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震えた肩を見て、望月は静かに焦る。
彼らが仲が良いなど、望月は知らないのだ。ましてや、2人がすれ違いを起こしているなんてことも。
しかし、西條の性格を誰よりも知っている望月。

あの高圧的態度が怖いのだろうか、と察した。

(そンなに嫌われるようなタイプでもねぇはずだけど…)

望月は少し疑問に思いながらも、


「わりぃ、バイト先の社員にそンな軽々しく聞けないよな。しかもアイツ怖いし」


曇った祐樹の表情を戻すために、フォローに回った。
ふわふわした髪を、思わず子どもをあやす様に望月は撫で繰り回す。
掌の中で髪の毛1本1本がふわふわりと踊った。

何だか親身にしたくなるような子だ、と望月は撫でながら思う。俯いた顔を覗き込むと、もごもごと口を動かし、困ったように眉を顰めている祐樹に。

一方、撫でられている祐樹は不思議な気持ちでいっぱいだった。
大人の男性に優しくされたことなど、ほとんど無い。基本的に西條は叩くし、祐樹に関わってきた教師達は色々と気を使って踏み込んでなどこないから。

ぼんやりと、父を思い出す。

その温かみのおかげで、祐樹は思わず結んでいた唇を開いた。



「…西條さんは、俺のことが嫌いなンだろなぁ…」



自分で口に出すと、少しだけ楽になって、とてつもなく苦しくなる。
ぎゅう、と心臓が握られるように切ない痛みが胸全体に染み渡り、逃げ出したくなった。

そんな祐樹の消え入りそうな呟きを、望月は聞き逃さなかった。
なんとなく、涙の混じりそうな声に、望月は気づく。



「…岡崎君って、瑞樹のこと好きなのか?」


男同士で在りえる筈の無い感情を問う。
望月も、半ばやっちまったという後悔をしながらも、聞かずにはいれなかった。

昔から西條は口が悪く、茶化す癖がある。
それで純情な女子なんかは「西條君に嫌われちゃったのかなぁ」なんて悲しがるのだ。西條自体は、好意を持って接しているだけなのだが。

それの典型的なパターンいや、それ以上のものが目の前にいるのだ。
望月は、祐樹の返事を待つ。


時計の秒針が3度鳴ったあと、祐樹はやっと言葉を理解する。


「…すき?」

何度か瞬きして、困惑する。
直接的に、はっきりとそう聞かれたことも、考えたことも無かったからだ。
好きだ、ということも、嫌いだ、ということも無い。
どちらも決着がつかない思いに、祐樹は頭を抱えた。

ただ、


「分かンねぇよそんなん…だって、俺も西條さんも男だし」


それだけが、分かる。
本当は「一緒に居たい」という思いもあるのに、不思議と口に出せなかった。
あの時出た本音を、ほぼ初対面の相手に言えるほど、祐樹は社交性がある訳ではない。

望月は一瞬不可思議そうな表情を浮かべながらも、また微笑んで、


「それもそうだな、」

と言ってみせた。
その笑顔と納得に、祐樹も安心してほっと息を吐く。
西條に嫌われていると思うことも一瞬忘れて。

今は自分の意見が真っ向から否定されることが、怖いのだ祐樹は。


やんわりと降り注ぐ夕日のオレンジが紫へと色を変えてゆく。
祐樹は窓を見やると、ふとこの家に入る前に見たネオンの看板を思い出した。

そろそろ祐樹を送り届けるか、と望月が車のキーを引っつかんだと同時に、祐樹は思い切って聞く。


「あの、ちょっとでいいンで、…ゆづきさんのお店寄ってもらっていいスか?」


「え?岡崎君熟女好き?」

あの人結構年いってるぞ、とけらけら笑いながら望月はくるくると指にキーリングをはめて回す。
熟女!?と祐樹は困惑しながらも、ただ挨拶をしたいだけだと告げた。






「あら、いらっしゃい朔哉!久しぶりね」


「おー、久しぶりっす」

カランカラン、とドアベルを鳴らせば、ゆづきがカウンターから嬉しそうに声をかけた。
その後ろを祐樹は少し隠れるように着いていく。
2度目とは言え、やはりスナックなど慣れるところではない。酒と煙草と香水の香りに戸惑いながら、望月の後ろでゆづきにぺこりと礼をした。

すると、祐樹に気づいたゆづきは目の色を変える。
きらきらと、ダイアモンドのごとく光り輝いた。


「あらあらあらぁ!岡崎君じゃないの!久しぶりねぇ、相変わらず可愛いわねぇ!何飲む?お姉さんが奢ったげるわよ!」


ささ、早く座って座って!と自分の目の前に呼びつけた。相変わらず凄い人だ、と祐樹はちょっと焦りながらも言葉に甘えてカウンターに座り、りんごジュースを頼んだ。

望月もその隣にどっかりと座って、煙草を1本吹かす。普段は吸わないのだが、久々に吸いたい気分。
ゆらゆらと舞う煙をちらちらと見ながら、祐樹も久々に吸いたくなった。

冬辺りから、何だか気持ちがいっぱいで。
苦しさを埋めるニコチンタール類を欲さなくなったのだ。けれど、今は。


「…俺も吸いたいな」


苦しさばかりで、その有害な煙を吸いたくて仕方なかった。
望月は大人への挑戦か?と適当に思う。進学校に通う真面目な祐樹が吸うとは思えないのだ。
確かに見た目は髪も長めで、制服も少し着崩しているし、容姿もそれほど真面目一色!には見えないが。

