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次の日から、葵はバイトと宿題に追われる日が続いた。
気づけば7月も終わりに近づいている。
バイトと言っても、週に2、3日しか入れていなかったはずだが、どうやら人手不足らしく勝手にシフトが増やされていたためである。
因みに、葵がバイトしているのは少々高級なホテル。
結婚式の披露宴や、宴会場などによく使われるのだが、葵はそこでウェイターとしてアルバイト業に励んでいる。
内容は料理を運んだり、飲み物を追加したりテーブル準備など意外にハードなものだ。
しかし給料が良い。週に数日入れるだけで収入がコンビニのレジ業務より遥かに高いので、葵は辛くとも頑張っていた。
今日も1件披露宴と宴会が入る。
高校生なので、宴会は準備だけで何とかなったのだが、如何せん体力勝負。
やっと披露宴が終わり、宴会の準備が終わった頃にはもう時計は夜の8時を過ぎていた。
ふらふらと竜一と一緒に蝶ネクタイを外しながら、ロッカーへ向かった。足が棒のように痛む。
「あー…疲れた…もう足痛ぇ…」
倒れこむように、床に座り込む葵。
ワックスでちゃんと固めた髪をわしゃわしゃにかき乱し、いつものふわふわスタイルに戻した。
その仕草を横目で見ながら、竜一は「確かにやべぇ」と返した。早く帰りたいので、急いで着替えつつ。
竜一が急いでいるので、葵も気づき自分も慌てて着替え始める。
シャツを脱ぎ、適当に着てきたTシャツに腕を通した。
スラックスはこのまま着てきたのでロッカーの鍵を閉めて、帰る準備は万端。
ふと、葵は今月のバイト三昧の利点を思い出した。
「そういや、今月末東京行くじゃん?俺らマジリッチな買い物できンじゃね!?」
いつも月2、3万ほどの収入で携帯代などを補っているのだが、きっと今月は終日働いたので5は超えるだろうという憶測。
東京で服やアクセサリー、葵のこっそり目標であるうさちゃんぬいぐるみが沢山買えるのだ。
そして、みんなで海に行く交通費もしっかりある。
今月末まで、夏休みらしい遊びをしていないので葵はわくわくと心を弾ませた。
「だな!俺、ちょっとレゲエに挑戦してみっかなぁって思ってたし色々買えるな」
竜一も同様に心を弾ませながら、携帯をポケットに突っ込む。彼も葵と同様にチャラい。
夏はちょっと髪を伸ばして、ワックスで固めたいなとちょっとした目標を作ったりしていた。
そんな談笑をしながら、2人は他のバイト達に「お疲れっス」と挨拶をして帰路につく。
もう辺りは暗く、夏特有のぬるい風がふいていた。
竜一が乗るバス停まで、葵は一緒に歩いていく。
いつも竜一は「先帰ってていい」と言うのだが、葵は「竜一がバス乗るまで居るよ」とやんわりと拒否するので、いつもこのお決まりパターンである。
暗いバス停で1人待つのは寂しいことを分かっての、ちょっとしたわがまま。
その優しいワガママを知って、竜一はちょっと嬉しくなった。
葵のこういう何気なく優しいところが、好きである。
それはもちろん、友人としてなのだが。
今日も、ちょっと街外れのバス停で2人のんびりだらだらバスを待った。
「なー、合コンしてみてぇなー」
葵が足をぱたぱたさせながらそんなことを呟く。
今、自分の周りにいる女子達はみんな「女友達」
彼女になってくれそうな子と、葵は最近出会えていないのだ。
たとえ、彼女になってもどうせフラれることを葵はめげない。
竜一はちょっと苦笑して、
「海ン時色んな子と知り合えンじゃね?何か彩花が他校の子も連れてくるとか言ってたし」
女友達の情報を教えた。
