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校庭の隅にある、忘れられたようなベンチに2人は並んで座った。
年季が入ったものなのか、木材がキシリと痛む音を立てる。
少し遠くでは、相変わらずのお祭り騒ぎ。
本来であれば葵もみんなと一緒に、盛り上がるはずだった。
けれど、この隅の隠れた場所に鷹島と一緒にいることを選んだのは自分だ。
それはまるで、今現在進行形の、この恋に似ていた。
誰かと盛り上がるわけでもない、きらきらしている訳でもない。
祝福をされる訳でもない。実を結ぶこともない。
葵はそっと、目線だけを鷹島に向けた。
灯りが遠いせいか、薄暗くてその表情はよく見えない。
目を伏せて、のんびりと皆の声に耳を傾けていることだけはわかった。
(なんか、変だな。隣に座るのは、初めてじゃねえのに)
胸の奥が、締め付けられるように痛む。
そっと目線を自分の手の甲に戻した。
(…さっき、鷹島ちゃん告白されたんだろうな…。
誰だろ、大体3年の綺麗な先輩が多いって噂だし)
断ったことには間違いないが、やはり事実だけでもツキリと心が痛む。
鷹島は自分のものでもないのに沸きだつ嫉妬心。
この嫉妬心がいやで嫌で、葵はぎゅっと目をつむった。
瞬間、空から軽い爆発音が聞こえた。
「お、花火上がったな」
鷹島の声と同時に目を開けて夜空を見上げる。
夏休みに見た花火よりはずっとずっと小さいけれど、天気が良いおかげかとても綺麗だ。
少し木々が多い為か、ところどころ隠れているけれど、とても輝いている。
葵は思わず、うずうずと両膝を揺らしながら鷹島を見上げた。
「これさ、先生達が用意したンだよね?作ったの!?手作り?」
先程までの葛藤をすっかり忘れて、葵はきらきらした瞳で質問攻め。
その間にも花火は打ち上がり、葵の白くなってきた頬に様々な色を映す。
きらきらと色々なところが光る葵を見て、鷹島は思わず吹き出した。
「バーカ、職人じゃねぇんだよ。作れるわけあるか。夏の間に買ってたンだよ」
「え、あれ買ってきたやつなの」
「ホームセンターで売ってるやつな」
案外、チープな打ち上げ花火だと暴露すると葵は少しだけしゅんと落ち込んだ。
きっとお祭り気分のおかげで、いつもより綺麗に思えたのだろう。
そんな子どもじみた葵の表情に、鷹島は思わず口の端をあげる。
相変わらず、喜んだり落ち込んだりする姿がとても、おもしろい。
口を尖らせながら「手作りだったらいいのに」なんて、出来るわけないことを呟く葵。
少し冷たい風が、金茶の髪を優しく揺らす。
もうすっかり季節は秋の入口。だんだんと下がってくる気温に、葵の腕はうっすら鳥肌が立つ。
隣にいる鷹島は、それを見逃すこともなく、突然自分のジャージのファスナーを下ろした。
葵は鷹島の突然の行動にぎょっとして、膝を跳ねさせる。
なぜこの寒いのに突然脱ぎ始めるのだ、と。
「寒いだろ、お前上着くらい持って来いよな…」
すると、脱いだジャージを葵に貸そうと本格的に脱ぎ始めた。
はじめはその言葉がよく分からなかった葵は、慌てて鷹島の腕を抑える。
「い、いいって!腕まくり取ればいい話だし!」
こんなときに、鷹島の上着など着たら自分がどうなってしまうか分からない。
下手すると帰宅してからまた、鷹島をオカズに自慰をしてしまうかもしれない。
あの時の快感と罪悪感を思い出して、何度も首を振った。
必死に拒否をする葵に、鷹島はというと少しだけ落ち込む。
そんなに俺のジャージは臭いそうなのか?と全く違う方向に勘違いをした。
後で洗濯をしようと決めて、葵の腕をもう一度見やる。
相変わらず鳥肌が痛々しいほど浮きだっている。あまり寒い思いはさせたくない。
鷹島の手が、ゆっくりと葵の腕に触れる。
冷たい体温が、鷹島の手のひらに伝わった。
「明日からちゃんと上着来てこいよ。
だが、あのチャラいカーディガンはやめろ。校則違反だからな…」
教師らしくそんなことを言いながらも、無意識に葵の腕を掴む鷹島。
相変わらず細い腕を心配しながら。
そんな鷹島の言葉なんて、聞こえない葵。
心臓の音が全身に鳴り響いて、花火のやかましい音すらかき消す。
鷹島の上着を着ることは、なんとか回避したはずなのに。
彼は葵の思っているより斜め上の行動ばかりだ。
触れる体温や、先程より近くなった距離に、全てがどうでもよくなる。
(なんで、俺に触ったり心配したりすんの。なんで…)
思い出がフラッシュバックする。
夏の日々すべてが、鷹島と一緒にいた記憶。
そのどれもがきらきら輝いていて、いつも葵を心配してくれた。
叩いたり、乱暴に担いだりされたこともあるけれども、
優しく触ってくれたりもした。
ふと、鷹島と蛍を見たときのことを思い出す。
抱き抱えられて、唇を合わせたあの記憶を。
思い出すと、もう視線は彼の唇にしか向かない。
花火は未だ続き、鮮やかな色の光が鷹島の顔を照らす。
相変わらず、男前で大人で、たまに見せるあの柔らかい笑顔をしていた。
(好き、やっぱ、好きだ…)
胸が締め付けられるような苦しみは、まだ続く。
