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窓の外は相変わらずの大降り。
テレビも何も点けず、静か過ぎる小さな部屋で西條は1人酒を飲みながらぼんやりと虚空を見つめていた。
気づけば冷蔵庫にあったビールは全て消えて、段々と吐き気すら催してきた。
喉がチリチリと焼ける痛みを帯びてゆく。
しかし、それよりも。
今日見た祐樹の泣きそうに怯える顔を思い出すほうが、痛くて溜まらなかった。
そしてリフレインするのは望月の言葉。
『お前含めて誰が幸せになるんだよ!』
ぐ、と喉に何か詰まるような感覚に陥る。
その痛みを酒焼けでごまかす様に、残りの酒を喉を鳴らして飲み干した。
酒の匂いが体から充満してゆく。
このまま酒に溺れて、何もかも忘れたかった。
けれど、飲めば飲むほど今日の出来事ばかりを繰り返し何度も思い出してしまう。
西條は残り1缶のビールのプルタブを溜息を吐きながら開けた。
プシ、といい音が部屋に響く。
泡がじんわりと液体と共に出てくるが、それも含めて西條は一気に3割ほど飲み干した。
元々酒に強い体質とはいえ、さすがに何本も飲み干せば段々思考が鈍くなってゆく。
もうそろそろ、眠りに落ちて泥酔できるだろう。
ふと、DVDプレイヤーの上に置いてあった小さなマスコットを見つめる。
それは今日、卯月の墓に持っていこうと思ったあのウサギのマスコットだった。
祐樹の文化祭が終わってからなかなか墓参り行けなかったので、今日置いていこうと思ったもの。
きっとまた、墓参りに訪れた彼女の家族が疎ましがって捨てるのかもしれないが。
それでも、捧げたかった。
それなのに、西條は今日それを持っていくことを忘れていたのだ。
西條の目が見開かれる。
自分の中で、あのウサギを見ると思い出すのは卯月の飼っていたウサギでは無い。
ウサギはウサギでも、文化祭で無理やり着せられた感満載の、祐樹のバニーメイド姿。
あの時、掴んだ手は少し冷たくて。
自分に比べれば小さいが、確かにそれは男の手をしていた。
隣ですやすやと聞こえた寝息に、何故か安心感を覚えた。
酒が回っているのか、回りすぎて止んだのか。
西條には分からないが、それをきっかけにぐるぐると記憶が走馬灯のごとく早足で駆け抜けてゆく。
亡くなってしまった両親の笑顔。
瑞樹、と呼ぶ声はもうどこにも無く、生まれたときから親愛を寄せていた彼らを失ったことはあまりにも苦しかった。
それでも、今は彼らと過ごした楽しかった日々ばかりを思い出せるし、気持ちの整理も十分に着いた。
もう25だ、いつまでもいつまでも悲しみに明け暮れるほど女々しくも無い。
悲しくないというのは嘘になるが、彼らを思い出して涙に濡れるということは無くなった。
それは、卯月のことでも同様で。
自分にとって太陽のような存在である彼女を、自分が呼び出したせいで(けしてそうでは無いのだが西條は負い目を感じている)失ってしまったことは、今でもひどく悲しい。
しかし、今は彼女の笑顔ばかりが自分の支えになってくれるように思えるのだ。
けれど、それが!
彼らの思い出よりも、今リアルに時を共に刻んでいる彼に、祐樹にどんどん変わってゆくことが、怖かった。
そして、そう思えることの「意味」が西條には分かっているけれど、そう言った意味で想うと確実に祐樹のこれからの人生をぶち壊すことも、分かっている。
そう想っても想い返されることは無いうえに、だ。
(…俺は、バカだろ)
ふらつく足でDVDプレイヤーの上にちょこんと乗っていたウサギのマスコットを思い切り掴み、ゴミ箱に投げ捨てようとする。
が、やっぱり怖気づいて無理だった。
また自分を内心罵りながら、西條はまたそれを同じ場所に置きなおし、再度ビールを飲み下す。
ぐらりと歪む思考のまま、机に頭を打ちつけ突っ伏した。
鈍い痛みが額に響く。
(俺は結局、岡崎を泣かしてばかりじゃねえか)
祐樹が「なんとなく」という言葉を呟いたことは確かに怒りが湧いた。
でももうその怒りなどどこかに蒸発して消えている。
祐樹のことだから恐らく自分が現れて焦ってそんな言葉を紡いでしまったのだろう。
沈静した頭でようやく分かった。
望月に殴られた頬がまた痛み始める。
(…俺は、弱い男だ…)
西條はそのまま瞼を降ろして、酒の力に従い泥のように眠った。
まだ、雨は降り続ける。
夢の中にまで、薄っすら雨音が聞こえてきそうなくらいに。
翌日、西條がどうしようもない思いで(+二日酔い)ふらふらと仕事場に向かい、午後までひたすら仕事をしていると1本の電話が入った。
それは祐樹の祖母からのもので。
「熱を出して寝込んでいるのでバイトに迎えない」
というものだった。
西條はしばらく無言を続けた後、無理やり取り繕った声で「分かりました、お大事に」と告げた。
祐樹の体を心配する心と、会わなくてよかったと安心してしまう心に揺すぶられる。
そしてまた西條は内心呟くのだった。
自分は弱い男だと。