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葵の気持ちとは裏腹に、翌日の空は青色に澄み渡っていた。
気温は相変わらず高くて、外に出ているだけでじわじわと汗が滲むほど。
しかし、涼しい夕方に自宅に帰るためか、父母と拓也はのんびりと涼しい居間でテレビを見ていた。
後で野菜を収穫しようと皆で計画立てながら、しばし談笑する。

だが、その団欒の中には葵の姿は無かった。
まだ寝ているという訳ではない。彼は1人、霊園へと向かっているのだ。
焼き付けるような日光が眩しいので、ちょっとダサいけれど祖母の麦藁帽子を被って。
片手には仏花、もう片手には葵の好きなうさちゃんクッキーを持って歩く。

じりじりと焼け付くアスファルトの上を、無我夢中で歩けば数分後辿り着く静かな霊園。
盆ももう終わりだ、墓参りに来る人はほとんどいない。
盆終わりにお見送りにと尋ねる人もいるけれど、この辺りでは迎えと掃除が主流らしい。
しかも午前ともあって、霊園はしんと静まり返っていた。
聞こえるのは、遠くで鳴くセミと、川のせせらぎだけ。

じんわり染みてくる汗を拭いながら、葵は墓石の名字をチェックしながら歩き回る。
草の上も歩くので、サンダルを穿いた葵の足は今にも草負けをしてしまいそうだ。
そして、ようやく記憶と照らし合わせてその場所を見つけることが出来た。

黒っぽい色をした、綺麗な墓石には『鷹島』という文字が彫られている。
墓石はピカピカに磨いてあり、鷹島やその親戚一同がいかに故人を大切にしているか分かった。

葵は小さく息を吐いた後、きゅっと唇を結んで黙々と作業を始める。
仏花はまだ生き生きとしているけれども、水を足して自分の持って来たものも足す。
美しく両手に飾られた仏花を整えつつ、うさちゃんクッキーを供えた。

そっと手を合わせて、葵はゆっくりと瞼を下ろす。
静かに、静かに息をしながら木々の葉が風で揺れる音を聴いた。
周囲に誰もいないことを確認すると、葵は唇を動かし始める。

小さな、声を出した。


「…椿の…あれ、なんだ?…モチーフ?を、ありがとうございました」


約10年前に、会ったことの無い鷹島の母から貰った椿のモチーフのお礼を伝えた。
病気でこの世界から旅立った彼女に、届くかどうかは分からないけれど、葵は感謝しているのだ。
会ったことも無い自分に、病気の身体でお礼をと編んでくれたことを。
大事にしてます、と小さく報告する葵。
伝えられて良かったとほっと胸を撫で下ろした。

そして、同時に葵は深く頭を下げる。
同じく伝えたかったことが、あるからだ。
葵は膝に手を当てながら墓石に向かって頭を下げるという異例な行動をしつつ、震える声で伝える。


「…ごめんなさい…」


ぎゅっと膝を握れば、むき出しの膝小僧に爪が少し食い込んで痛い。
それでも、胸の真ん中を軋ませる痛みに比べれば、軽いものだ。
葵はぐっと息を飲み込んで、自分の気持ちを吐き出すかのように、罪を償うかのように言葉を続ける。


「俺、は…ガキなのに、男なのに、…鷹島先生を好きになりました…」


昨夜、寝て起きてを繰り返しては考え続けた結果、やっぱりこの気持ちは否定できなかった。
ツラかった。自分の気持ちが怖くて、葵は少し呼吸困難を起こしてしまった。
水を何度か飲みに行ったためか、少々寝不足。
その寝不足と心の軋みとの引き換えに、葵は1つの結論を手に入れたのだ。

それを、誰も応えない墓石に向かって伝える。


「…でも、大丈夫っす。きっと、忘れるから…」

ありがとう、ってだけの感情になれるから。
そう心の中でも伝えて、葵はぱっと顔を上げる。
目の前の景色も、空気も何一つ変わることは無い。
ただ、葵の懺悔に似た声だけが誰の耳にも聞こえることの無く響いただけ。

この気持ちは、自分にも鷹島にも、色々な人のためにも忘れた方がいい。

葵は、そう決めてここに決意を示しにきたのだった。
けれど、涙腺は素直なことに緩んで一滴の涙を零す。
葵は急いでそれをごしごしと乱暴に拭うと、また墓石に向かってお辞儀をした。

