▼page.6 「ハル」 耳元で低く囁かれて顔を上げた。この人はいつも不意打ちで名前を呼ぶから心臓に悪い。お前って言われたらムカつくんだけど、ハルって呼ばれてもそれはそれでむず痒いというか。 「お前は木偶じゃない、まだ時が来ていないだけだ。だがそろそろ覚悟を決めておけ」 「……ディーノを消す? そんな覚悟はしない!」 「俺の望みはアイツを消す事だが、お前が元の世界に帰る条件は俺かアイツのどちらかの存在が消滅する事だ。なら、俺を消して帰るか?」 何を、言って……。ディーノかレイのどちらかが消滅? ディーノをどうこうするなんて考えられない。でもだからって代わりにレイならいいってもんじゃないじゃない。 確かに憎たらしい奴だけど死んでもいいなんて思えない。 「どうしていっつもいっつもレイはそうやって……」 何でもないように、ついでみたいにして残酷な事言うの。私にその決断が出来ないって分りきってるくせに。 べしべしとレイの胸を叩き続ける。コノヤロウ、コノヤロウ。 「また泣くか?」 涙が出ちゃう、だって女の子だもん。だがしかし絶対に涙は流さない。何故ならただ今私の顔には化粧が施されているからだ。泣いたら台無し。涙の後がくっきりと残ってしまう。 「……ここで残念なお知らせがあります」 「あぁ?」 「鼻水の方が出そう」 ずず、と鼻を啜るとレイは僅かに身体を離した。貴様……。 「なによ、泣かせたのはあんたでしょうが! 服を貸せ!」 「ビラビラしたの着てんだから自分ので拭け」 「出来るわけないでしょ、こんな綺麗なドレスに鼻水て! ああレイはこれだから。ディーノなら何も言わずに拭いてくれてた!」 「だったら今すぐアイツの所に行って奴の服に付けて来い!」 それじゃただの嫌がらせじゃないの! 同じ状況だったらって話をしてんでしょうが。ぎゃーぎゃーと言い合いしている間に涙も鼻水も引っ込んだわ。 「お前たまには話を真面目に纏める気はないのか」 「ございません」 「言い切るな阿呆が……」 片手で頭を捕まれ、その親指でぐぐぐと額を押される。いたいいたい、めりこんでる! 「ぼーりょくはんたいーっ」 「そうやってふざけて問題を先延ばしにしてられるのも今の内だけだ」 バレてましたか。テヘペロってやったら余計親指に力こめられた。おでこ凹んじゃう! それって肉って書かれるのと同じくらい恥ずかしい事になりそうだからやめぇー。 「ハル」 「はい?」 名前を呼ばれて反射的に返事をしてレイを見た。けれどレイと目線が合わなかった。彼は私の後ろを見ていたから追うように私も身体を逸らして振り返る。 ぶわっと音がした気がした。 バルコニーの向こう側から湧き上がるようにして現れたのはディーノだった。手すりに手をかけ難なくその乗り上げる。 「ディ、こここ、に」 ディーノここ二階! ど、どうやったの、どんなジャンプ力!? 慄く私を凍るような瞳で見下ろすとディーノは無言のまま身体を屈めた。私に見えたのはその辺りまでで、次の瞬間には彼の顔がすぐ近くにあった。 「きゃっ」 レイとディーノ、どっちに引かれたのか分らない。腕を痛いくらいの力で引っ張られて転がるように二人から離れた。 ガキン―― ディーノが剣を振り下ろしたが、レイが手を翳して魔力の防御壁を張るのが僅かに早かった。 弾かれた剣は刃が真っ二つに割れて先が回転しながら近くに落ちる。 舌打ちをしたディーノが間髪入れずに手にしたのは、何処から出したのか、赤白い光を帯びた聖剣だった。 彼の周囲に以前見たのと同じ円陣が浮かび上がっている。 月と聖剣の光に照らされたレイの顔は、深く眉間に皺を刻み忌々しげに聖騎士を睨みつけていた。 「ユリスの花嫁を……ハルをどうする気だ」 「さぁな」 聞いた事もない低いディーノの声。聞いてる私が震えそうなのに、レイは普段と幾らも態度を変えず皮肉めいた笑みを浮かべもったいぶったものの言い方をした。 あああ、そういうのはディーノを怒らせるだけだからやめた方が……。 ハラハラと見守っていると、案の定ディーノが目にも留まらぬ速さで聖剣を振るった。 予想内の反応だったらしくあっさりと後ろに退いて避けると、今度はレイが手すりの上に乗った。 あなた達、そこは手を置く所であってのぼるところじゃないのよ? 「ハル」 真っ赤な瞳が私を見る。 「その衣装、思ったより様になってる」 レイはそう言ってニヤリと笑うと、またもディーノが現れた時とは逆に手すりの向こう側へと落ちるように消えていった。 二人してダイナミックな入退場をしなさんな! 心臓が幾つあってももちませんよ。 しかもなんなんだよ、どうしてこのタイミングで素直に喜べない微妙な褒め言葉を私に投げかけるんだ。 ディーノのいる前であんまり私に絡まないでもらいたかったんだけど……あの人の場合態とだな!! 「でぃ、でぃーのさん?」 手すりをジッと見つめたまま動かないディーノに恐る恐る声を掛けてみる。 そんなに見つめたら穴が空いちゃうよー、目からレーザーとか出て破壊しちゃいそうだねーはははは。 私の呼びかけに反応したディーノはゆっくりとこっちを向いた。ホラー映画で話し掛けた人が振り返ったら実はゾンビだった、みたいなオチを観ている時のような緊張感。 だけど彼はおぞましい顔でも何でもなく、至っていつも通りの柔らかい笑みを湛えていた。 「ハル、あいつと何やってました? 詳しい話を聞かせてもらいましょうか」 だけれどもそれはゾンビも一撃で吹っ飛ばしそうな、攻撃力満点な微笑みでした。 おわた。私の人生おわた。 お父さんお母さん、先立つ不孝をお許しください。 前 | 次 戻 |