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「あ!破れた…」

黒い大きな出目金魚を捕ろうとした葵だったが、案の定水でふやけて破れてしまった。
結局1匹も捕る事が出来ず、肩を落として諦める。
隣に居た鷹島が、「残念だったな」とフォローしているのかしていないのか分からない声をかけるので、隣を見れば


「あ!鷹島ちゃん1匹捕ってるし!」

「ああ、1匹だけな」


ビニール巾着の中には、ゆらゆらと水の中で小さく泳ぐ朱色の金魚がいた。
尾ひれが他のモノとは違って長く、優雅にひらひらと舞う姿に葵はあんぐり口を開けて凝視する。
とても難しかったのに、鷹島はあっさりと1匹しかもとても綺麗な金魚を掬ったのだ。
器用なのか、運がいいのか分からないが葵はちょっとばかし鷹島を尊敬してしまう。
ぼんやりと金魚を見つめ続ける葵を見て、鷹島は小さく笑いながら話しかけた。

「やるよ」

差し出された金魚に驚いて、葵は瞬きを数度する。
また何も言えずに受け取ると、鷹島は座れる所を探すためにきょろきょろと辺りを見渡した。
すると、多くの人々がざわめきながら通ってゆく中、鷹島はやっと簡易ベンチを発見する。
ちょっと不良が溜まっているのが見えるが、鷹島は気にせずに「来い」と命令してベンチに向かった。
しばらくぼんやりと金魚を凝視していた葵も、慌てて返事をして鷹島のちょっと斜め後ろを着いていく。
相変わらず下駄に慣れなくて、ふらふらしてしまうけれども鷹島と逸れたくなくて頑張って足を動かした。


「おし、ここでちょっと休んでろ」

辿り着いたベンチの土ぼこりを軽く手で払いながら、鷹島は座れと葵を誘導させた。
浴衣が汚れないようにという配慮なのだろう。
ちょっと紳士な所に、鷹島が20後半の男なんだなぁと葵は自分との違いを改めて思ってしまう。
さすがにドキッとしたりはしないのだが、優しくされていると感じてしまうのだ。
大事にされてるんだよ、という冬香の言葉をうっかり思い出してしまう。
ふわふわと気持ちが浮いて、思わず素直に一旦ベンチに腰を下ろした。

だがしかし、葵が腰を下ろしたと同時に離れていく鷹島にハッと気づく。
慌てて立ち上がって鷹島の腕をガッシリ掴むと、


「え!?いやいや、半分も見てねぇし!」


俺平気だから!と強がって隣に並んだ。
本当はさっきの車酔いがちょっとばかし残っていて、あまり食欲が無い。
けれど、鷹島と初めて一緒に来た夏祭りだ。ちょっとの時間でも、長く一緒に居たい。
しかし鷹島はあっさりと手を離して、


「ンな青い顔して何言ってンだ、まだ時間はあるンだから慌てンじゃねぇよ」

また無意識に葵の頭をくしゃくしゃに撫でて「何か買ってくる」と言って行ってしまった。
保健体育の教師である鷹島に、顔色が悪いのはもう隠し通せない。
葵は諦めて、また撫でられた箇所にそっと手を置きながらベンチに腰を下ろした。

そろそろ中身のぶどうに到達しそうな飴を無我夢中で舐めながら、葵はぼんやりと空を眺める。
遠くに見える夕陽が、もう既に紫色になっている空をちょっとだけ照らしている。
交わりそうで交わらない色が何だかとても綺麗で、思わず見とれてしまった。


(…なんか、鷹島ちゃん今日優しいよな…)


それでも、考えることは鷹島のことばかり。
一緒に夏祭りにと誘ってくれたのも、色々とモノを買ってくれたのも、葵を気遣ってくれたのも。
今まで、優しくて真面目だと思ったことは一瞬一瞬あったけれど、今日は一段と気遣ってくれる。
どうしてだろうと疑うも、素直に嬉しくて顔が綻ぶ。
もしかして脈アリ?なんてうっかり浮かれてしまい、直後に自分が鷹島を好きという事実を思い出してしまった。


(いやいや…男に恋とかマジ無いし…)


