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ゆっくりと祐樹は身体を起こす。
びしょ濡れになった身体を貰ったタオルで拭きながら、ぼんやりとフロントガラスを眺めた。
ひどいどしゃ降りだ。

先ほどまでのことが夢だったかのように、祐樹は何一言も発さず虚ろに視線を空中にさ迷わせる。
心が、西條の言葉を、視線を認めたくないから。


それでも、リアルは簡単に突きつけられるものだ。


ずっと言葉を失くしていた望月が、唇を動かす。
その声は苦しい色をしていた。



「…ごめん、ごめんな岡崎くん。俺は、君のことをひとつも分からない、だから瑞樹の方を優先してこんなひどいことをさせたな…」


「そ、んなことは…」


自分があんなことを言ってしまったからだ、と祐樹は掠れる声で告げた。
望月は一瞬眉間に皺を寄せるが、祐樹がそこまでひどい事を言えるとは思えない。これ以上深く突っ込んでもきっとどうにもならないし、傷つけるだろうと望月は決め込んでそれ以上は聞かなかった。

ただ、もう1度謝り、祐樹を傷つけることを覚悟した。嫌いでもない人を、こどもを傷つけることは、数倍自分に痛みとして返ってくることを。



「…俺は、昔からずっと瑞樹と居て、あんまり口に出したくはないが…大切な友人だ。
アイツが苦しい思いしてるときに何もしてやれなかった俺が言うのもおかしいけどな、…だから」


祐樹の瞳が、ゆらりと動く。



「…もう、近づかないでやってくれ」






望月は搾り取るようにその言葉を吐き出した。
苦しい、西條も祐樹も傷つけたことが。
本当は言いたくないが、西條のことを思っての結果。

それを祐樹は無言で受け止める。
意味が、よく分からなかったから。

ぐるぐると蠢く思考は、ひとつひとつ言葉の理由を考え始めた。
西條は、中途半端に歩み寄ってきたことを拒否した。それは、下手な同情が鋭利な刃物であることを祐樹も知っているのでよく分かる。
望月は、その鋭利な刃物でこれ以上西條を抉らないでくれと懇願した。それは、彼が長年共に過ごした「友人」だから。


ふと、祐樹は自分自身に気づく。
一瞬にして全ての音がミュートになった。





(…俺は、自分のことばっかり考えているじゃないか)




西條は、これ以上両親と大切な人の死を誰かに悲願されたくないのだ。きっと。
それは彼が強くその人たちを大切に思っているから。
望月は、これ以上西條に傷ついてほしくないのだ。それは彼が西條を強く思っているから。


(…俺は、)

西條にまた一度笑いかけてもらいたい、話しかけてもらいたい。そればかりを、考えていた。





(最低だ!!)





祐樹も、西條にこれ以上苦しんで欲しくなくて、苦しんだ顔をしてほしくなかったということも心にはあった。けれど、確実に意識していたのは「自分が彼にしてほしいこと」ばかり。

自分の愚かさに、祐樹は頭を抱えて声にならない嗚咽を漏らし、わなわなと震える。

心がどっと冷えてゆく。



(俺には、西條さんと一緒にいたいなんてことを願う権利なんて、無い。俺は西條さんのこと、なんにも分かっちゃいないんだ、俺は、俺は、俺は…)




「…降ろして、ください」


涙声に似た悲痛の声が望月の耳に届く。
ここから逃げたいという気持ちは、空気で死ぬほど分かるのだが、祐樹の家まで残り5分弱。
もうすぐだからガマンしてくれ、と望月は返すが、返答は無い。

しかし、悲痛な表情がじっと望月をミラー越しに見つめていた。

その顔は、あの日虚空を見つめていた西條に 似ていた。


思わず、ブレーキを踏んでしまう。
ゆるやかに止まった車から、チャンスとばかりに祐樹はドアを開け飛び出した。
そのくせ礼儀は忘れていないのか、「ありがとうございました」と叫び声が聞こえる。

追いかけなければならない、それは望月が大人だから。けれど、その背中を包み込む権利は自分にないことくらいよく分かっていた。

望月は呆然と帰路を走ってゆく背中を見つめる。




「…瑞樹、このときお前はどうすンだよ…」



小さく呟いた声は、誰にも聞こえなかった。






雨粒がどっと全身を濡らして行く。
祐樹は自宅とは別の方向にがむしゃらに走っていった。久々に走ったので筋肉が段々と軋む様な痛みを発する。痛い、痛いと思うも、それは肉体に呼びかけている訳ではなかった。


雨が顔に当たり前が見えない。
それでも、祐樹は息が切れるまで走った。
走って、何もかもから逃げたくて。

すると、水溜りで隠れていた大きな石ころに足をとられる。立て直すこともできぬまま、祐樹は盛大に前へ倒れこんだ。

頬と肘を擦り剥く。
じくじくと真皮を剥がすような痛みに、祐樹は顔を歪めた。けれど、起き上がることも出来ない。

水溜りに頬を浸し、祐樹は。

泣くことが出来なかった。


泣けば祖父母が心配し苦しめられる。泣けば、周りの人から同情の刃を向けられる(それは純粋に嫌なのではなく、気を使うという子どもにとって最も難しいことだからだ)
だから、嫌なのだ。
けれど今泣くことが出来ないのは、その理由ではない。
泣く以上の苦しみと自分の愚かさに、悲しみではなく怒りが湧いたからだ。


(ごめん、ごめんなさい、西條さん)



何度も何度も心の中で謝る。
許しは請わない、ただひたすら謝っていた。


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