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 ハルが決意表明をしたのと同じ頃、騎士隊の執務室には珍しい客が訪れていた。

「たぁいちょー、お客様でっす」

 ウィフルレッドの気の抜けるような口調と態度は今に始まった事ではない。注意したところで直るものでもなさそうなのでディーノもいちいち注意もしてこなかった。

 一応場を弁えてはいるようだし問題も無かったのだが、神の使いとされているハルに対してもまるで旧来の友人に接するような態度なのはどうなのか。

 ハル自身が気にしていない、というかその方が良いと思う子なので注意し損ねているが、周囲に示しがつかないのではないか。

 ハルが事実ユリスの花嫁であっても違っても、もうこの国の彼女の扱い方はもう定まってしまっている。
 披露目も終わっている以上、今更変更のしようもない。

「仕事中にごめんなさいね」

 白のローブを揺らしながら執務室に入ってきたソレスタは促される前にソファに座った。
 仕事のいい息抜きを見つけたとばかりに上機嫌でお茶の用意をし出すウィルフレッドに溜め息を吐く。

「ハルちゃんは元気そうだったわよ、靴に負けて足に怪我はしてたけどね」

 いきなり言われた台詞が予想外でディーノがきょとんとすると「気にしてるかと思って」とソレスタは肩を竦めた。

「足の怪我は……酷いんですか」
「普通に靴擦れでしょ、でもルイーノに外出禁止令が下されたみたいで大人しくしてたわ。ハルちゃんってルイーノには従順よねぇ」

 どっちが主か分かったもんじゃない。そう言って笑う賢者にディーノはどう返していいのか判断が付かなかった。勿論ルイーノとの事ではない。

「まったく……アタシの知らない所で何やってんのよ、アンタもあの子も」
「私は何もしておりません。あいつの事は知らない」
「そんなだから、ハルちゃんが泣く羽目になるんでしょうよ」
「それは……」

 反論しようとして、しかし言い返す言葉もなくディーノは言葉を切った。
 あの時サロンで、確かにハルは涙を流してディーノの手を振り払ったのだ。黒目がちな瞳に現れていたのは紛れもない拒絶だった。

 そうさせたのは自分自身。自覚は嫌と言う程ある。

「ふぅん、一応自分の非は理解してるのね。この程度の事で揺らいでんじゃないわよ、あの子が黙っていなくなるだなんて最初から思ってなかったでしょうが」

 銀髪の合間から覗く真紅の瞳が脳内に過った。お互いが相手の存在を許容できない。
 そうやってずっと生きてきた。聖騎士が選ばれた事で一応の決着はみたが、それで終わるわけが無かった。

「レイって呼ばせてるんですってね? あの子が自分でそう名乗ったのかしら」
「知りませんよ……」

 クスリと笑う大賢者に、再度溜め息が漏れる。

「ソレスタ様は何をしにいらしたんです?」

 仕事は山積みだ。それはディーノもソレスタも同じ。こんな所で油を売っている暇などないはずだ。
 人にカマをかけて何を引きずり出したいのか分らないが時間が勿体ない。

「ねぇ、ディーノにとってハルちゃんてどんな子?」
「だから」
「質問に答えなさいな」

 思いがけず厳しい口調で重ねて問われ、ディーノは仕方なく答えた。

「容姿こそ珍しいですが……至って歳相応の女性、だと思いますが」

 たまに驚くような行動を取る事もあるが、あれはこの国の常識がハルの育った国のそれとは当てはまらなかった場合が殆どだ。
 つまりハルの行動は常に常識の範囲内に収まる。人智を凌ぐ力も思考も見当たらない。

「へぇ、分かってんじゃない」

 えらいえらい、とソレスタは馬鹿にしたように手を叩く。

「ハルちゃんの感性はラヴィリアちゃんやルイーノよりもむしろ町の子の方が近いわね。地位も立場も何も持たない本当にただの女の子よ」

 今更何を言い出すのか。そんな事はディーノにも分かっている。だから尚更ユリスの花嫁ではないという結論に至った。自分も願わなかったし、やはりこの子は違うのだと。

「そんな女の子がある日突然、その身一つで国どころか世界も飛び越えて、常識さえ通じないような場所に事情なんてお構いなしに勝手に連れて来られて、あまつ世界を救えだなんて重責負わされて。逃げたくっても逃げ場所もない帰れない。アタシ達がみんなあの子に優しくしてんのは神の使者だからって理由だけじゃないわ。心の底から可哀そうだからよ、憐れだからよ。ディーノもそうじゃないの?」

 優しさは同情の現れ。はっきりとそう明言したソレスタにディーノは呆気にとられた。
 人を先導していくカリスマ性も、魔を断ち切る剣の腕も持ち合わせていないただの少女に、けれど先人と同じ重圧に耐えろと押し付ける。
 手前勝手な要求をぶつけておいて、潰れてしまわないかと同情心で目を掛ける。
 きっとそれだけじゃない。ちゃんとハルを慕う心を持ってもいるが、果たしてどちらの心情が勝っているのか。
 
 問われたディーノは答えに窮した。自分はどうだっただろうか。確かに可哀そうだとは思った。だがハルに対してそこまで憐憫の情を感じたかと言えばそうではなかった。
 彼女はそんなにも弱い子ではない。いつも笑顔だったし自分は何をすべきなのか前向きに探していた。

「勘違いしちゃいけないわよ、あの子は強くもなんともないわ、ただ平気そうにしてただけ」

 ディーノの考えを読んだかのようにソレスタが言う。

「みんなに良くしてもらってるから頑張らなきゃいけない、そうしないと自分も帰れない。でも何をすればいいのか分らない。これって結構精神的に辛いものがあると思わない? 表面的には普通にしてたって内心は追いつめられてたっておかしくないわ」

 ハルは気さくで明るくて茶化したような事をすぐに言う子だけれど、決して不真面目でも人の思いに鈍感な子でもない。

「そこへ来て自分と同じくユリスに選ばれた一番頼りになるはずの聖騎士から突き放されたりしたら、もうやってらんないわよねぇ。あんたは何も分かって無い。ハルちゃんは被害者よ。万が一ディーノが言うようにユリスの花嫁じゃなかったとしたら尚の事」

 他人の恨みつらみに巻き込まれたなんてたまったものでは無い。ユリスの花嫁としての重責を負わされるよりも。

「あんたもっとしっかりしなさいよ。聖騎士なんだし、レイを止めるのだってあんたの役目なんだから。それが言いたくて来ただけなの。お邪魔したわね」

 来た時同様、あっさりとソレスタは立ち上がって執務室から出て行こうとしてドアノブに手をかけた所で振り返った。

「そうそう、後二日もすればハルちゃんも外に出られるようになるわ。そうなったらディーノも色々と駆り出されるだろうから、今のうちにこっちの仕事片しておきなさいね」

 にっこりと鮮やかな笑みを湛えて今度こそ扉の向こうに消えていった。

「はっはー、喝入れられちゃいましたね、たいちょー!」
「……仕事してください」

 今まで大人しくしていたウィルフレッドが急ににやにやと笑いながらディーノをつつく。
 顔面に分厚い書類の冊子を投げつけてディーノは冷たくあしらった。
 
 聖騎士である以上ハルの護衛の任から解かれる事はないが、正直顔を合わせるのは気が重い。
 彼女も会いたくないに違いない、そう思えば余計に。
 
 気持ちの見切りをつけるには、二日後という猶予はあまりに短かった。





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