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翌朝、齋藤家の台所はプチパニック状態に陥った。
葵が自分で作りたいと言ったので、兄は出来る限りのアドバイスをした。しかし、ちゃんとできたのは卵焼きとウインナーだけで。

他は撃沈。

「弁当の3分の1も埋まンねー!どうしよ、どうしよう兄ちゃん!」

時計を見るともう8時10分前。このままではまた遅刻してしまう。
わたわたと慌てながら葵は念のために登校の準備を始めた。正直、兄ももう出勤しなければならない。
このままではご飯と卵とウインナーといった、いつの時代の弁当ですか?ということになってしまう。

どうしようと2人して悩んでいると、ふと葵の瞳に調味料置き場が映った。
そこには幾種類かあるふりかけの数々。
これしかない、と葵は決意した。

これならば自分も作れる、と葵は急いでラップとお茶碗を手に取り、普段からは想像できないスピードで料理を始める。

その様子を兄は嬉しそうに見つめた。


「それ、1個兄ちゃんにもちょうだーい」

「あまったらな!」


一生懸命、誰かのために料理を作る弟の成長が嬉しいようで悲しくなる。


(若い男の先生か…)

ありえないけれど、もし葵が手を出されたら殴りこみに行きそうだ、とブラコン的な考えをしながら、先に玄関を出て出勤していった拓也だった。






弁当が完成したのは結局8時。
先日と同じように、葵は学校までの道のりをほぼ全力疾走というはめに。
幸いなことに、今日の朝の校門前担当は別の優しいおじさん先生だったので何とか遅刻は免れた。



ギリギリセーフで教室に駆け込み、息を荒げながら席に着く。
もちろん、竜一や高平兄弟、周りのギャルギャルしい女子たちからからかわれながら。
また寝坊か、と竜一にからかわれ、とっさに「そうなんだよ」とごまかす。
どうやら、昨日の鷹島との会話に出た「弁当」のことは皆冗談だと思い忘れたらしい。

それはとても助かった、と安堵の溜息を吐きながら葵はまた不真面目に午前の授業を受け始めた。





そして、あっという間に昼休み。



葵は昨日と同じように、体育教師用体育館へ早足で向かった。
もちろん片手には鷹島に作った弁当。もう片方には自分用のいくつかのおにぎり。
兄の分は結局残らなかったので、帰ってから作ってあげようと珍しく兄孝行をしようと思いながら、体育館のドアを開けた。

外から入ることも可能なのだが、急な階段なので葵はあまり使用したくない。
よって、体育館の中からギャラリーに出て、職員室に向かうという遠回りな方法。

すると、体育館にはまだ前の授業の生徒が残っていたらしく。
だらだらと喋りながらバスケットボールを突いていた。
よくもまぁやってるなぁ、と葵は自分を省みず(音楽の授業が終わってもだらだらと楽器で遊んでる)思いながら、通り過ぎようとしたそのとき。



「齋藤!」


その集団の中から、自分を呼ぶ声。
誰だろう、と思って葵が集団の輪を見れば、そこには鷹島が立っていた。

このクラス担当なのか、と今更ながら葵は頭の中で確認し「はーい」と返答する。アホな返答だ。


「昨日のとこに先行ってろ」


アホな返答なことは一旦置いておき、鷹島はそれだけを告げてその集団の相手をし始めた。
どうやら捕まってしまったらしい。色々と聞かれ指導している。

鷹島も曲りなりも体育教諭。
聞かれて教えないことはありえない。

葵はそれをぼんやりと見て、すぐに昨日の場所である体育館裏へと早足で向かった。
何だかあまり見ていたくなかった、から。
その理由を、彼は知らない。





葵が体育館裏に着いて10分経った。
初夏の心地よい気温と、昨夜あまり寝ていないせいでうとうとと眠気に落ちそうになる。
しかし、寝るわけにはいかないので葵は必死に目を開けて鷹島を待った。


