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祐樹にとっては、今一番会いたくない人物。
どうやら事務室から商品に関する書類を大量に持って、棚陳列でもする予定だったのだろう。
西條の手元には1枚も残っていないが、こちらにまで舞い降りてきた書類には新商品の説明がずらりと記載されている。
しかし、そんなことよりも西條は目の前で祐樹に話しかけている人物のことしか頭に無かった。
わなわなと震えて、
「おま、え…!何でここに居ンだよ!?」
自分と同じ身長の男に詰め寄る。
知り合いだろうか、と祐樹は目を丸くして詰め寄られた男を見た。
すると、彼もまた同じように驚愕し、わなわなと震えて西條の方を掴む。
「それはこっちのセリフだ瑞樹…!お前、ゆづき姐さんの所で働いてたンじゃねぇのか!?」
あ、と祐樹は小さく呟いた。
彼は知っている、西條が以前ゆづきのスナックで働いていたことを。
それ以降をなぜ知らないのは分からないが、少なくとも高校からの知り合いなのだろう。
初めて見る、西條の同世代の知り合いに、祐樹は益々目を丸くした。
年が離れているぶん、何だか不思議な感じである。
上司の知り合いを見るということは。
「こっち受かってから辞めた。言ってなかったか?」
「言ってねぇよ!お前は相変わらず携帯をさっぱりいじらねぇヤツだな…」
「めんどくせぇんだよ…つーか朔哉、お前だって連絡よこさなかったろうが!何でここに居ンだよ」
「そりゃ、こっちに就職決まったから…忘れてた、赤井だ赤井」
は?赤井?と西條は眉間に皺を寄せながら聞く。
朔哉と呼ばれた男は、祐樹に向かって「よろしく」と頼んだ。そうだ、彼は赤井に用があるのだったと祐樹は放送用マイクにスイッチを入れ、呼ぼうとしたそのとき。
「うわ!望月先生なんでここに!?」
当の本人の叫び声が響いた。
祐樹は慌ててマイクを切り、赤井の声がした方を向く。どうやら、補充でこちらに来たらしい。
レジ周辺の商品を持って、棒立ちしていた。
「よぉ、赤井。お疲れ」
「あ、ハイ…じゃなくって!」
赤井はまったくもう、と頬を軽く膨らませながらとりあえず持っていた商品を近くに置いた。
そんな赤井を見ながら、西條は信じられないというかのように顔を歪ませ、
「はー…朔哉、お前教師になったのか…しかも赤井の高校のか…」
ありえねぇな、と呟く。
そんな西條の呟きに、先ほど来たばかりの赤井は目をまん丸にして、驚いた。
「え?し、知り合い!?」
自分の高校の教師と、バイト先の上司が知り合いなんてそりゃ驚くだろうな、と唯一そこでハブ状態の祐樹は他人事(実質そうなのだが)のようにぼんやりと眺めた。
そんな祐樹をちらりと西條は分からないように見やり、未だに驚いて口をぱくぱくと開けている赤井に、
「ああ、俺と朔哉は幼馴染だ」
と軽く説明する。
世の中狭いなと、望月は笑いながらまだ呆然とする赤井の頭をくしゃくしゃと撫で回した。
ようやく、大体のことを把握した赤井は顔を真っ赤にして望月の手を振りほどく。
「西條さんと幼馴染っつのは分かったっス…それで来たンすか?」
すると望月は、あっけらかんと
「いや、瑞樹がここで働いてンのは知らなかった。俺はお前に用事があったンだけど」
と答える。
そういえばそうだ、そのためにぼんやりしていた祐樹に一生懸命話しかけたのだ。
一同が、用事って何だろうと思ったそのとき。
望月の優しい笑顔が、一気に般若のごとく怖さを浮かべた。
ぞっと祐樹の背筋に寒気が走る。
怖い、西條とはまた違った怖さが脳に直接響いた。
それは赤井も同じなのか、一気に顔を引きつらせる。
対して、西條は慣れているのか「あーあ」と言わんばかりに呆れた表情を浮かべた。
「…赤井?俺、今日残れっつったよな?」
「え、ええ?し、知らないなぁー…」
ひくひくと口の端を痙攣させながら、赤井は目を伏せ虚勢を張った。
ますます怒りのオーラが大きくなるばかりなのに。
とうとう、望月の腕が目の前の赤井を捕らえた。
「ぎゃひっ!?」
逃げる隙も与えず、プロかお前はと言わんばかりの素早さで卍固めをかけた。
ぎしぎしと赤井の骨が鳴る。
「今日は見逃してやるが、明日はぜってぇ残れよ!数学の赤点オメーだけなンだからよぉ!?」
体罰どころじゃない騒ぎに、祐樹は目を丸くし、西條は「やれやれ」と呆れた。
どうやら、優しさの裏には恐ろしい鬼が居たらしい。
あの奈多高の教師に選ばれるだけあるな、と祐樹は痛みに泣き喚き「わかりましたわかりました!」と連呼する赤井を哀れな目で見つめた。
用事はそれだけだったらしく、望月は痛みに放心する赤井を解放し「まぁ、バイト頑張れ」と言って帰宅しようと自動ドアへ向かった。
ふと、西條の前で足を止め、
「まぁ、今度ゆづき姐さんの店ででも飲もうぜ」
と、誘う。大人の男の会話だ、と祐樹と赤井はちょっと憧れた。
了解、と西條は軽く頷き、自分も仕事に戻ろうとする。淡白な幼馴染である。
赤井は変な関係だな、と思いながら自分の持ち場へと戻っていった。
ふと、望月は去ろうとする西條の肩を軽く叩いて囁いた。それは、小さな声だったけれど確かに祐樹にも西條にも聞こえた。
「親御さんの墓参りは行ったのか」
「…ああ、命日に」
ズキン、と祐樹の心が痛む。
自分のことでも無いのに、まるで自分の両親が亡くなったかのように、思えた。
まるで諦めたような、西條の悲しい表情にも。
望月は「俺も明日辺り行くか」とひとりごち、どこか宙を見ながら、また小さく話しかける。
「…まだ、行くのか。あの人ン所に」
もうすぐ、春の半ば。
彼女の命日は、初夏の少し前。
「…ああ、」
力無い肯定の言葉。
望月は「そうか」とだけ言って、ひらひらと片手を振って店を出て行った。
その姿を少し見やり、西條は何事も無かったかのように書類を手早く拾い直して、仕事場へと戻っていく。
ただ、祐樹だけが。
ひどく、苦しそうな表情をしてシャツの胸の辺りをぎゅうと握り締めていた。