柔らかい雨と嘘と
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校舎の中も、すっかり衣替えが済んで皆秋の装いだ。
この高校の制服は、女子がセーラー、男子が学ランという昔ながらの形態。
しかしそれほど真面目な生徒はいないので、様々な装いが目立つ。
葵もその1人で、あまり学ランが好きではない為いつものカーディガンを着ていた。
「俺、学ラン似合わないし」
なんて、仲間内でケラケラ笑いながらお気に入りの薄茶色のカーディガンを自慢する。
昨年も同様の色を着ていたのだが、夏休み中のバイトで貯金が結構できたので新しいものを買った。
おろしたてのそれは、ぴったりと葵に似合っている。
似合ってはいるのだが、その色は完全に校則違反だ。
「まーた、鷹島先生に奪われるぞ」
ニヤニヤと、いつものようにからかう彰人の言葉に、葵は少しだけ表情を曇らせる。
だけども一瞬でヘラヘラした表情に切り替えて、上から学ラン羽織れば大丈夫だと軽く口に出した。
きっと、学ランを羽織らなくとも以前より言われることはないだろう。
まだこのカーディガンを着て、鷹島の前に出たことはないけれど、葵は確信を持てる。
3人に気づかれないよう、小さくため息を吐いて携帯を開いた。
カチカチと、ボタンをわざと大きく鳴らしながら、京都府観光ホームページを見る。
文化祭が終わり、中間テストを乗り越えたら、次はまたまた大きいイベントが待っているのだ。
ホームページに映る、日本の美しい風景の数々。趣のあるそこに、修学旅行で向かう予定である。
中間テストの勉強はさておき、葵は京都に行くことがとても楽しみだ。
「お、葵ってばまた京都のホムペ見てんのかよ」
「だって楽しみなンだよ、京都行ったことねぇし」
口を尖らせながらも、携帯を覗いてきた竜一と一緒に観光スポットをチェックする。
寺院にはあまり興味がないが、清水の舞台やお守りの売っているところなどは興味津々。
あえて、恋愛系のお守りや石などはスルーして、銀閣寺が見たいんだよと呟いた。
「なんで。金色の方じゃねえの」
細めの瞳を開いて、竜一はぎょっとする。
派手好きな葵のことだから、もっと派手なところに行きたいと思ったのだが、まさかの銀閣寺。
お世辞にも、派手とは言えない。
「抹茶パフェうまそう」
「あ、周辺のことか…」
しかし、葵は花より団子。
伝統建築物より、銀閣寺周辺にある女性向け有名店のカフェに行きたいらしい。
竜一には言えないが、それだけではなくお土産屋さんのなかでもちりめん細工の店舗にも行きたいのだ。
ちりめん細工の柔らかく、それでいて日本独特の小さく光るそれで作られた、ウサギが欲しい。
それに、食物を模したものもあるらしく、食品サンプルにも興味がある葵は興味津々なのだ。
楽しみだな、と心の中でほろ苦くそれでいて程よく甘い抹茶の味を思い出しながら、葵は携帯を閉じる。
「一緒の班になろうな、竜一」
隣に座る、ふわふわした髪の持ち主の頭を軽く小突く。
竜一は一瞬複雑そうな表情を浮かべたが、すぐに葵と似たようなヘラヘラした笑みを浮かべた。
「もち。俺ら4人で決定」
「渚は別のクラスだぞ」
修学旅行の班は、もちろん同じクラス。
渚が同じクラスに友達がいない訳ではないのだが、仲良し4人で行動できないのは少し寂しい。
「ま、自由行動の時はもちソッチに行くから」
だが、渚は既に予想済みのことだったので、あっさりと代替案を出す。
班行動ももちろんあるのだが、そのぶん自由行動もたっぷりある。
クラスごとの移動なんて、どうせごちゃごちゃになるのだから、平気だ。
自由行動も楽しみだなあ、と葵は内心神戸か大阪に行ってグルメを堪能したいと目論む。
修学旅行のことを考えていれば、鷹島のことは一時忘れる。
鷹島のクラスとは当たり前だが別行動だし、教員である彼が自由行動をするとは葵には思えない。
どうせ待機所辺りでノンビリするだろう。
(…もう、キ…スもしたし、満足満足…)
また、あの時の感触を思い出して、葵は慌てて立ち上がる。
突然立ち上がった葵に竜一は驚きながらも、「帰る?」と聞いた。
そろそろ日も落ちた頃だ。
隣の吹奏楽部は懸命に練習しているが、もう下校時刻。
視聴覚室にある、小さな部室から窓は見えないけれど時計の針はとっくに夕方を示していた。
「なんかさ、兄ちゃん今度の中間テストの点数次第でこづかいくれるらしいから」
修学旅行のこづかいアップだ、と葵はぐっと拳を握る。
勉強が嫌いな葵だが、いい加減2年生も終わりなので勉強しろと言われているのだ。
「……そっか、」
拓也の話をした途端、竜一はぎこちなく床を見て呟く。
きゅ、と唇を結んで葵と同様に荷物を持って立ち上がった。
「俺も、葵の真似して勉強するかな」
「葵の真似したら、歴史で悲惨な点とるぞ」
「うっせ彰人!俺は英語で挽回するからいいんですー」
けらけらと笑いながら、他愛のない話をする4人。
4人のなかでは一番気の利く渚が、電気を消して鍵を閉める。
