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今日は夕方から雨が降っている。
おかげで客足も少なく、店内にはゆったりとした時が流れていた。
特に忙しくも無い祐樹は、黙々と店内の掃除を済ませていた。
もうすぐ閉店の時間。これが終われば、チョコが大量に貰えるし、何より西條とまた会話が出来る。
無意識にそれを喜びながら、祐樹は事務室の方へと足を進めていった。


ふと、店内全体をモップ掛けしている際、西條を見かけないなと思い出す。
いつもならばどこかしらで発注作業をしていたりするのだが。
事務室で書類作業でもしているのか、と祐樹は思いながら事務室の前に向かう。
事務室内にあるゴミを回収しようと、ドアを開けるために手をかけた。
その時だった。
中から声が、女性の泣き声が薄っすらと聞こえた。


「すみません、すみません、…お願いします、警察には言わないでください…」

何度も嗚咽が漏れるため、あまり聞き取れなかった。
けれど確かに聞こえるキーワードに祐樹の心臓が跳ねる。

ひゅう、と祐樹の喉が鳴った。
急に息を引っ込めて、止めたために肺が苦しみを訴える。
けれど今はそれすら麻痺するほど。
祐樹には、息を吸って起こったのか、息を吐いて起こったのか分からなかった。
聞きたくない、と思っていても足が動かない。
耳を塞ぐことなんて、なお更出来なかった。
せめてこの場から逃げたい、と切望しても体は無視する。
無情にも聞こえる声はひたすら謝罪し、泣いていた。
西條の声は、聞こえない。


「生活が苦しくて…今後絶対にしないので…」


祐樹は心のなかで、混乱する疑問と怯えを綯い交ぜにする。
子どもの頃の幼い記憶の中にしかない母の姿と声を、まるで彼女そのものかのように事務室にいる女性と重ね合わせた。
途端、一気に訪れる忘れたい昔の事。
父親がいなくなって母がずっとうな垂れていた色の無い景色。
空腹に耐えて、心配をかけないようにひたすら水やら近所の人から貰ったお菓子でそれをごまかしていた苦痛の日々。

そして、ある雨の日。
母もいなくなって、警察が祐樹の住む小さなアパートの一室に来たとき。
同情の目と冷たい視線。聞かされた母のしたことと、その時の状況。

思い出したくないことが走馬灯のように、彼の脳内を支配した。
振り切りたくて、祐樹は幾分か冷静な部分でなぜか見解をする。


(どうして、ここで万引きを?スーパーに行けばいいじゃんか、ここに食べ物なんて…お菓子くらいしか)


母が万引きしたのは、祐樹が大好きだったリンゴ味のビスケットだった。
祐樹が痩せないようにと、おやつ以外のものは収入で何とかなったのだが、おかげで自分の食べるものは無かったのだ。
空腹は人間のまともな思考能力を落とす。

祐樹の喜ぶ顔が見たかった、それだけの理由で彼女はそれを盗ったのだと幼い頃祖父母が会話しているのを夜更けに聞いたことを思い出す。

俺のせいで、捕まってしまった母さん。
俺があのビスケットを好きだと言わなければ、細々と一緒に生活できたのに。
祐樹はドアを開けて、ごめんなさいと言おうとした。
けれども、一瞬で気づく現実。
開けようとした手を急いで引っ込めた。



(違う!違う、ちがう!あの人は俺の母さんじゃない…)


息が、また出来なくなる。
しているはずなのに、しているのかどうか分からなくなってきた。
また祐樹は逃げようと脚を動かすが、それは動かしたつもりだけで終わる。


(違う、ごめんなさい、違う、どうしてなんで、)


色んな言葉が心の中で沢山飛び交う。
自分を責める言葉と、自分を逃がそうとする言葉と、それと。


(西條さん、西條さんは何て言うの、…)


西條が彼女を責め立てる姿を想像して、更に彼への謝罪と責めないでくれという攻撃の言葉が心を全て埋め尽くした。
祐樹の心のキャパシティが、溢れる。
それは息を止めて、身体を震わせた。


彼は、呼吸の仕方を忘れた。

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