が、眠気には勝てず。

葵はアスファルトの上で爆睡してしまった。


5分後。
ばたばたと慌しい足音を立てて、体育館裏に鷹島がやっと現れる。

「わりぃ、アイツらなかなか帰ンなくてよ…齋藤?」

謝りながら待っているであろう葵に話しかけるが、返事が無い。むしろ動きが無い。
不思議に思って、横たわる葵の顔を覗き込めば、案の定。


「寝てンのかよ…」


すやすやと心地よさそうな寝息を立てていた。
それこそ気持ちよさそうに熟睡。
よくもまぁ、硬いアスファルトに寝れるものだ、と半ば尊敬しながら葵の身体を揺らした。

「んん…」

身じろぎ唸る葵。
もごもごと口を動かしている姿が何だか可愛らしくて、つい鷹島は笑う。


「はは、夢ン中で昼飯食ってンのか?」


答えもしない寝ている相手にそう言ってしまい、少し恥ずかしくなる。
とりあえず、起こそう。
鷹島はそう決断して、思いっきり葵の肩にチョップをおろした。

びくんっと跳ねる体と、詰まる息。


「…っ、え!?痛っ!?」

「おはよう、齋藤」

「あ、おはようございます…ってあ、先生!」

やっと自分が寝ていたことに気づいた葵。
いつも気づかないうちに寝ているのか自分は、と自己嫌悪しながらもわたわたと持ってきた弁当を鷹島に差し出した。

バンダナに包まれたそれを受け取る。
礼を言いながら包みを開ければ、


「ん、おにぎりとおかずか。うまそうだな」


大きなごろごろおにぎり(というか葵がちゃんと形良く握れない)が数個と小さめのタッパーに入ったウインナーとたまごやき。
シンプルだが食欲を満たしてくれるだろうそれを、喜んで鷹島は口に放り込んだ。
おにぎりは結構大きくて大変だが。



「…うまいっすか?」


卵焼きを頬張る鷹島に、たどたどしく葵は尋ねる。
何度も味見して予防線は張ったが、鷹島の口に合うか。
鷹島は飲み込んだあと、数秒考えて、


「ああ、普通にうまいけど。なにお前、そんなに気合入れて作ったのか?」


「ち、違ぇよ!弁当作るの初めてだから分かんなくて!」


「へー、初めて」


くくく、と喉で笑いながら鷹島はウインナーを口に頬張る。
ようやくそこで、葵は口を滑らせてしまったことに気づいた。


(うぎゃああ!もうやだ!俺、この性悪先生にどンだけ初めて持ってかれてンだよ!?)


あまりの悲しい事実に、葵は無言でがつがつと自分のおにぎりを貪り食う。
その食いっぷりに驚く鷹島の視線など気にせず、いや気にすることができず。

それでも、2人でこの暖かい場所でのんびりと昼食を食べる。
それがなんだかとても心地よくて。


2人の間に、そんなに会話も無いが、息苦しくもなく心地よい無言。
初夏の風が木々を揺らし、木の葉を運ぶ音だけが響く。その音だけで2人の間が満たされた。


「…そういえば、」

ふと、昼食を食べ終えた鷹島が葵に静かに話しかける。

「ん?」

その声に、葵が素直に鷹島の顔を見上げれば、その切れ長の瞳はじっと葵を写していた。
あまり見つめられるのは得意じゃない葵。
思わず少しだけ目を逸らしてしまう。


「お前、下の名前なんだっけ」

「え!?知らないンすか!」

だが、質問があまりにも「今なぜ!?」という内容だったのですぐにその瞳を見つめ返してしまった。
しかし、目を見る限り相手に全く悪気は無い。


「…葵、っすけど…」


葵はあまり、自分の名前が好きではない。
女性みたいな名前で、昔はよく「葵ちゃん」などと言われてからかわれてきたからだ。
どうせ、鷹島も「女みてー」とからかうのだろう、と葵はたかをくくる。が、


「葵…綺麗な名前だな」

「え、?」

素直に褒められた。
しかも綺麗と。普通、名前をさらっと褒める人がどこにいるんだ。いや、目の前にいるが。
と、葵は軽くパニックになる。
頬が熱を持ってゆくのが、自分でも分かるほど。

しかし、間髪入れず鷹島は、



「ま、名前負けしてるけどな」


と、さらりとひどいことを言ったのだった。


「ひでぇ!鷹島ちゃんだって彰とかかっちょ良すぎだろ!」

「俺は似合ってるからいいンだよ!…つーか気づかなかったがお前…」


じろり、と鷹島の鬼のような目が葵の腰周りを映す。まずい、と思ったときにはもう時既に遅し。



「何だそのシャツは!入れろボケ!つーかTシャツの色があからさまに校則違反だろが!」

いつもの鬼の生徒指導教師に戻ってしまった。
慌てて、葵は逃亡を図る(直せばいいのに)も、結局逃げられず。



「ぎゃー!先生許して!直す、直すから!今日こそはあゆみちゃん達とカラオケに…!」


「ダメだ、今日は俺放課後いるからな!潔く1階のトイレ掃除だ!」



相変わらず、いつものやりとりに戻ってしまったある晴れた日の午後。

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