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聞いたことのある声が、葵に向かって大きく叫ぶ。
みんなビックリして足を止め、振り返ると案の定声の主は啓太だった。
ぱたぱたとヒーローもののサンダルを鳴らして葵の元へ走ってくる。
葵が呆然としていると、


「さっき、助けてくれてありがとう!」


啓太は溢れんばかりの笑顔でお礼を言った。
葵の胸がきゅんと躍る。なんていい子なんだ、と頬が緩んだ。
周りにいた竜一達も健気で可愛い啓太に癒されたのか、顔を綻ばせた。
元気になってよかったなーと葵は啓太の濡れた髪をわしゃわしゃと撫でながら返事をする。
すると、

「啓太!勝手に離れるな…って、お前ら…」

またもや、啓太のお守り役・鷹島がやって来たのだ。
竜一達は「また会っちゃったよ」と嫌そうな顔つき。女子達はもちろん嬉しそう。
…葵は、複雑な表情を浮かべて沈黙した。そんな葵の表情に不思議になりながらも、鷹島は啓太を抱っこしながら、


「齋藤、さっきはコイツ助けてくれてありがとな」

お前にも特技があるもんだな、といつものように茶化しながら礼を告げる。
葵の心が一気にふわふわと浮いた。
なんだか、鷹島の子ども(ではないのだが)を助けて感謝されるのならば嬉しいだなんて、思ってしまう。
そんな自分がばからしくなって、ちょっと頬を緩ませながら「いや…」と返事する。
が、しかし簡単に葵の心に平穏はやって来なかった。

「あーきーらぁ!あたし疲れた!おんぶー」

「ぐえっ!琴美…!」

酔っ払った琴美が、思いっきり後ろから鷹島に乗りかかり、ぐりぐりと後頭部に頭を押し付ける。
啓太を潰すわけにはいかないので、鷹島は必死に踏ん張りながら耐える。
仕方ないので啓太をおろして、でろんでろんに酔っ払った琴美をおぶった。彼女がスレンダーでよかったと心底思う。

夕陽でオレンジ色に染まる海沿いの道路。
鷹島に甘える彼女、それを受け入れる鷹島。あまりにも、綺麗だった。
葵の心が壊れる音がする。なぜか、心の中で「かなわない」という単語がリフレインした。


「ったくガキじゃねぇンだからよ…あ、齋藤お前…」

鷹島の手が葵の頬に伸びる。砂がついてるぞ、とそれを取ろうとしているのだろう。


だが、葵は思わずその伸ばされた手をぴしゃりと叩き落して、拒否した。


初めて葵に完全な拒否をされて、理解が追いつかず呆然とする鷹島。
おかげで、震える葵に気づかない。

そのまま葵は鷹島に何も言わず、だっと走ってちょうど来たバスに乗り込んでいった。
竜一達は呆然としていたが、慌ててバスに乗り込んでゆく。
ばいばい鷹島先生ー!とみんな手を振りながら。
鷹島は呆然としながらも、手を振ってくる生徒達に一応手をあげて「気をつけろよ」と声をかけた。

バスが行ってしまい、啓太が「帰ろう?」と声をかける。
その声が聞こえた瞬間、ようやく鷹島は葵に拒否された、嫌われたと気づいた。
棘どころいじゃない、槍に突かれたような痛みが鷹島の胸に突き刺さる。

ずきずきと音を立てて熱くなり、冷や汗が沸いた。
俺が一体何をした?と、自分の行いを振り返りながら、葵のことを思い出す。


『一緒にいると、楽しい』


そう言って、幸せそうにはにかむ葵の笑顔。
ぎゅっと抱きついてきた体温、一緒にふざけあった時間。
それら全てが、終わったのか?鷹島は傷む心を抑えながら、ふらふらと自分達の車へと戻っていった。
むにゃむにゃと寝言を呟く琴美、あの兄ちゃん人魚みたいだった!と嬉しそうに話す啓太を連れて。


「葵ってそんなに鷹島先生のこと嫌いだったっけー?」

一方、帰りのバスの中。
竜一達に先ほどはどうしたんだと絡まれる葵。
本当は、黙って居たかったのだがそうする訳にはいかないので作り笑いを浮かべてごまかす。


「そーそー!海に来てまで絡みたくねーしっ…俺もう疲れたー」

「そうなんだー?良い先生じゃないの?」


隣に座る優子に心配されたが、その心配じゃ葵の心は潤わない。
適当に「いつも俺の頭掴んでくる!」と鷹島の株を落とす発言を繰り返した。
良い所は敢えて教えない、今は。
ぼんやりと窓の外を見ながら、夕陽できらきら光る平行線を見やる。
先ほど鷹島が触れてきそうになった頬に恐る恐る触れて、付いていた砂をさっと落とした。


