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次に目が覚めると、葵は病室のベッドの上に居た。
心配そうに見つめる父と母の姿が目に入り、葵はだるい身体を起こそうとする。
慌てて母が止め、頭を撫でながら「寝てなさい」と優しく葵に声をかけた。
しばらく、ぼんやりと天井を見つめ続ける葵。
まだ身体の倦怠感も残っているので、口を動かす気力も出なかった。

目に見えて弱ってゆく葵に、母は見えないように唇を噛み締める。
薬剤投与で、いくらか良くはなっているもおかげでふわふわの髪がどんどん抜け落ちていった。
その髪を慈しむように、母はゆっくり頭を撫でる。
そして、また同じようなことを小さく呟くのだった。

「大丈夫、あおちゃん。もうちょっとだからね」


掠れた音で、葵の耳に届く願いに似た言葉。
もうちょっとで学校に行けるんだ、と葵はその言葉をひたすら信じた。


数日後、葵は病室から出ることがほとんど出来なくなった。
葵から誰かに病気が感染することは確実に無いのだが、健康な人間から葵に感染することは有り得るからである。
おかげで両親や兄もなかなか見舞いに来ることが出来ない。
秋から冬にかけては、風邪などのウイルスが蔓延しやすいため、おちおち見舞いに来れないのだ。
ますます寂しくなって、葵は毎日のように2階の窓から駐車場を眺める。
両親が来ることを期待して。

ある日、また葵が窓の外を見ていると、駐輪場に見たことのある影を見つけた。
学ランを着た背の高い青年は、駐輪場に自転車を止めると早足で病院へと向かっている。
よく見えないが、見た事のある顔に葵はなぜか興味津々で観察し続けた。
だが、彼はすぐに病院の中に入ってしまった。
出てくるまで、また待とうと葵はしばらくまたぼんやりと窓の外で待っていた。

そんな葵のことなど露知らず、青年はまた母親の病室へと向かう。
そう、葵の見つけた青年は、あの時葵と出会った青年と同一人物だったのだ。
葵は薄っすらしか覚えていないが、青年はしっかりと葵の顔を覚えている。
しばらく学校が忙しく、母親の病室に行くことで精一杯だったが余裕が出来たので、葵に会おうと決めていた。
母と話し、必要なものを届けると、彼はまた受付へと向かう。

そして、名前が分からないので必死に受付に葵の姿と病状を伝えた。
やっと葵だと分かった受付は、申し訳無さそうに表情を歪めて首を横に振る。

「…葵くんですね、申し訳ないのですがご家族以外では…」

「ドア越しでもダメですか?」

「…申し訳ありません、許可が出ないのでお引取りください」

青年はガックリ肩を落として「分かりました」と返事をした。
それほど病態が悪いのかと思うと、彼の心は痛む。
葵の病気も、何も知らないというのに、なぜかひどく気になって仕方ないのだ。

だが、会えないとなるともう諦めるしかない。
青年は深く溜息を吐きながら、駐輪場へと足を運んでいった。
その姿を、葵がじっと見ているとも知らずに。


(やっぱり、あの人だ…!)


駐輪場で自転車の鍵を弄る青年の姿を発見し、葵は思わずわたわたと手足を動かし焦る。
何とか気づいてほしくて、葵は思わず窓ガラスを叩いてしまった。
2階の窓を子どもの力で叩いた位で、気づくのか不安だったが何故か必死になっていた。
その必死さは、不思議なことに通じたらしく、青年はゆっくりと葵の方を振り向く。
そして、


(…居た!)


青年は葵に向かって大きく手を振った。
彼も自分を覚えてくれていたと知り、葵は嬉しくなってツラい身体を跳ねさせる。
寂しさでいっぱいだった心が、嬉しさともどかしさでいっぱいになって、葵は思わず満面の笑みを浮かべた。
すると、青年は思い立ったように葵の病室の下に向かい、近くにあった木に上り始めたのだ。
葵はびっくりして、焦りながらもマスクをかけてから窓を小さく開ける。

その間に、青年はするすると木を上ると、あっという間に葵の目の前に来た。
まるで、童話で見た王子様のようで葵は目を丸くする。


「よぉ、大丈夫か窓開けてて」

青年は太目の枝に腰掛けると、葵に笑顔を向けてきた。
実は、葵の病状を見て養護教諭に聞いたり、図書館で調べて少し彼の状態を知っている。
なるべく手早く済まそうと、青年はごそごそとポケットを弄っていた。
すると、葵はまだ彼と話していたいのか更に窓を開けて、はにかむ。

「…うん、ちょっとなら大丈夫!」

窓から乗り出そうとする葵に、青年は慌てて「あんま乗り出すなよ」と注意した。
それを聞いて、葵は少し口を尖らせるも、大人しく引っ込む。
そんな葵に、青年は思わず笑ってしまう。素直なのか、素直じゃないのか分からない子どもだと。
青年の笑顔を見て、葵はまたあの気持ちが蘇る。
胸のあたりがくすぐったくて、たまらないのだ。この気持ちはなんだろうと、首を傾ける。


「そうだ、これ俺の母親がお礼にって」


すると、青年がポケットから椿のモチーフを渡そうと手を伸ばしてきた。
どうやら彼の母親は、葵が見つけてくれたと知って嬉しかったらしい。
お礼と、早く病気が治りますようにという願いを込めて編んだものだ。
葵はそれを早速受け取ろうと、手を伸ばす。

子どもながらに、小さく願いながら。
彼の手に、触れてみたいと。


「…何してるんだ!?」

だが、その願いは叶わなかった。
ちょうど回診に訪れた医師と看護師が、慌てて2人を止める。

医師はぴしゃりと窓を閉めると、青年を睨みつけて「帰りなさい!」と声をあげた。
看護師は、葵をベッドに戻るよう促しながら、「外からのものはあまり入れてはダメなのよ」と注意する。
葵は嫌だ嫌だと抵抗するが、敵わず。
次に窓の外を見たときにはもう、彼の姿は無かった。


(あれ、欲しかったのに!
もっと、話したかったのに!
あの人の名前、聞いてないのに…!)