秋のコンクールにむけて必死に演奏する吹奏楽部の曲を聞きながら、彼らは校舎を出た。
高平兄弟とは校門前で別れ、葵と竜一は同じ駅へと向かう。
2人とも別のバス停なのだが、同じくらいの時間なのでちょうどいい。
竜一に関しては、学区内ギリギリの遠い所から登校している為仕方ないのだが、
「しっかし、葵は朝はわざわざ歩いてくるのに…チャリにしねえの?」
葵はなぜか、朝は徒歩・帰宅時はバスという謎の行動だ。
「だから!朝のバスがちょうどいいの無いんだって…たまに歩いて帰るし」
「たまにじゃなくて、いつも歩けばいいじゃん」
「帰りのバスだとちょうど俺ン家の近く停るんだし、いいじゃん」
そんなことを話しながら、葵はチラリと携帯に映る時計を見やる。
お互いのバスの時間まで多少余裕がある。
駅に行ってダラダラするのもいいのだが、葵は下校時の買い食いが好きだ。
財布の都合上、あまりしないのだが今月は少しお金がある。
あくびをする竜一の肩を掴んだ。
「なに、葵」
「な、アレ食おう。今日は、アレの気分」
そのまま上機嫌に向かうところは、精肉店。
昔ながらの店舗がぽつりとあるが、そこからは食欲をそそる香ばしい匂いが広がっていた。
そこは、精肉はもちろんのことカラアゲや骨なしチキンなどが売っているのだ。
食べ盛りの男子高校生である2人にとっては、たまらない匂い。
「大丈夫かよ葵。コレ食うと、いつも夕食食べれなくなるって言ってるじゃん」
「大丈夫!別腹だって」
しかも、学生向けに売っている一番安いカラアゲは100円だ。
鶏もも肉を手のひら大ほどにカットしたそれを、油であげた商品。
正直、人によっては脂が多く選ぶ商品ではあるが、葵も竜一もそれが好き。
2人並んで仲良く購入し、セルフサービスの塩コショウとケチャップをかけた。
のんびりと住宅街を歩きながら、揚げたてのからあげを頬張る。
心底幸せそうな顔をする葵に、竜一は少しだけ呆れながら自分もそれを頬張った。
鶏肉と油特有の甘さが口の中に広がって、おいしい。
「京都でも食べ歩きしようぜ」
「どっちかというと、それは大阪じゃねえの」
「…そうなると、大阪も行きてえな!」
食べながら、食べ物の話をする元気な2人。
大阪のたこ焼きや、串カツにも思いを馳せながら一気にガツガツとからあげを食べきる。
急いで食べると消化に悪いのだが、恐らく今日は拓也のことだから野菜中心の食事だ。
彼は、飲み会の翌日はまるで肉が食べられなくなる。
「…葵さ、修学旅行どうすんの」
ふと、止まった会話の間に竜一が真面目なテンションで話しかけた。
それは、修学旅行全体を指すのではなく、鷹島とのこと。
竜一に洗いざらい話している訳ではないので、彼はとても気を使っているのだ。
とても応援する!という軽いテンションで取り持つことができない竜一。
自身が、そういう人間だからこそ、そっとしてほしいコトも多少なりともわかるのだ。
その心情を察して、葵も真面目な表情を浮かべた。
視線は、遠くに光る一番星を見つめながら。
「普通に、竜一達と行動するよ」
葵の金茶の髪が、夕日色に光る。
きらきらと光る彼の髪を見つめながら、竜一はからあげを囓る。
長めのまつ毛も光って綺麗だなあ、と関係のないことを思いながら。
「そっか。もし、自由行動アレの時は、行ってな」
「…そのときは、まー、そうだな」
ないけどね、なんて葵は少し苦しそうに笑ってみせる。
それ以上なにも言えない竜一は、食べ終えた唐揚げの包み紙を、ちょうど通りがかったコンビニのゴミ箱に投げ入れた。
時刻はちょうど、バスが来る5分前。
駅前に到着した2人は、それぞれのバス停ベンチへ向かうため別れを告げた。
「…葵ー」
反対側のベンチに向かうため歩いていた葵の背中に、軽く呼びかける竜一。
不思議そうに振り返った彼に、
「…言いたくなったら、言っていいんだぞー」
含みのある声を投げかけた。
それは、自分の経験からのアドバイス。それが、葵に当てはまるかは分からないけれど。
これで少し、葵の表情が楽になったら、それでいい。
その言葉に、葵もぼんやり察したのか、いつものへらりとした笑顔を見せた。
腰の辺りで竜一に手を振りながら、「言ったら、慰めパーティしよう」と呟く。
そうだ、葵が自分と同じようにフラれてしまったら、
ちょっと豪華にファミレスで色んなものを食べよう。
「…俺も、言わないとなあ」
葵に聞こえないように、ひとりごちる竜一。
彼もまた、手を振って自分のバス停ベンチへと向かった。
来月の修学旅行が楽しみだな、とぼんやり考えながら。
竜一と別れて、ベンチに座る葵も同様のことを考える。
修学旅行で色々なものを買い、食べるために今回の中間テストは頑張らなければならない。
期末テストよりも教科数が少ないので、高い点をとるにはちょうどいい。
葵が得意なのは、英語と現代文。苦手なものは世界史と生物だ。
(今日は、生物やるか…あー、覚えられねえ)
簡単に言えば、暗記科目が苦手。
かと言って、単語帳を買う気はないので、バスの中で教科書でも読もうと決める。
はあ、と大きくため息を吐きながら。