途端、葵は目を輝かせて、ぐっとガッツポーズを作りながら、「よっしゃ!今年の夏こそは!」と気合を入れる。
相変わらず、彼女が欲しくてたまらないらしい。
そんな葵にバカだなぁと思いつつも、竜一は「お前は彼女とかどうすんの?」と聞かれたらマズいのでさりげなく話題を変えた。
「そういや、今年の宿題多いけど大丈夫かー?葵いっつもギリギリになって徹夜してるって聞いたけど」
もちろん、拓也からの情報なのだが何となくぼかして。
しかし葵はあまり細かいところを気にしないので、誰から?ということは気にせず、なぜかふんぞり返りながら、
「竜一…よく聞いてくれた…実はな、古典のワーク以外全部終わったンだ!!」
凄いだろ、俺!と言わんばかりに声を張った。
竜一は一瞬呆然としたが、まさかの出来事に「マジかよ!?」と葵同様声を張った。
まさか、あの勉強嫌いで宿題はぐだぐだな葵が、真面目に宿題をほとんど終わらせるなんて予想もしなかったのだ。驚くのも無理はない。
しばらく唖然とする竜一に、葵は得意げになって、
「やっぱさ、ご褒美があると人間頑張れるよなー。やっぱ、馬のニンジンは効くな!」
後半部分の意味は分からないが、とにかく何らかの餌で釣られて葵は宿題を終わらせたのだろう。
しかし、拓也は葵にとても甘いので宿題を結局手伝うようなことを言っていた。葵の感情優先もしくは兄弟なのでそこまで考えていない。
よって、兄はありえない。
一体誰に餌を釣られたのか。
「え、親にもしかしてなんか言われたのか?」
と竜一は聞くが、葵の両親は2人揃って長期出張のはずである。
しかし、メールや電話で「宿題終わらせたらなんかあげるね!」とでも言われたのだろうと踏んだのだ。
だが葵は逆に疑問を浮かべて、
「ん?何も言われてねぇけど?そういや母さんさー帰ってきたと思ったらすぐ戻ったンだよ…しかも凄いリビング酒だらけにして…困ったー」
両親に何か言われた訳ではないらしい。
ましてや、母がそのような有様で「宿題しなさい」なんて言う訳が無い。
いつだって、拓也と葵のちゃんとした教育は父が行ってきたのだから。
そんなことは流石に竜一も知らないが、何となく予想がついて「ああそう…」とちょっと呆れる。
だが、それでは
「…じゃあ、誰にご褒美貰うンだ?」
一体誰だ、という疑問を素直に葵に向けた。
葵はすぐさま得意げになって「鷹島ちゃん」と言おうと思ったが、はっと気づき口を結ぶ。
下手に彼の名前を言い、「どんなきっかけで?」と聞かれれば、うっかり親友である竜一に喋ってしまいそうになるからだ。
いきなり黙った葵に、竜一は疑問を更に募らせる。
「え?言えねぇ人なのか!?」
「ち、違う!言えない訳じゃねぇけど、その…りゅ、竜一の知らない人だからさ!!」
どう説明したらいいか分かンねぇんだよな〜と誤魔化した。しかも、目を泳がせながら。
竜一はその仕草でそれが嘘だと気づくが、それ以上言及できなかった。
自分も隠し事をしているのに、葵にばかり言及するのは何だかアンフェアだと思ったのだ。
ましてや、「言えない人」だなんて。
竜一はふっと視線を床に落とす。
古びたバス停のコンクリートに、小さな虫が光を求めて急ぎ足で横切るのを見ながら、
「そっか、いいな俺もご褒美欲しいなー」
と、葵の嘘を見ないふり。
葵のほっと胸を撫で下ろす仕草も見ないようにしながら、適当に話を続けた。
そろそろバスが来る時間。
明日もバイトがあるので、2人はちょっと愚痴を言いながら明後日の齋藤家へのお泊り予定に華を咲かせた。
そのときに、東京に行くためのスケジュールと海に行くスケジュールをちゃんと建てようと言い合いながら。
遠くで鈍い車輪の音が聞こえた。