大人はずるい、分かっていないと心の中で八つ当たりをする葵。
けれど、いくら喚いても無駄だと気づくと、小さく肩を落としたのだった。

だが次の日も、青年は医師の目を盗んで木に登りガラス越しに葵と会ったのだ。
葵は、それが嬉しくて嬉しくて、毎日ワクワクしながら窓の外を見つめ続ける。
青年が来るのは、1週間に3日程度だというのに、葵はその3日がまるで世界の休日かのように喜ばしかった。

しかし、葵の転院先が決まり翌日には別の病院へ移ることが決まってしまった。
もうすぐ病気が治るかもしれない、学校に行けるかもしれないという希望とともに、もう青年とガラス越しに会うことが出来ない寂しさが葵を襲う。
そんなある日のことだった。

今日も、医師の目を盗んで青年は木に上る。
葵がもうすぐ転院してしまうことなど知らずに。
すると、いつもは窓ガラスを閉めたままの葵がマスクをして手も消毒すると、窓を開けたのだ。
青年はびっくりして目を丸くするが、葵の寂しそうな表情で気づく。


「あお、どうした?」



優しい声が、葵の耳に久しぶりに届く。
葵の名前を初めて呼んでくれたことに、葵は嬉しくて仕方なかった。
ただ、彼が葵の名前をあまり聞き取れず「あお」という名前だと思っているのが問題だが。
葵を呼んだその声を、しっかりと覚えながら、葵は震える声で彼に伝えた。


「俺ね、明日から別の病院に行くンだ」



青年は、急なことに驚いて、思わず足を踏み外しそうになる。
しかし何とか踏ん張って、落下することを阻止すると目を泳がせながら必死に言葉を探した。
そして、少しだけ寂しそうに笑って、


「そうか、別ン所行ったらすぐに治るといいな」

葵の無事を祈る。
たった数日間、窓ガラス越しに会っただけの名前しか知らない子どもだというのに。
彼にとって、いつの間にか「会いたい存在」になっていたのだ。
それは、葵も同じ。
なぜか涙が出そうになって、葵は必死にパジャマの裾で目を擦るが、ぽろぽろと涙の粒は落ちていく。


「…うん…でも、寂しい」


今まで子どもながらに抑えてきた感情が、涙と同じようにぽろぽろと零れた。
他人に甘えたいという、恋愛に似た感情が溢れて止まらない。
治りたいけれど、彼と離れたくないという矛盾に胸の真ん中がキリキリと音を立てて痛んだ。
涙を流す葵に、青年は焦りながらも安心させるために微笑んで手を伸ばす。



「あお、泣くなよ。良くなンだろ?大丈夫だ、俺はここにいるから」



優しく葵の頭を、撫でながら。
葵はそのぬくもりを感じると、また安心して涙を拭いながら微笑んで見せた。
がんばる、と小さく頷く。
すると、青年はポケットからあるものを取り出し、持って来た消毒スプレーを軽くかけた。
そして、それを葵の小さな掌にそっと乗せる。


「お守りみたいなもんだ」

それは、小さなウサギのぬいぐるみ。
以前彼の母親が編んでくれた椿をつけた、可愛らしい「ウサちゃん」だった。
葵はそれをぎゅっと握り締めると、「ありがとう」と伝える。何度も、何度も。

最後に彼の手をぎゅっと握って体温を共有する。
彼と自分は会ったのだ、ここにいたのだという証拠を刻み付けるかのように。

そして、葵は転院しもう二度と彼と会うことは無くなった。
ただ、彼に貰ったウサギのぬいぐるみだけは今もまだ葵の部屋に大切に保管されている。
だから葵は、ウサちゃんが特別大切なのだ。



「それから、こっちの病院で治療して…今はめちゃくちゃ元気になったンだよね」

小学校卒業前まで闘病生活が続き、やっと今の元気いっぱいな状態に回復したのだ。
葵は、一通り噛み砕いて鷹島に告げ終えると、小さく溜息を吐く。
こんな話をして、困らせてしまっただろうかと不安になった。
なぜなら、鷹島が何も言わず口に手を当てて何か考え込んでいるからだ。
やはり、しなければ良かったと葵は後悔し、わざとらしく「まあ、可愛いもんは好きなンだけど!」と明るく話題を逸らそうとする。

すると、鷹島の顔がゆっくりと上がり、泣きそうな顔でじっと葵を見つめた。
こんな表情をする鷹島なんて見た事が無い葵。
胸の奥が、きゅうんと音を立てて切ない痛みを走らせる。
同情したのだろうか、と思う前に鷹島は小さな声を出した。


「…あお、」


鷹島に話した際、青年が葵のことを「あお」と呼んでいたことは一言も告げていない。
そして、このことは青年と葵しか、知らない。
葵はその数個の事実から見出せる、確かな事実を未だ紡げずに硬直した。


「お前だったのか…」


鷹島は目の前の葵を力強く抱き寄せて、良かったと震える声を上げた。
残酷なことに、鷹島は「あお」のことを記憶の隅にしまって忘れてしまっていたのだ。
顔なんか、覚えていない。けれど、その過去は確かに記憶にあった。

あの時の青年と、鷹島が同一人物だと理解する間、葵はじっと鷹島のぬくもりを感じて目を閉じる。
それは、あの時触れた掌と同じものだった。


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