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何度かなぞる柔らかい唇。
温かくて、小さくて、薄い。女性特有のぷっくりしたものでは無いが、心地よい。


確かに、祐樹の言うとおりだ。
男にするなんて真っ平だと言いつつ、以前西條は祐樹にキスをしたことがある。

自分でも分からない西條。
あの時は、なぜか心より身体が動いていたのだ。
祐樹の困った顔を見つめながら、理由を模索する。
すると、何度目かの往復で祐樹がいい加減身じろぐ。気持ち悪かったか、と西條はハッとして指を離した。


「…、西條 さん、」


離した途端、掠れた声が漏れる。
そして、離したはずの指がいつの間に布団から出ていた祐樹の掌に包まれていた。
ぎゅう、と掴んだその頼りない力が。



(ああ、クソ…酒入ってるからだ、これは…)


ひどく愛しいだなんて思うのは、そのせいだと西條は言い訳をしながら、酒の回り始めてぐらぐらする頭を身体と共に起こした。
そして、目の前で横たわる細い身体の背中に腕を回し、思い切り自分の布団へと引き寄せる。


「、え!?」


小さな叫びが、西條の布団の中で小さく響いた。
気づいたときにはもう、祐樹は西條の布団の中にすっぽり入っていて、更に。
息が詰まるほどに抱きしめられていた。
鼻腔に広がる、石鹸の香りと西條の匂い。全身に伝わる人の体温と、力と、そして。


(西條さんの、心臓、の 音が…!)


ド、ド、ド と少しだけ速く聞こえる鼓動の音。
ああ、生きているんだなぁと心の奥底がじんわりと何かを染みさせる。
同時に、自分の煩すぎる鼓動の早さに恥ずかしさを感じた。

ふと、肩を抱きしめていた手がそろりと移動する。

「!」

ぴく、と身体を緊張させる祐樹。
その手は頭の後ろに移動し、こちらを見上げろと言わんばかりに押してきたのだ。
その力に敵うわけも無く、祐樹はまた困ったような顔をして西條を見上げた。実際、困っていた訳ではない。ただ、どうしていいか、わからない。


ああ、やっぱりかっこいいだなんて。

思う自分が物凄く情けない、と祐樹は悔しくて下唇を噛んだ。
その唇を、じっと西條の瞳が見つめる。
そして、ゆっくりと視線を上げ祐樹の小動物のような丸くてそれでいて釣り目な瞳を見つめ返す。

お互いにお互いが映るなんて、滅多に無い。
ましてや、1つの布団の中でなんて。



フクロウの鳴き声も止まり、部屋の中はあまりにも静か過ぎる。
何の物音も無く、ただお互いの心音だけがお互いにだけ響いていた。


祐樹が沈黙に耐え切れず、足を揺らす。
シーツが擦れる音は、今この瞬間色事をほのめかし過ぎた。



「…岡崎、噛むな」



静かな低い声が、布団の中で響く。
ぞわ、と祐樹の全身に鳥肌が立った。
それは恐怖でも気持ち悪さでも無い。本人にも、よく分からない初めての感覚。
一気に鼓動が速まり、頬が高潮する。
思わず、言われたとおり下唇を噛むのを止めた。



「岡崎、」



また、西條は呼ぶ。
それは意味も持たない、ただ紡いだだけの。


返事を聞く前に、西條はその薄い唇に口付けた。





ただ触れるだけのキスをする。
以前のように、お互いに無意識のまま交わしたものではなく、確かなものを。


息がかかる。
祐樹は、もしかして自分の鼻息が荒いんじゃないかと、変に気になり息を止めた。
それでも、角度を変えられより深く交わる唇。
あまりにも暖かくて、溶けてしまうのではないかと祐樹は思った。


薄っすらと西條は目を開ける。
焦点が合わないのでよく見えないが、必死に目を瞑って震える祐樹がぼんやりと見えた。
心臓が、きゅうと締め付けられる。
思わず抱きしめる力を強めれば、何を思ったか祐樹は足を摺り寄せてきた。すりすり、とすがりつく様に。

もうだめだ、と西條が唇を割って舌を入れようとした、そのとき。


「…っ、はぁ!!ま、息、いき…ぃ!」

掠れた声と共に、思い切り顔を背けられた。
荒い呼吸を繰り返す祐樹に、西條は目を白黒させる。
しばらくして、祐樹が呼吸を整えてようやく西條は気づいた。そして、思わず喉奥で笑う。


「なに…、お前、息止めてたのかよ…」

静かな小さい声で、西條は笑いをこらえるように呟いた。
だがそれが、あまりにも扇情的で。こんなエロボイスがあるのか、と祐樹は緊張しながらも笑われたことに羞恥を感じ、勢い良く西條の胸元に顔を埋めた。

「だ、だって、俺、キスとか、したこと…ないし…!わかんねぇンだよ…!」


このひどく乱れた呼吸も、鼓動も、熱い頬も。
ぐるぐると混乱して、真っ白になるこころも。
全部、全部、ぜんぶ、ぜんぶ。


(西條さんの、せいだ)


