忘れたい恋をする。
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あっという間に盆も終わり、わずかばかり残った夏休みも終わり。
今日からまた現実的な学校生活が始まるのだ。
2学期という最も長く、最も行事が多い季節と共に。

8月ももう終わり、9月突入寸前だというのに残暑はまだまだ厳しい。
茹だる様な暑さでも、体育館は少しばかり涼しかった。

葵は、静かな体育館の中始業式中だというのに、だらだらと胡座をかいてアクビをする。
毎度の事ながら、校長先生の話は驚くほどに長い。
ただでさえ退屈なのに、延ばされると更に退屈だ。
葵は全く先生の話を耳に入れず、何となく前にいる竜一の背中に文字を描いて遊ぶ。
因みに、彼らのクラスは比較的自由なので整列は好きな順番だ。

すすす、と指を滑らせる度に竜一はびくびくと身体を跳ねさせる。
葵はちょいちょいこうやって竜一の背中にイタズラをするのだが、反応が良くて楽しいらしい。

「葵ー…何だよ、ちんこって書くなし!」

「違いますーちんこじゃありません、きゅうりでっす!」

「うそこけっ」

こそこそ話していると、隣のクラスの真面目な生徒にギロリと睨まれてしまった。
何だよアイツと苦い表情をする2人だが、確かにこそこそ話す自分達にも非はあるので口を尖らせながらも黙ることにする。
それでも暇なものは暇なので、葵はポケットをごそごそと弄って何か無いかと探す。
携帯を堂々と弄ると、取り上げられる可能性があるので別のものを。
結局、見つかったのは今朝何故かくすねてきた兄の描いたくだらない4コマ漫画ぐらい。

仕事の昼休みにでも描いたのだろう、右下には『夕陽ヶ丘図書館』の文字がある。
因みに、4コマの題材は「葵の日常」らしい。
某人間に近いそれが、「腹減ったー」だの「俺はとろろは食べない!」だの描いてある。
拓也の天然を通り越した行動に呆れながら、それを竜一にこっそり渡した。

案の定、肩を揺らして噴出すのを堪えている。
拓也の絵に笑っているのか、それとも葵の日常で笑っているのか。
分からないが、またもや隣のクラスの真面目な生徒が竜一を睨んでいるのを見てニヤニヤする葵であった。


「えー…では、産休の飯塚先生の代理として2学期から養護教諭として来た先生を紹介します」

すると、いつの間にか校長先生の話が終わったのか、新しく来た教師の紹介が始まった。
紹介の通り、養護教諭の飯塚が産休を取ったため1〜2年以上は旭日高校勤務の養護教諭が代わるのだ。
のんびりとした素朴な飯塚に代わり、今度はどんな人が保健室の先生になるのだろうと、皆興味津々。
保健室は、学生達にとって癒しの場であり、頼れる場所なのだ。
特に女子にとっては尚更。男子にとっては別の意味で、興味津々だ。
それは、葵も同じだったらしく。


「来た…!俺まだ見てねぇんだよ…美人かなー飯塚センセみたく素朴な感じも良かったけどっ」

「意外とおばちゃんかもしんねぇぞー」


わくわくしながら、またまたこそこそと竜一とどんな人か予想し合う。
もう隣のクラスの真面目君は無視である。
そして、全校生徒が注目の中、代理の養護教諭は案内されて壇上に上がってきた。


「みなさん、はじめまして。
飯塚先生の代理で来ました、神城 千春です。
いつも保健室にいるので、怪我した時だけではなく悩みがあったりした時でも気軽に来て下さい!
よろしくお願いします」


優しいけれども、遠くまで通るような綺麗な声。
柔らかそうな黒髪は、肩甲骨まで伸びて美しい。
大人の女性らしく襟足を残して後は上で結われている。
顔立ちは美人に近いものがあるが、目元は優しそうで親しみが持てそうだった。

にっこりと優しく微笑む姿に、全校生徒は呆然と目を丸くする。
まさか、代理で若い綺麗な女性が来るとは思わなかったのだ。
だんだんと「本当に?」「美人じゃん」などざわめきだす中、葵も思わず竜一の肩を叩きながら、


「やべ!来たこれっ!俺今日から保健室通い決定!」

と興奮するが、竜一はというと

「マジでー?俺はあんましタイプじゃないなーもっと茶髪がいい」

特に好みではないのか適当にあしらった。
葵は竜一の淡白な反応に、「ちぇー」と口を尖らせながら後で他の友人達にもリサーチしようと計画立てる。
相変わらず、美人や可愛い子・タイプの女子に積極的に反応するのは変わらない葵。
盆が終わってから、今日まで鷹島と会わなかったおかげが、少しばかり彼を想う気持ちが薄れたのだ。
薄れたというよりは、葵が無理やり忘れようとしているだけなのだが。

だから、葵は校内で鷹島を見かけてもあまり見ないようにしている。
元々クラスも違うし、葵が堂々とチャラチャラしていなければ接す事の無いような間柄だ。
このまま行けば、きっと気持ちも忘れられるだろう。

その忘れたい思いに拍車をかけるように、葵は早く彼女を作りたいと最近意気だっているのだ。
だが、


「ねぇ、保健の先生若くて美人じゃん?
よくさー、体育教師と保健の先生ってデキるよね」

「えーっ!やだー、鷹島先生と神城先生じゃお似合いじゃんー勝てなぁい」

「なにアンタ、鷹島先生狙いだったのー?ヤダー」


きゃははは!と、なるべく小声で笑う女子が葵の隣でそんな会話をしだした。
ズキン!と葵の心が槍で貫かれたような痛みを発する。
思わず息が止まり、周りの音が聞こえなくなった。
確かに、体育教師と養護教諭のカップルなんてよく聞いた事のある、想像し易いものだ。

だが葵は、ぱっと小さく頭を振ると、鷹島のことを忘れようとする。


(いやいや、何嫉妬してンだ俺!関係ない…てかむしろくっついてくれた方が踏ん切り付くし!)

