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柔らかい物腰の校長先生は、ゆっくりと夏休み前の業務を再確認していた。
普段、あまり校長室に来ない鷹島の顔を見て、彼の顔はほわほわと柔らかく微笑みを作る。


「おやおや、鷹島先生…こンな朝早くからどうしたンですか?」


生徒への夏休み前の指導の確認ですか?とのんびりとした口調で聞いた。
しかし、鷹島は息を呑んで、真剣な面持ち。

一体どうしたのだろう、と校長も一緒に息を呑んだ。


「…住谷校長先生、実は、」

鷹島の鼓動が早まってゆく。
もはや分裂するんじゃないか、と言うくらい煩く激しく心臓は動いた。
生徒を犯してしまいましたという重たい言葉がおかげで出てきやしない。

一向に言葉を出さない鷹島に、校長は不思議な顔をして首を傾げてしまった。

ダメだ、言わなければ。
鷹島はそう何度目かの決心をして、口を開いた。


「生徒を、」


と、言った瞬間。



「ちょ、!まま待って待てー!!」


ドガン!と勢いづいた音が響いたと思えば、息を切らした男子生徒の声が、静かな校長室に響き渡った。

ぽかんと校長と鷹島が口を開けていると、突如現れた侵入者は、呼吸を必死に整えながら、鷹島の隣へと駆け寄る。

金茶のふわふわした髪は、走ってきたおかげでぼさぼさ。
相変わらず服装違反オンパレードなスタイルは、いつにもましてだらしない。急いで出てきたのだろう。

そう、鷹島の隣にいる彼こそが、葵。
鷹島が教職を辞めて責任を取ろうと決めた原因。

なんでここに、と鷹島は追いつかない頭でそればかりを必死にリピートさせた。

そして、葵はようやく息を整え、


「あの!…鷹島先生を辞めさせないでください!」


と、必死に訴えた。
感極まった、先生思いの言葉に校長は思わず涙ぐむが、鷹島を辞めさせる理由など無い。校長は何も知らないのだ。というか鷹島はまだ告げていない。

やっと鷹島がなぜ葵が来たか悟る。


「バカお前…!なんで…!?」

何でそんなことを言ってンだ、と訴えれば葵はキッと鷹島を睨み上げる。睨み方が下手なのであまり怖くないのだが。
じっと、自分を見上げる葵の瞳が揺らめく。
その綺麗さに、思わず鷹島はその後の言葉が出なかった。

そんな2人を見て、1人意味も分かっていない校長先生が、首を傾げながら


「えーと、齋藤くん?鷹島先生が何かしたのかな?」


ずばりポイントを突いた。
鷹島と葵は、2人合わせて息を止める。
先生にヤられちゃいました!生徒を犯しちゃいました!なンて口が裂けても言える訳が無い。

しかし、鷹島が口を開くのは時間の問題だ。
この場でまた土下座する可能性も少なくは無い。

それでは葵が早起きして校長室に乗り込んできた意味は0である。
足りない頭で、葵は必死に言葉を打ち出し、叫んだ。


「あの!お、お俺いつも鷹島センセに叩かれるから、兄ちゃんが辞めさせてやるって言ってて…!でも、俺が服装悪いのが、悪いンで!だから…」


葵の兄なら言わないことも無いが、嘘を吐く。
案の定、隣に居た鷹島はぽかんと口をあけていた。
何でコイツは俺のことをかばうのだ、と。

さすがにキつかったかな、と葵が無言になった校長先生をおろおろと見つめ始めたとき、


「それならば辞めさせる必要は無いですね。鷹島先生、あまり叩かないようにしてください。あと、齋藤くんも服装はちゃんとしてくださいね、お兄さんにもよろしくお願いします」

ゆっくり、やんわりと校長は2人に注意した。
ついでに、後で鷹島先生もお兄さんに謝ってください、事を荒立てられたら大変ですとだけ。

実際、兄は怒っていないので謝る必要は皆無なのだが、鷹島は「わかりました」と、返事をしてしまった。

そんな鷹島を見て、校長はふふと笑顔を零し、


「こんなに齋藤くんに好かれてるからね、辞めたらかわいそうでしょう?」


まるで何かを悟ったかのように、鷹島の肩を何度か柔らかく叩いた。
「好かれている」の言葉に、葵はわたわたと「そんなことは!」と真っ赤になって否定する。
が、校長はより笑みを零すだけだった。






