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修学旅行にむけて、生徒達より何倍も忙しいのが教員達である。
ましてや2年生の担任ともなると、一大行事の為か連日残業になってしまう。
今回、鷹島はテスト作成はないので(ある程度は作らないと期末には間に合わないが)
日々の業務に加えて、修学旅行の業務を優先的に行っていた。

日が早く落ちるようになった秋。
肌寒くなったので、夏までのTシャツは封印し仕事用の黒いジャージを着るようになった。
それでも少し肌寒いのだが、鷹島は気にもせず黙々と修学旅行の準備をする。
日程の調整、旅館の確認など自分のクラスが円滑に楽しくできるよう抜けのないように真剣だ。


それに、仕事を黙々としている時間の方が色々と気が紛れる。

文化祭が終わってから、どうもぼんやりとしてしまうのだ。
授業中などは生徒を見ることに集中するため、そういう事はないのだが家にいるともうだめだ。
見てもいないのに、ずっとテレビを点けたまま空中を見つめてしまう。
思い出しては、消す。その繰り返しだ。


(…齋藤のクラスは、神戸か…)


ふと、各クラス別行動予定表が目に入る。
自分のクラスは要望もあり、奈良になったのだが、葵のクラスはちょっと変わって神戸らしい。
甘いものが好きな葵にとっては堪らないだろう、と夏休み前バイキングに行ったことを思い出した。
肉や惣菜系はもちろんのこと、デザートを大量に食べていたのだ。
元々甘いものが好きで、本人も特に周囲の目など気にせず食べているとのこと。


(神戸のスイーツ?は、うまいらしいからな…)


ヘラヘラして食うだろうな、と葵の間抜けな表情を思い出して少し笑みを浮かべる。
しかし、次に思い浮かんでしまうのは、最近過ぎる出来事ばかり。
葵が自ら、唇を寄せてきたこと。

感触が柔らかく、暖かいのはもちろんのこと。
そっと、震えながら鷹島の太ももに添えられた掌が少しばかり扇情的で。
唇を離した後、彼の表情はひどく。


(くそ、何回思い出してンだ俺は…!仕事仕事…)


頭を軽く揺らして、思い浮かんだ雲をかき消す。
眉間に皺を思い切り寄せて、近々行なう体力テストのプログラムを打ち込んでいた。
カタカタ、とタイピングにしては少し遅い音が静かな体育教員室に響く。
鷹島はパソコンに夢中で気づかないが、外はもう真っ暗だ。

すると、突然教員室が明るくなる。
今まで暗闇で、1点の光を見ていたので眩しさに鷹島は目を瞑った。


「暗いところで、パソコンやってると目が悪くなるよ」

教員室の電気スイッチを押した人物が、けらけら笑いながら鷹島に近づく。
やっと眩みから解放された鷹島は、覚えのある声を聞いて更に眉間に皺を寄せた。
恐ろしい形相に「うわ人相悪い」と彼女は口の端を引きつらせる。


「千春…お前、なんだいきなり…帰れ」

「帰れとはひどいな。せっかく彰クンに会いに来たのに?」


小さな口を尖らせながら、神城はどっかりと鷹島の隣の椅子に座った。
彼女も仕事が立て込んでいたらしく、今帰りだと言う。
それこそ、まだ仕事をする気満々の鷹島など置いて帰ればいいのに。
と、鷹島は嫌々ながら仕方なくパソコンの電源を落とした。

どうせ、また飲みに誘うのだろう。

神城が好きな店は、もっぱら居酒屋なので1人で入りにくいのだ。
もしくはファミレスの大きなステーキハンバーグ。
さすがに数年前わずかな期間とは言え付き合っていた仲だ、予想はつく。


「今日はどこに行くんだ、あまり食いすぎると太るぞ」


大きくため息を吐いて、帰り支度を始める鷹島。
そんな彼のデリカシーの欠片もないことは聞いていないのか、神城は椅子をくるくると回転させる。
お腹すいたなあ、と大きい独り言を呟きながら。
相変わらず変わらないヤツだ、と呆れる鷹島。