バスはそれぞれの家が近いところで降りることになっている。
葵は家の近くがバス停のため、みんなより先にバスを降りた。
また遊ぼうなー!と手を振りながらみんなを見送る葵。
静かな夕暮れの住宅街に、バスの排気音だけが響いて、消えた。

ぼんやりとバスが行った後もそこを見つめる葵。
生暖かい風がそよそよと濡れた髪を揺らし、ちょっと乾かす。
何だか家に帰りたくなくて、葵はとぼとぼと公園に向かって歩いた。
子どもたちが帰る足音が住宅街に広がる。その子どもの声を勝手に啓太に重ねた。

夕飯時で誰もいない公園に、葵は1人ぼんやりとベンチに腰を下ろす。
呆然と夕陽を眺めながら、今日のことを思い出していた。
楽しかったみんなで遊んだことじゃない。…鷹島の幸せそうな家族みたいな光景。


また、忘れていた痛みがぶり返す。
胸が痛くて痛くて、熱くて苦しい。みんなといたから、その痛みは抑えられていた。
今は、1人。



「…っぐ、う、っ…うっ、」


勝手に嗚咽が漏れてきた。
気づけば、涙が溢れて止まらない。その涙は熱くて、頬が溶けそうになるほど。
涙を流すたび、心が苦しくて痛くてたまらない。
それなのに、鷹島のことを思い出して、止まらなくて。

泣きたくないのに、ぶるぶる震えては涙をぼろぼろと膝の上に落とした。
ぐしゅぐしゅと鼻を擦りながら、止まらない嗚咽にしゃくり上げる。


(いやだ、俺…嫌だ…苦しい、痛い、)


鷹島のことでこんなに苦しくて、泣いてしまう自分が信じられない。
でもそんなことより、鷹島に愛する人が居て子どもまでいることが辛かった。
こんな痛み、苦しみ、涙。…気づかないはずが、無い。

溢れてくる涙を擦りながら、葵はひっくひっくとしゃくりあげ泣いた。



(嫌だ、…すき、好きになンて、なりたくねぇよ…!)



こんなにも、悲しくて辛いのは、鷹島のことが好きだから。



…こんな辛い思いをして、気づきたくなんてなかった想い。
気づこうとしては吐き気がしたのは、男を好きになってしまう自分のこれからが怖かったから。
葵だって男だ。むしろ普通の男だ。普通に女子と恋愛して、結婚して、家族を作りたかった。
鷹島と付き合うなんて、分からなすぎて怖い。まだ子どもな葵には、未知数すぎて恐怖だったのだ。

けれどもう、気づかないなんてことは出来ない。

鷹島のことが好き。
彼に恋人がいたら、こんなにも狂おしく嫉妬に溺れてしまうくらい。

今は、鷹島の好きなところとか、鷹島といて幸せだったことが思い出せない。
止まない嗚咽に苦しみながら、好きになりたくない好きになりたくないと何度も何度も願った。

夕陽はゆっくりと沈んでゆく。
空が紫色に染まるまで、葵は1人嗚咽をあげながら泣き腫らす。
泣けば人間すっきりするものだ、と教えてもらったことがあるのにその涙は葵の心を癒さない。
むしろ、泣けば泣くほど自分が惨めで、いかにバカで、無謀な思いを抱いているのか突き刺さるばかり。

やっと涙が収まる頃には、もう夜が訪れ空には星達が光り輝いていた。
泣いて腫れた瞼を擦りながら、ぼんやりと空を見上げる。
きらきら光って綺麗な夜空を見ていると、行ったばかりの合宿のことを嫌でも思い出した。
苦手な肝試しを、鷹島と一緒にしたこと。
繋がれた掌の感触、温かみ。鷹島の、自分をからかう声。

鷹島と一緒にいて楽しくて、ふわふわする気持ちは、幸せだったから。
やっと気づいた気持ちに葵は苦しくて仕方ない。

枯れたはずの涙が、またつうっと頬を伝う。
認めてしまった、気づいてしまった以上忘れることなんてできない気持ち。
それでも葵は願った。月にも、星にも、信じても居ない神にまで。
お願いだから、自分のこの気持ちを消してくれ、と。

好きだけれど、好きになりたくない。
そんな矛盾しすぎている願いを。

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