「…お前は何がしてぇンだよ…」

校長室から出て開口一番、鷹島が溜息を吐きながら告げた。
葵はきょとん、と質問の意味を理解していないのか目を丸くする。

「だから、いいのかっつてンだよ。俺が辞めなくて」


あんなことされりゃ、俺が居ない方がいいだろ、と。
葵から目を逸らしながら小さく呟いた。

すると葵は、眉間に皺を寄せてしばらく黙った後、ぐいぐいと鷹島を押す。校長室から遠ざけるためだ。
力は強くないのに、逆らえずに押される鷹島。

廊下の隅に追いやられた鷹島は疑問を浮かべながら葵を見下ろした。
小さな頭は相変わらず金茶の髪でふわっふわ。

俯いていて表情は分からないが、小さな声が聞こえた。


「…先生にヤられて、俺すげーショックだった。無理やり、その、い、いれられた時はもう死ぬかと思った…でも、」


ば、と顔をいきなり上げる葵。
その表情は、困ったような顔をしていた。
意外と大きなその瞳は、じっと鷹島を見つめる。


「俺!先生が居なくなるのは、イヤだ!だから、だから…」


早起きして校長室に来たンだよ、と涙声で訴えた。
彼のキャパシティは色々限界なのだろう。10代後半と言えども、まだ子ども。
自分の感情の膨らみが、もう分からない。


鷹島は、そんな子どもにひどく心揺さぶられた。
こんなにも、誰かに引き止められたことは一度たりとも無い。自分を、必要としてくれることも。

思考の赴くまま、鷹島は柔く葵の頬を撫でる。
皺も何も無い綺麗な肌は暖かかった。


「…俺は、お前に2度も助けられたな」


ふ、と鷹島は嬉しそうに微笑む。
くしゃりとした笑顔を、葵は初めて見た。
葵には、その笑顔が、ひどくきらきら光って見えた。
思わず葵もつられて笑ってしまう。

これでよかったのだ、と心の中でひどく安堵しながら。


「あー…でも、俺は納得いかねぇから何か奢ってやるよ、何食いたい?」


すると、鷹島が葵の頬から手を離し、ポケットに手を突っ込みながら告げた。
『奢る』というキーワードに、葵の目が光る。現金な性格極まりない。

葵は即座に、


「焼肉!焼肉食いたい!」


ぴょんぴょん跳ねながら答えた。


「!や、焼肉…」

鷹島の口の端が引きつりまくる。
脳内で即座に財布の中身を思い出し、笑顔が一瞬にして苦い顔になった。
ただでさえ給料日前。しかも今月は結構出費をしてしまい、懐が冷えて仕方ない。
だから弁当にしているのだ、最近は。

しかし、言ってしまったことは仕方ない。
鷹島は今月の夕飯は白米と納豆だけでガマンするか、と決意し、


「…わかった、どこの店がいい?」


拳を握りながら、未だわくわくしっぱなしの葵に聞いた。鷹島は某高級焼肉店か、一般的な焼肉屋のどちらだろうか、と想像する。が、しかし。


「バイキングんとこ!あそこ、焼肉かしゃぶしゃぶか選べるンだって!あと、ケーキとか寿司とかあって…あそこ遠いしバス停無いし行った事無ぇから楽しみ!」


「…は?お前…そこでいいのか?」


「うん?先生バイキング嫌い?」


「いや、お前がいいならいいけどよ…」


じゃあ決まりだな!と葵はくるくる回って喜びを身体全体で表した。
その反応は嬉しいが、あまりの安上がりに鷹島は開いた口が塞がらない。
葵は子どもというより、バカな程純粋なのだ。
もしくは贅沢を知らない。

けれど、奢ってもらえることにとてつもなく喜んでいる葵にそんなことは言えず。むしろ、鷹島も不思議と嬉しくなっていた。
一緒に飯を食べに行くのが、楽しみになるほど。



いつの間にか、元の関係、いやそれ以上に距離を近づけた2人。
いつ行くか、そのバイキングには何があるのか、など談笑しながら誰も居ない静かな廊下をゆっくりと歩調を合わせて歩いていった。


早朝の朝日が、包み込むように暖かく差していた。

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