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一気に2人も増えたので、バイトの1人1人の休みが増えた。
新人には早く仕事を覚えてもらうため、なるべく多く入ってもらっている。そのためか、今月のシフト表を何べん見ても祐樹の仕事の量は減っていた。
しかし、休みなので長時間労働。給料は減っていない、むしろ増えている。
しかし、祐樹の胸には何かがもやもやと霧がかかっていた。
畳の上でごろりとうずくまり、もう皺くちゃになってしまったシフト表を延々と眺め続ける。
自分の所はもうカレンダーに写してあるのにも関わらず。
乾いた指先で、従業員の名前が記されてある列をなぞってゆく。
紙の擦れる音だけが、静かな部屋に響いた。
ふと、上から3番目の場所で指が止まる。
そこから横になぞって行き、自分と重なるところを何度も何度も確かめた。
(…俺、なにやってんだ?)
瞬間、我に返り、祐樹は思わず額を打ちつけるように畳に突っ伏した。
どん、と鈍い音と痛みが走るが、それよりも自分のしていたことに羞恥と戸惑いが大きい。
うわああと小声で唸りながら、ごろごろと畳の上を部屋の端までころころと転がる。
(俺、何なんだ最近、訳わかんねぇ…!)
シフト表の上から3番目の人は社員の西條。
最近、西條とシフトがかぶるだけでわくわくと胸が弾んだり、かぶらないと少し寂しくなったり。
その感情に、未だに祐樹は名前がつけられない。
鈍感さもここまで来るともはやただの防衛術だ。
祐樹はその感情に答えを出すよりも、明後日のシフトが同じ日のことばかり考え始めた。
「おはようございます、岡崎先輩」
「お、おはようございます…」
相変わらず薔薇でも背負っているのかと言わんばかりの王子様スマイル。
今日のシフトは、西條と祐樹と中條だった。
男ばかりだなぁと思いつつも、祐樹は仕事を始めるべく、エプロンを付けようとした、そのとき。
ふわり、と後ろから体温。
驚く間もなく、背後からは中條の声。
「やっぱり僕の考えていた通りです、髪の毛ふわふわなんですね…ねこっ毛ですか?」
「うん、おかげで髪の毛整えるの大変だ…って!中條くん何やってンだよ!?」
祐樹の頭に鼻を埋めながら、シャツ越しに体を触りまくる中條。
その言いようも無い恐ろしさに、祐樹は寒気を覚え、思わず 止めろよ!と四肢を暴れさせる。
が、祐樹は不器用。跳ね除けようとしたが、それは失敗に終わり、足を滑らせて後ろへと体重を預けてしまった。
全く、意味が無い。
「中條くん!早く行かねぇと西條さんに叩かれるっつの!」
必死に叫んで訴えるが、中條は怯えの色も見せない。
ましてや、ぎゅうと祐樹を抱きしめる動作に入った。
最近みんなして自分を抱きしめるのは何なんだ、症候群か!と泣きそうになる祐樹。
人肌は別に嫌いではない。慣れてはいないが。
だが、それとこれとは話が別。
中條とは知り合ってそう経っていない。それなのにこの過剰スキンシップ。
数日前に、軽く中條に言ったことを祐樹はハッと思い出した。
『そっちのケがあるんじゃねぇの』
彼は、面白いとは言ったが否定はしていなかった。
一気に血の気が引ける。
足元まで冷たくなって落ちたんじゃないかと勘違いするほどに。
祐樹は慌てて益々暴れ、
「俺、オレそっちじゃねぇから!マジ勘弁…!」
必死な声をあげて逃れようとした。
が、背後からの力は緩まず、荒い息さえ聞こえてくる始末。
あまりの恐怖に、祐樹は卒倒しそうになるが、勇気を振り絞って恐る恐る振り返った。
そこには、王子様はいなかった。
ただ、変なひとが、いた。
はぁはぁと呼吸を乱しながら、
「いやー、やっぱりいいです岡崎先輩。抱きしめやすくてたまりません…あ、でも安心してください、僕のタイプは西條さんみたいな方なんで、岡崎先輩を食べちゃうなんて考えてないですから」
いわば可愛がる対象、と中條は自己納得する。
ああ、それはよかった…と祐樹が肩の力を下ろそうとした瞬間。
彼の良く出来た脳の海馬はしっかりと覚えていた。
ある単語を。
「あ、あのー…中條君?」
「はい、なんでしょう?あ、もうすぐ行かないといけませんね」
「そ、そうではなくてね」
「はい?」
祐樹はどさくさに中條から体を離しながら、ひとつ生唾を飲んで、振り絞った。
「さ、西條さんが…タイプ?」
1人で自己満足に話していた言葉に紛れた、理解の出来ない事実。
嘘だと言ってくれと祐樹が心の中で懇願するも、中條はありったけの笑顔で、
「はい、とても素敵で…正直、今すぐにでも抱きたいです!」
ありえないことを、軽く宣言した。
祐樹の頭の配線は、その宣言で一気にショートし、その場にふらふらと倒れこんでしまった。
西條が男にも女にもモテるだとかそんなことを言っている場合ではない。
目の前にいる王子様は、王子様で無く狼だった。
しかも、食うのは…。
想像しただけで(と言ってもそっちの知識が無いのでぼんやりとしたものしか思い浮かばない)現実を投げ捨てて海にもぐってワカメになりたいくらいだ。
祐樹は先ほどの言葉は聴かなかったことにし、タイムカードを握り締めて早足で事務室を出てゆく。
もちろん、中條は置き去りで。