すると、神城は何を思ったかピタリと回転を止め、鷹島を見つめた。
その瞳は、今までに見たことのない真剣な色をしていて、鷹島は一瞬怯む。
いつも冗談ばかり言う彼女の、たまに見るこの表情に良い予感は、しない。


「駅前のファミレスで、大盛りミックスグリルを食べたいんだけどさ。
あそこ、結構うちの学生がバイトしてんだよねー…だから、ここで聞きたいんだけど」


生徒に聞かれたくない話。
神城は、一瞬唇を結んで鷹島から目を逸らし、ワンテンポ置く。
蛍光灯に照らされた、長い睫毛が影を落としたかと思えば、すぐに鷹島の瞳を見つめた。
ヘーゼルに近い瞳に映る、自分自身に鷹島は少し怪訝な顔をする。



「後夜祭の時、齋藤葵クンと、なんでキスしてたの?」



いつものふざけた口調ではない、淡々とした質問に鷹島の心臓は冷えた手で掴まれたように跳ねた。
呼吸ができず、ひんやりとした汗が背中を伝う。
回避する言葉も思い浮かばず、鷹島は神城から目を逸らすことしか出来なかった。

情けない、本当に自分は情けない男だとそればかりを心の中で繰り返す。

数分が経ったであろうか。
鷹島にとっては、永遠のように長い沈黙を、質問した神城がため息と共に打ち破る。


「…ウソつけないのは、変わらないなあ。
適当に、そんなことはしてないって、言えばいいじゃないか…」


バカだなあ、といつものようにふざけた口調に戻る神城。
それ以上追求をしないのか、彼女は元気に立ち上がると鷹島より先に教員室を出ようとする。
未だ動けない鷹島の方を見ずに、


「明日は土曜だし、やっぱり居酒屋に行こうか。
代行代安くなる近場でいいからサ」


現地集合で、とだけ言い放って静かに出て行った。


明るすぎる教員室に、1人残された鷹島は肩を落とす。
気も力も張っていたからか、一気に脱力感に襲われ、気づけばその場に座り込んでいた。
バカみたいに動揺している自分にも、脱力する。
神城に指摘され、気づかれ、こんなにも何も言えず悔しさが募ってくる理由はただひとつ。


鷹島から、葵に対するひとつひとつの行動に罪悪感や緊張感が無くなってしまっているのだ。
キスしたことも、忘れようとするだけで重く受け止めていない。
もう27歳にもなって、社会人経験も積み教員としても長いのに。
自分の気持ちが、まるで分からない。

今まで、容姿のおかげか生徒から思いを寄せられたり、
高校生にもなると積極的になるのか、迫られたりもした。
しかし、それらはすべて興味も無く跳ね除けてこれたというのに。


(…ンで、齋藤だけ違うんだよ、俺は…)


相手が男だから、突っぱね方が分からないのか。
それとも、葵と昔交流があったからだというのか。


少し考えたけれども、鷹島はもうぐるぐる思考することを諦めた。
深呼吸のように大きなため息を吐いて、自身の髪をぐしゃぐしゃにかき回す。
とにかく、神城を適当に言いくるめて無かったことにするしかない。
そう決めて、鷹島はカバンを持ち、約束の近場にある居酒屋に向かったのだった。




鷹島の自宅近くにある、チェーン店の居酒屋。
駅が少し近い為か、学生に人気でメニューもお手軽且つガッツリ系が多い。
金曜のおかげか客入りは多く、あたりはガヤガヤと騒がしい。
2〜3人で入れる個室がある為、鷹島と神城はそこで酒を煽っていた。


「追加注文していいよね。すいませーん、
生2つと、牛モツ鍋とぽんじり3本、あと…メンチコロッケください」


ぺらぺらと料理を注文し、テーブルの上も座敷の上も料理皿でいっぱいだ。
どれほど食べる気だ…と鷹島は呆れながらビールを飲む。
時折、自分で頼んだ刺身を食べながら、神城のどうでもいい話を聞く。
保健室に来る生徒のことやら、学生時代の思い出話だとか。