それでも葵は、すべてを忘れて気持ちの動くままに、足をそっと動かした。
さく、と草が踏まれる音に鷹島は無意識に視線を向けた。
おかげで葵が近づいてくることに、まだ気づかない。
最後の花火が、打ち上がる。
ラストということで、売り物にしては派手な花火だ。
ドン、と鈍い音が響いたその数秒後、赤を基調とした光が空から降り注ぐ。
同時だろうか、鷹島が葵に視線を戻したときには既に吐息がかかっていた。
え、と珍しく間抜けな声を出して驚く鷹島のことも見えない葵。
目標に達する前に、目を閉じているのだ。瞼の裏には、眩しい赤の光しか映らない。
鷹島に掴まれていない手で、彼の腕を弱い力で掴む。
ジャージ特有の柔らかい布の感触が手のひらに、そして唇には少しかさついて温かい感触。
三度も唇同士を重ねたはずなのに、まるで初めてかのような感覚に陥る。
葵は、慣れていない上に気持ちのままに動いたからか、押し付けるようなくちづけをした。
パラパラ、と炎の残り音がする。
ゆっくりと瞼の裏に焼き付いた赤い光がなくなり、闇に包まれる。
数秒も経っていないはずなのに、それはとても長く長く感じた。
だが、遠くから「後夜祭終了です!」という元気な声が聞こえてきた瞬間。
葵は音が立つくらい勢いよく鷹島から離れた。
自分でも一体なにをしたか分からない、と言った顔をして。
鷹島も目を丸くして、葵を見つめる。
不意打ちのキスに、まだ頭が追いついていないのだ。
それは葵も同じで、茹でダコのように耳まで赤らめて固まっていた。
衝動的とはいえ、無理やりキスをしてしまった。
一気に恥ずかしさと罪悪感に襲われ、慌てて立ち上がる。
「ごごめん、俺、その、あああれだよ!鷹島ちゃんに前にされたから、復讐だから!」
その上、照れ隠しでへたくそな嘘をつく。
俺ばっかりはなんかおかしくね?なんて意味の分からない誤魔化しを必死でする。
だけども、体は小刻みに震えるし、顔の火照りはとれそうにない。
このままでは、泣いてしまう。
「おい、…」
鷹島が、口を開こうとする。
その先の言葉は、嫌でも聞きたくなくて、葵は「俺帰る!」と叫んで駆け出した。
行く宛なんてないけれども、とりあえず校舎に向かって走り出す。
ひとり、呆然とした鷹島を取り残して。
息切れをするほどに、葵はひたすら走る。
周りに見られたくないためか、わざと校舎を外周するかのように走った。
自分でもおかしな行動をしていることは、分かる。
けれどそれ以上に、先ほどの行動と頬の火照りをかき消したかった。
(なにやってんだ、俺!なんでキスなんて、くそ…!)
自分を追い込むような罵倒を心の中でしつつも、ふわふわと浮だつ気持ち。
自分が勝手にしたことなのに、くちづけたことが、嬉しかった。
心から好きだと感じた、幸せになった。
鷹島の驚いた顔を思い出すと、罪悪感に苛まれるが、それを上回ってしまう。
俺のばか!と心の中で叫んで、葵はまだ誰も到着していない自分の教室へたどり着いた。
激しい息切れをなんとか抑えながら、ゆっくりと自分の席に座る。
ぺらぺらのカバンを枕がわりにしてなんとか息を整えた。
走ったせいなのか、それとも先ほどの事でまだ火照っているのか、心臓が痛いくらい跳ねる。
やっぱりまだ、頬は熱くて、胸が苦しい。
鷹島とキスなんて今回で四度目だし、それ以上の事もした。
ただ想いが重なっていないだけで、しかも痛い思い出の方が実は大きい。
体も、心も。
それでもやっぱり、好きで好きで仕方なくて、何度でも想いはこみ上げる。
(明日から、どうしよう…本気で顔見れねぇよ)
文化祭が終われば、次は修学旅行。
楽しみにしていた京都・大阪の遠出だ。
せっかくだから、最後の思い出にと鷹島と少しの時間だけでも、過ごそうとしていた。
けれども、もう無理かな。なんて、葵は大きく息を吐いた。
明日からまた、同じ日常が始まる。
申し訳程度にテストにむけて勉強して、部活して、のんびり過ごす。
そこの中に、鷹島が少し遠くなるだけだ。
ぐ、と拳を握って葵は「キスもしたし、もういい」と上辺だけでも決めることにする。
本当はそんなこと、心の底からは思えないのだが。
そうでもしないと取り繕えなかった。
「あれ、葵戻ってたのかーどこ行ってたんだよ」
渚の声が頭上から降ってくる。
込み上げそうになった涙を飲み込んで、葵はいつものように顔をあげた。
「んー、ちっと抜けがけ?みたいな」
「なにそれ!あーわかった、海の時の女子来てたからだろ!」
「そんなとこー」
へらへらと、どうでもいい話をして時間が経つことを優先する。
その声に釣られて、竜一や彰人がやってきた。
これでいい、友達と適当な話をして楽しんで、修学旅行もそうやって乗り越えて。
そのうち卒業がきっとできる。
そう、葵は強い決心とまではいかなくとも、そう決めた。
1日で色々なことがあった文化祭が終わる。
すっかりと夜になった外を、明るい教室からそっと見つめる葵。
頭の片隅では、やっぱり鷹島のことを、少しだけ、思い浮かべながら。
明日から、また変わらない日々が始まることを祈って。