しかし、


「ブレザーとセーター脱いだらいいわよ〜さすがに学生の見た目ではねぇ」


ゆづきは「はい灰皿!」と言って祐樹の前に差し出す。その様子に望月はあんぐりと口をあけ、灰皿に落とし損ねた灰をテーブルに落としてしまった。

慌てて灰を濡れた布巾で拭いながら、何を本気で捉えているンだ、とゆづきに咎めようとすると、


「ありがとうございます、じゃあ1本だけ」

祐樹はてきぱきとブレザーとセーターを脱ぎ、ゆづきに預けた。
鞄の中から、ちょっとくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出し、1本取り出し口に銜えた。
ライターを忘れたのか、ゆづきから借りたスナックのマッチを使って火をつける。

すう、と一気に吸い込み、溜息と一緒に煙を一気に吐き出した。

小さく薄い唇から煙が出てゆく様は、ひどく滑稽で悲しくなるが、普段の祐樹からは見れないであろう不思議な色気が見える。
望月はじっとその姿を見つめながら、


「先生の前で吸うとは、天下の進学校生徒も度胸があるな」

と呟く。
途端、望月が教師であることをようやく祐樹は思い出した。ざぁっと血が足元に落ちてゆく感覚に陥る。
慌てて煙草を消そうと灰皿に押し付けようとしたとき、やんわりとその手は押さえられた。


「ああ、気にすンな気にすンな!俺そういうの割り切ってっからさ。奈多高だぜ?下手すりゃシンナーとかやってっからなぁー、煙草くらい気にしねぇよ」

「そ、そうっすか…?」

望月はまたけらけら笑いながら、祐樹の腕から手をどけた。寛容すぎる教師だなぁ、と思いながら祐樹は言葉に甘えてまた大きく煙を吸い込んだ。


別に煙草が好きな訳ではない。
吸わないと落ち着けないほどニコチン中毒でもないのだ。ただ、これがストレスを少しだけ和らげるのだと勘違いをしているだけ。

肺の中を汚れた煙が満たす。


「しっかし…まさか煙草吸うとはなぁ。人は見かけによらねぇな」


「そンなに真面目に見えるっすか?」


「んー、ほらあれだ。癒し系アイドルがすっぱすっぱ吸ってるの見てショックを受けた感じだ」

「アイドル!?」

何それ!?と祐樹は目を丸くしながら灰皿に灰を落とす。ぱらぱらと灰の欠片が宙を舞った。
いや、本当ショックだなぁこれはと望月はその灰を見ながらぼんやりと思う。

すると、ゆづきが祐樹の分のりんごジュースと、望月の分のハイボールをカウンターに置いた。
そしてまたテンション高めに、

「そうそれよ朔哉!私も初めて見たときは可愛いって思いながらもびっくりしたわぁ!そういえば瑞樹もアイツは煙草吸うような顔じゃねぇよって言ってたわねぇ」


今の祐樹にとってNGワードをはっきりと言葉に出す。また、祐樹の肩がびくりと跳ねた。

望月はその肩を見て、苦笑しながらハイボールを一気に飲む。自分が運転しないと祐樹を家まで送れないことを忘れて。


「あー、何か瑞樹嫌いみたいだぜ、岡崎くんのこと」


他人に言われると、より傷が抉られる。
祐樹は一気に煙を吸い、もう1本火をつけた。

ゆづきはぱちくりと目を丸くしながら、不思議そうに首を傾げて、


「え?そうなの…?こんなに可愛いのに…。…もしかしてやっぱり、あのこと知られるのイヤだったのかしら…」


少し俯き加減で唇を動かした。
あのこと、というキーワードに祐樹も望月も口を紡ぐ。その話題に触れたからと言って、西條が泣くわけでも怒るわけでもない。
ただ、普段見ないような苦しそうな顔をするから。

当たり前だ、家族と大切な人を立て続けに亡くしたのだから。

ふと、望月は「知られて」というキーワードに気づく。


「え、…岡崎くん知ってンのか?…瑞樹の両親が亡くなったこと」


あえて、南條のことは出さずに望月は祐樹に問う。
祐樹は煙草を吸うことを止め、灰皿にまだまだ残っているそれを押し付けて消した。
そしてゆっくりと、頷く。


まだ消えきっていない灰から、一筋の濁った煙がゆっくりと昇っていった。

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