泣きたくなるのも。




「…そうだな、わかんねぇ…」


頭上から、また静かな声が降ってくる。
掠れた声の意味が、祐樹は分からなくてゆっくりと顔を上げた。


「理由、わかんねぇけど…お前にキスするのは、気持ち悪くねぇ」


祐樹は何度か大きく瞬きをし、自分を見つめるキリ、と釣りあがった目を見つめかえす。
黒目が自分と違って小さいのだな、意外に睫毛が長いんだな、とぼんやり考えながら、小さく「俺も、」と返す。


バカみたいなことだ、なんて分かっている。
…はずも、無かった。祐樹は。
この恋とか、ましてや愛さえもあやふやな子どもに、分かるはずも無いから。


「…今は、それだけだ」


だから、西條はそう言ってごまかす。
祐樹の気持ちも、自分の気持ちも。
それに祐樹は気づかない。ただ、まっさらな心で、その答えに頷く。


ひとつ、沈黙を置いた後、祐樹は身体を西條により近寄せて瞼を閉じた。


「…明日の、応援頑張ってください、…おやすみなさい、」


そう呟いて、寝息を立てた。
いきなりキスをされて、抱きしめられて。それで終える自分がよく分からないが、不快じゃなかったから。だから、それでいいんだ。と眠気に任せた短絡的な考えだったのだ。



寝息を立てて自分の腕の中で眠る祐樹を見下ろしながら、西條もまた、瞼を下ろした。




『お仕事、頑張ってくださいね、じゃあまた明日!』


頭の中に、笑顔で手を振る卯月の姿が浮かぶ。
ギリギリと胸を締め付けられる痛みに、西條は歯軋りを鳴らした。


(ああ、俺はまた 昔のこと)



、卯月は。
西條を鎖になんて繋いでいないし、呼び止めても引き止めても居ない。ただ、西條がまだ忘れたくないだけなのだ。
忘れたくないから、人を愛したくない。
愛した途端、卯月や両親さえも忘れそうな、そんな気がして仕方ない。



(バカだろ。分からないで終わらせるとか、ガキか俺は…)



これ以上ぐるぐるとがんじがらめになって終わらない思考を打ち切るために、西條は眠りに落ちた。
腕の中で息づく、暖かすぎる彼を抱きしめながら。








午前7時30分。
勢いよく、襖が開いた。

「ほらほら、西條さんも祐樹も起きなさい」

外で若干聞こえる小鳥のさえずりと共に、部屋に響き渡る老婆の声。
そうだ、ここは岡崎の部屋だった、と西條はぼんやり覚醒しながら身を起こそうとした。が、その直後0、01秒コンマで身体と脳内が固まった。


(やべぇ!この状況は非常に!)


可愛い孫がアルバイト先の上司と同じ布団で尚且つ抱きしめられているなど、卒倒ものだ。
急いで祐樹を隣の布団に押し戻すか、と考えたがもう時間が無かった。


「ほらほら祐樹、起きな…あら?」


祖母がいつもの様に布団をひっぺがしたが、祐樹は神隠しにあったかのように消えていた。実際、隣の西條の腕の中ですやすやと幸せそうに寝ているのだが。


「あ、あ、あの、そのですね、」

珍しく西條が動揺して、祐樹のようにどもりまくる。言い訳がまるで思いつかない。というか言い訳しても全く持って無意味な状況だ。
それなのに、祖母は笑顔で

「もしかして?」

と、言って。
ゆっくり西條の布団をめくった。
西條の脳内で昨夜の暖かい団欒がフラッシュバックする。同時にそれが打ち砕かれる音も。

だが、祖母は。


「あらまぁ…祐樹ったら西條さんの布団にもぐりこんじゃったのね…ごめんなさいねぇ、重かったでしょ?」


にこにこと笑って、祐樹が寒さでうっかり西條の布団の中に潜り込んだのだと勘違いをした。
助かった、と西條は安堵のため息を吐く。
とにかく出入り禁止だとか、軽蔑の眼差しで見られることを回避できたのだ。

祖母は、祐樹の肩をやんわりと叩きながら「起きなさい」と起こす。
やっと祐樹はぼんやりと起きたが、まだ寝ぼけているらしく、唸りながらふらふらと西條の腕から抜け出た。


皺くちゃの手が、祐樹の背中を支え、



「祐樹は男の子なんだから、西條さんのとこにお嫁に行くなんて出来ないのよ?」



カラカラと笑いながら、



「可愛いお嫁さん、貰わなきゃなんだからねぇ」



目を細めて慈しむように見ていた。



その愛情の塊の瞳に、西條の背中にどっと汗が沸く。
それは冷えていた、ひどく。
ざぁ、と流れるように血がひく音が聞こえた。
力の入らない腕で、自分を起こし頭を抱える。
それは、無意識な自分への咎めに 似ていた。






(俺は、俺は何をやってるんだ)



西條さん、と記憶の奥底で卯月が笑う。
その笑顔が、違う誰かに変わってゆく瞬間、西條は狂ったようにギリギリと頭皮に爪を立てた。

自分の思考を、掻き消したいというように。

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