震える肩に、1匹の羽黒トンボが止まる。
それは、鷹島が捕らえて逃がした、あの「神様トンボ」と同じものだった。
まるで大丈夫だよ、大丈夫だよと慰めるように葵の肩でゆらゆらと羽を揺らし続ける。
その存在に気づかないほど、葵はひたすら頭を下げたまま。

日差しがゆっくりと移動して、木々の隙間から木漏れ日として葵の髪を照らす。
その光に気づいてか、羽黒トンボは頼りない薄い羽で、ふよふよとどこかへ飛んでいってしまった。
それでも葵は未だに頭を下げ続け、何度も心の中で「ごめんなさい」と伝える。

そうでもしないと、好きという感情に決意を押しつぶされてしまいそうだから。


夏休みももう終わり。
鷹島と過ごしたひと夏の日々も、もうおしまい。
2学期になれば、忙しさに想いが負けて忘れることが出来るだろう。
悲しいポジティブシンキングを決め込んだ葵は、ばっと顔をあげると麦藁帽子が外れそうになるのも気にせず駆け出した。




その頃、自宅であるアパートへ戻ろうと車を走らせている鷹島。
車内ラジオは、高速道路の渋滞状況や天気予報のことばかり。
心地よいジャズ風の音楽と、眠気を誘う穏やかな女性の声を聞きながら、鷹島はコンビニで買ったパンを食べる。
すると、待ち時間が長いと有名な信号に捕まってしまった。
めんどくさそうに眉間に皺を寄せながら、鷹島は同様にコンビニで買った飲み物を口にする。

ふと、暇つぶしにと隣に並ぶ店を見れば、とあるギフトショップが目に入った。
そこには大きな「ウサちゃん」のぬいぐるみが、惜しげもなく店の中に飾られている。
反射的に、鷹島はそれを見ると葵の事を思い出してしまった。


『昔の俺みたいに接さないで…!』


わたわたと落ち着かずに手足をバタつかせながら、涙目でそう言ってきた昨夜の葵。
その意味が拒絶ではないと、鷹島が気づいた瞬間、歯止めは無くなっていたのだ。
温かいような痺れた感情が、胸の奥から沸き起こり、思わず口付けていた。
柔らかい唇、震える睫毛、自分に縋りつくように回された腕。
葵の身体の感触を思い出すと、夏特有のおかしなムラムラした感情が沸き起こってくる。

鷹島はそれを振り切るように、小さく頭を振ると更にパンをガツガツと食べ始めた。
パンのせいで奪われた水分を補おうと、適当に買ったスポーツドリンクを飲みながらアクセルを踏む。
自宅に着くまであと数十分。
着けば、すぐに授業の準備やら、研修で学んだことなどの復習や授業への応用を考えなければならない。
2学期は修学旅行に文化祭と忙しいので、それらの計画もしっかり見直さなければならないのだ。

仕事に没頭してしまえばこの欲情めいた感情を忘れることが出来る。
けれども、今は。


(…俺は何やってンだ…)


鷹島ちゃん!と懐っこい笑顔で、自分を呼ぶ葵を思い出した。
きらきらと眩しい笑顔で、くるくると変わる表情で、楽しそうに笑う葵。
たった1ヶ月の間に、様々な葵の姿を見て、触れた。
そのおかげで、忘れようと思っているのに、感情は膨らむばかり。


(忘れろ!忘れろ、俺!…くそっ…)


口付けた時、拒否も拒絶の色も無かった葵を衝動的に思い出すと、彼を犯したことも蘇る。
忘れろと何度も自分に言い聞かせても、それは逆効果であり。
どんどん、どんどん鷹島の中で葵の存在は大きくなる。


もやもやする感情を押しつぶそうとしていると、またしても信号に捕まる。
ちょうど良いとばかりに、鷹島はハンドルに自分の額を打ち付けると、深い溜息を吐いた。

鷹島も、そして葵も。
2人が迎えた夏の終わりは、「忘れたい」と願う気持ちだった。
その忘れたい感情は2人とも同じであるはずなのに。
彼らの距離も、関係も、感情の色も。
全てが違うが故に、この想いは罪なのだと思っているから。

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