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祐樹の祖母手製の粥を食べながら、西條はクリアになってきた視界で周りを見る。
全体的に和室の部屋。
自分が寝ている布団はおそらく客人用だが、机や本棚があるところを見ると客間ではない。
目を細めて奥の本棚の中身を見れば、教科書や雑誌が並んでいる。

どうやら祐樹の部屋らしい。
当の本人はまだ風呂に入っているが。

ふと、西條は先ほど祖母が呟いた言葉が気になっていた。
かと言って「どういうことですか」と簡単に聞けるわけが無い。人の複雑な家庭事情を聞くほど野暮ではないし、それほど親しい仲でもないのだ。

だが、表情はそれを隠せなかったらしく、祐樹の祖母は洞察力が鋭いのか、リンゴを剥きながらまた静かに語り始めた。


「あの子の父親と母親は、駆け落ちしたのよ…」


駆け落ち、という言葉は今のご時勢なかなか珍しい。
今はそれほど「家」という組織を固定化していないからだろう。
しかし、きっと祐樹の両親は固定化されてしまったのだ。
そして彼らは逃れるために、駆け落ちをした。
昔ならば、安易に想像できる話かもしれないが、何だか幻想のようにも思える。

西條は粥を食べる手を止め、なるべく祖母から視線を外し、その話を聞いた。


「父親には許婚が居たから…だからなるべく遠くへ逃げたのねぇ」


悲しそうに笑う祖母の目。
目元の皺がさらにしわくちゃになって、瞳はどこを向いているのかよく分からなかった。
それでもそれは、とても悲しい悲しいと言っている。後悔、そのものだ。

その瞳を、横目で見ながら西條は無言で返事をする。


「そこで祐樹が生まれてね」


段々と悲しさに度が増してゆく彼女の顔を、西條は見ていられなかった。
孫が生まれたという、最高の喜びの出来事のはずなのに。


「…しばらくして、祐樹が5歳くらいかしら…父親が、借金残して蒸発したの。
うちの娘…祐樹の母親は元々病弱だったものだからあまり働けなくて…」


声がゆっくりと枯れてゆく。
その声と、過去の事実を聞きながら、西條は怒りに似た感情を震わせていた。
男として、守るべきものを捨てたその人に赤の他人だというのに、西條は怒りを覚える以外できなかったのだ。
幼い祐樹の姿も、祐樹の母の姿も浮かばないというのに、泣いている彼らが不思議と思い浮かぶ。更に怒りは助長された。

わなわなと震える腕を必死に押さえて、続きに耳を傾ける。
襖が開かないことを祈りながら。


「借金を返して、祐樹を育てて自分もご飯を食べるのは無理な話だったのよ…」

今では考えられない苦しい状況。
生活保護を受けてもおかしくないというのに、それでは間に合わなかったのかそれとも受けられない理由があったのか。
祐樹が、そんな状況になっていたなんて今では全く想像が付かない。


「そのうち不景気でパートもクビになって、当てもなくて…。
きっと、祐樹に食べ物をと最後の手段だったんでしょうね。
スーパーで万引きして捕まったのよ」


そして、彼女は逮捕されてしまった。
今は刑務所に勤め、刑期を終えるまで祐樹と会うことは無い。
だから祐樹は彼女の祖父母に引き取られ、今を過ごしている。
そう、祖母は説明した。

熱くなる胸の奥を押さえながら、西條はふと気付く。
たかが、と言えるほどの犯罪ではないが、それほど重くない罪だ。
それなのに、今の説明では母親は10年以上刑務所に勤めている。


「…万引きなら、もうとっくに釈放になってるはずじゃないですか?」

ふと次いで出た、純粋な疑問。
しかしその疑問が、あまりにも現実を突いていた。
祐樹の祖母は一瞬息を呑んでから、苦しそうに呟いた。


「パニックを起こして、来ていた警察官をカッターナイフで刺してね…傷害で済んだからよかったものの」


傷害罪は、懲役15年ほどだと聞いたことがある。
先ほどの疑問と合致がいった。10年以上勤める必要性が、あったのだ。

祐樹が20歳程度にならなければ、彼の母親は日を見ることが出来ないのか。
そう思うと西條の胸が苦しく締め付けられた。

父親が突然消え、飢えに苦しみ、母が犯罪者になり、祖父母に引き取られた彼は今どうしてあんなに素直に育ったのだろうか。
それは、西條が理解しようとして出来るものではない。
両親が亡くなるまでは、一般的に見て比較的裕福に育った彼からしてみれば、世界観が違いすぎる。
それでも、祐樹は西條の悲しみを思って泣いて。
もしそれが同情ならば申し訳ないと謝って。
気にするなと言えば、確執も持たずに接してくれる。

初めて知った、祐樹のツラくて苦しかった部分。
本人の感情は一体どうなのだろう、今どう思っているのだろう。
そればかり考えながら、西條はゆっくりと目を閉じる。


(…岡崎…)


どうしてお前は、と疑問を覚える。
けれど、どうしてと思えば思うほど祐樹のことが更に知りたいと思えた。
人の家庭に首を突っ込むなんて出来ないのに、何故か思えたのだ。
そして、祐樹の悲しみをどうしたら自分は慰めてやれるのか、なんて野暮なことさえ思い始めるほど。


「…ごめんなさいね。
西條さん具合が悪いのに、こんな昔話をしてしまって…。

祐樹には話したこと内緒にしてください。
まだ…恥ずかしい話ですけれど、祐樹が恨んでやしないかって、怖いのよ」


ふと、祖母が涙ぐみながら西條に謝る。
どうしてか分からないけれど、祐樹の悲しい部分を西條に伝えたくなったのだ。
相手は病人だというのに、と祖母は自己嫌悪に陥る。
こんなこと、祐樹に知れたら失望されてしまう。

そんな祖母の心境を知ってか、西條は天井を見つめながら静かに返事をした。



「岡崎は、恨んではいないと思います」


恨んでいたら、あんな素直に育たないですよ。
そう、西條が素直に祐樹のことを伝えた。
祖母の少しホッとした息が聞こえる。西條もほっと胸を撫で下ろした。

ふと、掌に以前抱きしめた細い身体の感触が蘇る。
ひどく守りたい、なんてぼんやり思えたが西條はすぐに小さく頭を振って忘れた。

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