大体、鷹島の好きな所なんて知らないと自分に言い聞かせる葵。
やっぱり自分が好きなのは可愛い女の子であり、鷹島のような男ではないと。
そもそも、同性に恋愛感情なんてありえないだろうと葵は他の人を対象に想像を始める。
竜一も双子達もありえないし、鷹島と同世代位のバイト先の店員もありえないと小さく首を振った。

でも、鷹島のことを考えると心がふわふわ浮いてくる。
それはどうしようもなくて、葵は思い切り溜息を吐いた。
どうしたら忘れられるだろう、と。

すると、隣でべちゃくちゃ喋っていた不良たちの声が一瞬止まった。
こそこそと何か話し始め、チラチラと葵を見てくる。しかし、その視線に葵は全く気づかない。
そしてとうとう、


「ねぇ、1人で祭り来てンの?」


不良たちの1人が、無遠慮に葵の隣に座ってきたのだ。
どうやら1人で座っていた葵を、友達と逸れた女子と勘違いをしているらしい。
まさか葵は自分がナンパされているなんてことに気づかず、別の誰かに話しかけていると思って何の反応も返さなかった。
鷹島先生まだかな…なんてぼんやりするばかり。
すると、更に不良は近寄って、


「えー?無視とかひどくねぇ?」

葵の顔を覗き込む。いきなり目の前に見知らぬ他人の顔が現れて、葵はビクリと肩を揺らした。
まさか自分だったとは思わず、男にナンパされていると理解するまで呆然と口をあけたまま、おろおろする。
逆ナンすらされたことがほとんど無い葵にとっては、ひたすらどうしたら良いか分からず、とにかく自分が男だということを言おうとした。
しかし、気づいた葵がオロオロしていることを良い事に、仲間の不良たちも寄って来る。
下品な笑い声をあげながら、葵を取り囲んだ。
恐らく、この地域では滅多に居ない派手目の女性と見たからだろう。残念ながら、男なのに。


「タツローいきなり声かけンなよ?ビビっちゃってンじゃんねぇかー」
「なー、イカ焼き食べる?」
「何か肩幅広くね?水泳部ー?」
「水泳部じゃね?ボーイッシュだしよぉ。俺、ボーイッシュ大好きよ?」


高校生のチャラ男とはまた違った、人を馬鹿にしたようなノリに葵はぞっと身震いする。
正直、こういった部類は嫌いな葵。
自分が普段チャラいのは棚に上げておいて何なのだが、人を不快にさせるような喋りをする人間は嫌いなのだ。
無視しよう、と決め込んで葵は視線を地面に落とす。
結構ですというのは出来るのだけれども、口を利きたくないのはもちろん、バカにされたくなかったのだ。

こういった人たちに俺は男ですといえばどうなるか、分かる。
ゲラゲラ笑われて、気持ち悪いと罵られ、オモチャにされるのだ。
せっかく祭りに来て、不快な気持ちになりたくない。一生懸命、葵は我慢をした。


「すげー、この襟みたいのレースじゃん」

すると、無言で動かない葵をいい事に、1人が葵の胸元に手を伸ばす。
レースを見るふりをして、若い滑らかな肌をちょっと触ってきたのだ。
恐らく彼は、胸を触ろうとしていたのだが葵の胸に膨らみは無い。
それでも、彼らはボーイッシュな女子と思っているので胸が無くても気にはしていないのだ。それがまた、災難の原因。
触られた瞬間、葵の中で渦巻いていた嫌悪感がどっと飛び出す。
胃底から沸きあがるような嫌悪感に、吐き気を催して更に俯いた。

帰りたい、何で俺こんな格好して絡まれなくちゃならねぇんだよ…と、心の中で葵は毒を吐く。
けれども言葉を喋ったら最後、更に絡まれるし下手すると男とバレて悲惨な目にあうのが必至。


「うっわ、タツローセクハラしてンじゃねぇよ。怖がっちゃってンじゃん」
「ねぇ、暇してンなら俺らと遊ぼうぜ?大丈夫、女の子も呼ぶからよ?」

だが、葵が黙ることで更に調子に乗っていく彼ら。
普通ならば拒否と受け取って退散するのだが、祭りで浮かれているらしい。
段々怒りが悲しみに変わって、葵の目じりに涙が浮かんできた。悔しくて仕方ない。