あんな美人で優しそうな人ならば、天国の鷹島の母親も喜ぶだろう。
そう、葵は鷹島への恋心と嫉妬を、善意で無理やり包み込んで隠す。
それくらいしないと、また嫉妬で泣いてしまいそうだからだ。
もう、あんなツラい気持ちになりたくなり葵。

忘れるように、また竜一の背中に文字を書いて遊び始めた。
もうすぐ、校歌斉唱があるのだが気にもせずケラケラと笑いながら。



始業式の日は、授業が無い。
おかげで、夏休み気分をほんの少しだけひきずる事が出来るのだ。
周りの人たちはまだ宿題が終わっていないのか、今日提出しなくともいいもの(授業中に回収するもの)をラストスパートでやると意気込んでいる。
一方、珍しく全ての宿題を終わらせた葵は、早速バンド練習とついでに遊びに行こうと竜一と高平兄弟を誘った。
だがしかし、

「ごめん!国語のワークもう少しで終わるからさ…!」

「俺も…ちょっと待っててくんね?」

「葵が全部終わらせるなんて…くっそー」

3人とも微妙に宿題が終わっていなかったらしい。
おかげで、葵は3人の宿題が終わるまで、1人お先にバンド練習の出来る視聴覚室に行くはめになってしまった。

その辺に転がっていた石を蹴りながら、葵は1人二棟へと向かう。
渡り廊下を通って行った方が涼しいのだが、どうせそのまま帰るため外から入ろうとしているのである。
おかげで、日光が頭を直接熱した。おかげで、くらくらしてしまう。
また熱失神を起こさないように、葵は持って来たタオルを被りながら足を速めた。

すると、二棟に向かう途中にある保健室が目に入る。
ふわりと吹いた南風に揺られる、ベージュの柔らかいカーテンの向こうには神城の姿。
早速、神城に会いに沢山の生徒が訪れているらしく、笑いながら何かカルテのようなものをチェックしている。
その笑顔を見て、俺も行ってみようかな!と葵のチャラい部分が疼き、足を止めた。

だが、足を止めたおかげで気づいてしまう。
向こうから鷹島が書類や教師用教科書を抱えながら、歩いてくるのを。


どうやら、二棟の職員室へと向かっているらしい。
体育教師用とは別に、担任用の机で仕事をしようとしているのであろう。
擦れ違う生徒たちと挨拶を交わしながら歩く姿に、「いつも通りの鷹島」が葵には見えた。
それは、教師としての鷹島の姿。
夏休みに出逢った鷹島とは、また違った姿だ。


鷹島を、また教師としてのみ見れることに葵はホッと安堵の息を漏らした。
だが、その安堵の息はすぐに飲み込まれることとなる。


保健室から生徒が大量に出て行く姿。
恐らく、部活が始まるから・バスの時間だからなどの理由で一斉に解散したのだろう。
そのおかげで解放された神城は、保健室の窓から少し身を乗り出して、ある人に向かって手を振ったのだ。


「彰、彰…!ちょっと来て!」

小さな声で、壇上で見た笑顔とは違いリラックスした表情で呼ぶ。
呼ぶ名前を聞いて、葵はドキっと心臓を跳ねさせ、目を丸くした。
その名前は、葵もよく知っている名前だ。だが、心の中では「別の人だろう」と期待し続ける。
けれど無情なことに、その期待はあっさりと裏切られてしまった。

その声を聞いた鷹島が、ゲッと顔を歪めて焦るように保健室へと小走りしてくる。
辿り着いて神城の頭を軽く叩くと、小声でこそこそと会話しだした。


「おい、学校では名前で呼ぶなっつただろ…!」

「ごめんごめん、二棟の職員室行くならついでにコレ持ってって?」

「自分で持って行け、俺は行くぞ」

「いけず!」


慣れ親しんだ会話に、くだけた表情。
それらを、少し遠くでただただ見つめる葵は、ずきずきと響く胸の痛みを覚えていた。
けれども、その光景を別の形で一度見た事のある葵。
琴美の時と同様に、きっと親戚か何かの類なのだろうと決め付けた。


(鷹島ちゃん家って女ばっかしなのかな…すげーな)

さも、興味がその程度ですと言わんばかりに取り繕って、葵は慌てて二棟の視聴覚室へと再び足を動かす。
先ほどよりも、早く。鷹島と神城の話し声や姿が見えないように。
そのせいで、葵は気づくことが出来なかった。

ポケットにしまったキーケースを落としてしまったことに。



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