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竜一は放心状態で固まり、拓也はおろおろと「いやな、これはな」と言葉になってない言い訳を繰り返す。
不思議な光景に葵は首を傾げながらも、
「竜一ィー!遊びに来てたなら俺来た時に出てくればよかったのによぉー」
と、特に気にしていないのかけらけら笑いながら竜一の肩を叩いた。
やっと意識を戻した竜一は、はっとしながらも
「わ、わりぃわりぃ!ちょっと勉強教えてもらっててさー」
と、即座に何事も無かったかのように繕う。
いつものように返事が出来てよかった!と竜一は内心自分を褒め称えたが、爪が甘かった。
葵はふと竜一の手を見やる。
「…なんで手ェ繋いでンの?」
拓也と竜一は手を繋いだままだった。
2人とも顔を青ざめ、急いで手を離せば、ますます怪訝そうに2人を見つめる葵。
何度も首を傾げる姿に、2人共心臓をバクバク鳴らしながらも、拓也は何とか言い訳を振り絞った。
「さっき、り…青木くんが転びそうになってだな、だから繋いでたンだよ葵」
まだ、葵に「付き合ってます」とは言えないのだ。
ちょっと苦しい言い訳だが、これ以外思い浮かぶ余裕など微塵も無い。
3人の間に微妙な空気が流れ、竜一は泣きそうになった。
もし、葵にバレて「お前…そういうやつだったんだ…」と軽蔑されたら一生の終わり。
拓也のことも大好きだが、葵のことも友人として大切に思っているのだ。
(…謝る…いや、何を…!?)
パニック寸前になる竜一は、思わず頭を抱えた。
直後、
「竜一は家のフローリングでよく滑るからなぁー。大丈夫かー?」
葵の明るい声。
どうやら、手を繋いでいたことなど気にしていないらしく、竜一が転びそうになったということが気になっているらしい。
けらけらと笑いながらも、2人の間に割りいる。
そして、軽く拓也を睨みながら竜一を拓也から隠すようにして2人の距離を伸ばした。
じっとりと軽蔑の眼差しを葵に向けられ、拓也は恐怖に肩を揺らす。
その視線が見えない竜一は、いきなり離れさせられたことに驚くばかり。
「…兄ちゃん、俺に飽き足らず竜一にまでセクハラすンなよ…」
珍しく怒っているのか、地声よりも1トーン低い声で拓也に注意…どころか脅迫した。
久々に見る弟の怒りに、拓也は怯えながらも、
「いやいや!してねぇよ!つーか実の弟にセクハラなンかしてねぇだろ!?」
呆然としている竜一への誤解を解くために反論する。
しかし葵は全く怯まず、またしても竜一を庇うようにゆっくりと玄関へと彼を連れて行きながら、
「はぁ?いきなり抱きついたり、体触ったり、風呂にいきなり入ってくンのはセクハラだろ!キモい!まさか部屋に竜一連れ込んで…!?」
「違っ…!それは兄弟のスキンシップ…」
確かに拓也はあまりにも過保護で、そして人に触れることが好きな性質である。
葵に度が過ぎたスキンシップをしたり、竜一に下心(もちろん恋心もある)を持って部屋に連れ込んだりしているが、断じてセクハラではない。
と、本人は思っている。
葵の疑惑の視線は止まらない。
どうしようかとパニックになって、拓也は竜一に助けの眼差しを向けた。
しかし、やっと見えた竜一の顔は。
「…実の弟に…」
葵と似たような表情をしていた。
じゃあ俺帰るね、と葵に「だけ」言い放ち、竜一はさっさと帰宅して行ってしまった。
待ってくれと追うことも出来ず、拓也はがっくりと肩を落とす。
後でメールと電話で必死に謝るしかないな、と苦しい未来予想図を思い浮かべながら。
「そうそう、来週竜一と双子が泊まりに来るから…変なことすンなよ」
これ以上、自分の兄弟が変態だと思われたくない葵はそう宣告してまた自室へと戻って行った。
葵が階段を昇りきったあと、拓也はがくりと膝を落とす。あまりにも、ショックだった。
なぜならば、葵に軽蔑されたことではなく。
(竜一が…家に泊まるだと…!?)
一度もお泊りなどしたことのない竜一が来週泊まるという何とも据え膳状況なのに、この引き離された状態にだった。
拓也はしばらく、風呂上がりの竜一や寝顔などを想像して唸りながらも、こういう時ばかりキレる頭脳をフル回転させたとか。
一方、無意識に兄と竜一の仲を軽く阻害する人物となってしまった葵は、自室に戻ると早速宿題をやり始めた。
英語は得意な方なので、まず英語のワークから終わらせることにしたのだ。
スピーカーから流れるアップテンポな曲を口ずさみながらシャーペンを走らせる。
あまり勉強することのない葵だが、決して1ミリもしない訳ではない。
教科書と単語帳、文法解説を照らし合わせながら1ページ2ページと進めて行った。
(…7月中に…終わるかな…?)
まだ、数学と古典ワークと物理と歴史のプリント。そしてなぜか出された保健体育の数枚のプリント問題が残っている。
あまりの量に眩暈がするも、何だか意欲が湧いてしまった葵。
苦手な古典と物理は竜一に聞きながらやろう、と意気込む。
ふと、プリントファイルを取り出し、保健体育の宿題を見つめた。
量的にはすぐさま終わるだろう。
しかし、なんとなく葵はそれを後回しにしてみた。
もう一度ファイルにしまいこんだ。
夏の夜特有の生ぬるい風が、開けた窓からはみ出たプリントを揺らす。