すると、


「…おい、何してンだ」

いつもより低音の声が、葵の頭上から振ってきた。
思わず顔を上げれば、焼きソバを持ちながら不良たちを睨んでいる鷹島が、居た。
鷹島の姿を確認した瞬間、葵の瞳が震える。
思わず縋るように小さく「…あ、」と声をあげると、隣に座っていた不良がうろたえながら舌打ちをした。
だが、彼らは葵の連れだとは思わず、単にナンパ行為を許さないどこかの先生かと思っているらしい。

行こうぜ、と葵の腕を掴んでどこかへ連れて行こうとした。
だが、そんなこと鷹島が許すはずも無い。
一瞬で鷹島は状況を判断し、不良が掴んでいる手とは別の空いている手を優しく掴んで、


「行くぞ、…葵」

名前を呼んで、葵の手を優しく引いてその場から去った。
手を繋いで名前呼びの時点でようやく不良たちは、彼氏だと分かり諦めたように大声でわざとらしく「あーあ」と声を合わせる。
名前のおかげで、相変わらず葵を女子だと勘違いしっぱなしなのだが。
いつもの名字呼びだったら「どういう関係?」で更に突っ込まれることを知って、鷹島は初めて葵の名前を呼んだのだ。

そのせいで、葵の思考は停止して、頬は耳まで真っ赤に染まってしまった。
鷹島に手は繋がれて引かれるし、名前は呼ばれるしでもう何がなんだか分からない。
心臓はドキドキしっぱなし、手が勝手に汗ばんできて滑ったらどうしようとそんな所で焦ってしまう。

しばらくして、別のベンチを見つけると鷹島は手を離して、葵を座らせた。


「わりぃな、名字で読んだらますます絡まれると思ったから。
…つーか、お前なんで絡まれてンだよ。男だって言えば良かっただろ」

ったく、と呆れたような溜息と一緒に、葵に焼きソバを渡す。
焼いたばかりの温かいそれを、葵は呆然としながら受け取った。
ふう、と小さく息を吐いて心を落ち着かせる。
さっきからドキドキしっぱなしで、心臓が痛くなってくる程なのだ。


「…見て気づくかと思ってたし…言うと、もっと絡まれるし」

「あー…そうかもしれねぇけどよ…」

人として無いとは思うが、下品な奴らのことだ。
ゲラゲラ笑って「付いてンの?」とか言って、葵の身体を触ってきたかもしれない。
うっかり鷹島は想像すると、無条件に怒りが湧き起こってきた。
葵の身体を、他の男に触られたくないと無意識に感じてしまい、その感情に気づいた自分を更に無意識に押し込める。
…未だ、鷹島はこの感情を教師としての保護欲と勝手に結論付けているのだ。

今度は変な奴らに絡まれないようにと、鷹島は葵の隣に腰を下ろした。
自分の分の焼きソバを食べながら、元気をなくした葵を心配する。


「大丈夫か、具合」

「平気…」

平気と言いつつ、か細い声に鷹島は不安になって顔を覗き込んだ。
すると、先ほど見た困ったような嬉しそうな表情を浮かべている葵。
しかも頬は朱に染まっていて、瞳は潤んでいた。

色気のある表情に、鷹島は思わず生唾を飲む。
なんだか今日の葵は、浴衣のせいなのか夜のせいなのか鷹島には分からないが色気がある。
さながら、あの時してしまった過ちの時を彷彿させるようなもの。
それは、葵が今この瞬間、鷹島に恋をしているから。…そんなこと、鷹島が気づく訳が無い。

鷹島は慌てて目を逸らすと、繕ったように「無理すんなよ」と言って焼きソバをがっついた。
そんな鷹島を見て、ようやく葵は気がほぐれたのか、いつものヘラヘラした笑いを取り戻す。
葵も美味しそうな焼きソバを食べながら、


「鷹島ちゃんがっつきすぎっしょー?食い意地っすか?」

失礼なことを言ったのだった。
うるせぇ、と鷹島に軽く睨まれて、また葵はヘラヘラと笑う。
ドキドキする感情をひたすら心の底に押しやりながら、葵は紅しょうがを絡ませて更に焼きソバを口に頬張った。

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