最近、プライベートといえば親戚や、葵と過ごしたことが最近だったため酒の席が心地いい。
おかげか、いい具合に酒も回ってきて、ビールからお互いサワーや日本酒に移る頃。
恐らく、神城の目的である話が彼女の口からフイと出た。


「…彰は、齋藤クンと…恋人同士なのかい?」


ため息のように出た言葉。
彼女も大分飲んだのか、綺麗な黒髪が赤く染まる頬にかかる。
学生の頃よりも大人になった顔つきは、悲しそうな表情は相変わらず見せていない。
ただ、困ったような、どうしたもんかという顔つきだ。

鷹島は、神城がいらないとよこしたつくねを頬張り、日本酒で流しながら呟く。


「違う。そういうことは、ねえよ」


それは確かに、事実である。
葵とは若干色々な過ちを重ねてはいるが、教師と生徒以外に関係の名前は付いていない。
それを察したのか、それともキスはしているという事実にか、神城は苦虫を噛み潰したような表情をする。
滅多に見せない表情に、鷹島は少し目を逸した。
彼女がそういう顔つきになってしまうことを、実際自分はしているから。


「…私はさあ、2人からしたら第三者だけどさ。
一応、彰の元カノな訳だし、更に更に見てしまったわけだよ。
もう、見ちゃって、君に確認を取ってしまったら、もう事実知ってる人なわけでさ」


すると、神城は突然べらべら喋りだした。
力が抜けたのか、テーブルに突っ伏しながらも大好きなぽんじり串を握ったまま。
時折しゃくりあげるところを見ると、完全に酔っ払ってしまったらしい。
呂律の回らない口調で、まだベラベラと喋りまくる。


「もう、彰と付き合うことはないのは分かってンだけど、気になるじゃん。
今の彰クンは誰かと付き合って結婚するのかなーって。
生徒だったら、私も教師の身として色々注意しようと思ってた…けど、
まさかの齋藤クン。男の子じゃないか…」


同じ教員として、そして女として鷹島の事は気になってはいた。
色々声をかけたり、食事をして軽く探りを入れようとしていた。
だからといって邪魔する気もなく、もし生徒だったら卒業してからじゃないと、なんて注意しようとしていたのだ。
しかし、後夜祭の時に暇つぶしがてら見回りをしていた時に、見てしまった。


「どうするの、彰。これから…」


神城は心配そうに、鷹島を見上げる。
相変わらず整った彼の顔は、今まで見たことのない表情を浮かべていた。
困ったような、それでいて切ないと苦しむような。
つり上がった眉毛は少し下がっていて、見つめる先は手に持った日本酒のグラスだけ。

少しばかり残ったそれを飲み干し、鷹島はため息を吐く。


「…どうも、しないだろ…責任がとれる訳でもないし、
ましてや齋藤から俺にそういう事を望んでるコトもない。
虫のいい話だが、そのまま、時間が過ぎるしかねえよ…」


鷹島も酒が回っているせいか、弱音を吐きだした。
俺だって、困っているんだ。と、初めて他人に打ち明ける。
少しだけ澱んだ心の中の煙が、消えたような感覚になった。
それがたとえ、イイものではないとしても。


神城が残したままの梅酒の氷が、小さく音を立てる。
2人の間に流れた沈黙から、もうこの問題に誰も終止符を打つことができない音が聞こえた。


「…もう段々帰るぞ、千春」


小さな背中を軽く叩いて、鷹島は帰り支度を始める。
代行会社に電話をかける為、一旦席を外そうと簡単な木製の扉を開けようとした。
すると、沈黙を続けていた神城が小さく声をかける。



「…齋藤クン、いい子だよ…」


その言葉は、果たしてそのままなのか、続く言葉があるのか鷹島は聞かない。
知っているとだけ告げて、神城から離れた。
続く言葉も含めて、神城の言いたいことがわかるからだ。
そしてそれは、鷹島が葵から離れなければならない理由のひとつであるから。



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