騙された気分」
「誰も騙してなんかいません」
「いやだって! 魔法で重力コントロール出来るなら最初からそう言ってよ!」

 それじゃあ意味が無かったのだ。最初から危険はないと安心して下りるのではなく、恐怖よりもディーノの信頼が勝るところを見たかった。

 ディーノの肩をばしばし叩くハルだが、やはり怖かったのかぐったりしていた。

「で、ディーノさん。見ました?」
「何を?」
「見たの?」
「何の事ですか?」
「…………」

 ハルの胡乱気な視線を笑顔でかわす。

「そんな恰好であんなところに登るからです」
「やっぱ見たんじゃないかっ!」
「そうは言ってません」

 下にいたのだから視界の中には入っていたのかもしれないが、ディーノは覚えていない。
 時間にすればほんの数秒だったし、それどころではなかったのだが「ディーノのヘンターイ」とブーイングするハルにそれ以上は反論せずにおいた。

「……ハル、すみませんでした」
「認めるのか!」
「その事じゃなくて。この間のサロンで」
「ああ。レイのとばっちり受けたやつの方ね」
「とばっちり?」

 頷くハルの言い分にディーノは眉を寄せた。あの時のやり取りをこの子は一体どんな解釈をしたのか。
 ディーノの怒りはレイに対するもので、その場にいなかった彼の代わりに八つ当たりをされたと思ったのだろうか。

 確かにあの男は疎ましいし嫌いだが、ディーノが苛立っていたのはハルに対してだった。

「え、レイのせいじゃなかったの!? もしかして私にキレてたの!?」

 慌て出したハルは、ディーノから距離を取ろうと肩に手を突っぱねて降りようとした。だがそれを許さず彼女を抱く腕に力を込める。

「ハルに対してですけど、ハルが思ってるような事じゃないですよ」
「どういうこった!」

 目をぐるぐるさせるハルにくすりと笑う。
 ハルが考えているのとは違う。あの時はディーノ自身も分かっていなかった。

 だけど思い返してみればあの感情は嫉妬。そして親しそうに接していたハルに苛立ったのだ。今だってハルが「レイ」とあいつを指す名を口にするだけで面白くない。
 その通り彼女に説明しやしないが。

「ねぇハル、貴女は俺のユリスの花嫁ですよね?」

 不安に駆られながらハルを見ると、彼女は大きく目を見開いてすぐに拗ねるように口を尖らせた。

「当たり前でしょ、今更違うとか言われても困るの!」

 即答されてディーノは緊張が解けていくのを感じた。ハルに自分との繋がりを肯定されたことが嬉しい。
 ディーノはハルを降ろすと近くの岩の上に座らせた。

「もう一度やり直しをさせて下さい」

 そして彼女の手を取って足元に跪く。

「聖騎士としてユリスの花嫁様である貴女を、何があっても何にかえてもお守り致します。だからどうかお傍に置いて下さい」

 そっと指先に唇を落とすとハルの肩が揺れた。
 自分は今縋るような目をしていないだろうか。緊張が彼女に伝わっていないだろうか。

 離れていかないようにハルの手を握って返事を待つ。
 暫く目を伏せていたハルはゆっくりとディーノに目線を戻し、柔らかく微笑んだ。

「不束者ですが宜しくお願いします」

 こちらこそ、と以前と同じ会話を再現する。けれどあの時とは全然違う。ハルと向き合う姿勢と、彼女へ向ける想いが。
 



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