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「それから、瑞樹はホームセンターの入社試験を受けて受かったわ。きっと、彼女の花屋と自分の好きな動物を合わせた結果がそれだったからでしょうね」
いつのまにかオレンジジュースに入っていた氷は全て溶けている。
色の薄まったそれが量を変えずに揺らいでいた。
ゆづきは睫毛を伏せながら、先ほど作ったカクテルを作り直し、祐樹の隣の隣に座る男へとまわす。
ふと、話を聞かせていた途中から俯いた祐樹へと目線を映した。
知らなかった過去を話したのだ。
動揺と恐らく申し訳なさで落ち込んでいるのだろう。
そうゆづきは確信し、新しいジュースを酌んであげようとした。
そのとき、気付く。
祐樹の肩が震えていた。
「…岡崎クン、君、」
ぱた、ぱたりとテーブルに水の落ちる音。
「泣いてるの?」
ぐず、と鼻を啜りながらシャツの裾で目元を拭う祐樹。
それでも止まらない涙は、彼の頬を濡らした。
鼻水も出てきたのか、ごしごしとシャツの裾で拭く。
このままでは鼻の下が赤くなってしまう。
ハンカチを持ち合わせていないのだろう、ゆづきは慌てて傍にあったタオルを祐樹に渡した。
すみません、と鼻声で言いながら祐樹はそれを受け取る。
そして、より震えながら、必死に言葉を紡ぎ始めた。
「すみま、せん、俺、泣くつもりとか、なくて…。
こんなの西條さんに、失礼だしっ…おれ、同情とか、じゃなくて、
わかんないけど、凄い、悲しくて…」
ううう、と呻きながら祐樹は益々涙を零した。
泣きなれていないのか、時々しゃくりあげている。
祐樹に初対面のゆづきでさえ、勘付く。
彼は泣かないのだ、と。
それでも、祐樹は西條の悲しみに泣いた。
ゆづきは、祐樹が泣いているというのに微笑んでしまう。彼の泣き声を誤魔化すために、有線をかけながら、優しい声でゆっくりと話し始めた。
「…同情や偽善が優しくないだなんて誰が言ったの?
そこから生まれるのが優しさなんじゃない?」
まあ、それは岡崎君とは違うとは思うけどね、そう笑いながら、先ほどのぬるまったカクテルをゆづきは軽く飲んだ。
一息ついて、ゆづきを不思議そうに涙目で見つめる祐樹を見ながら、
「…自分を思って泣いてくれるって、凄く幸せなことだと思うわ。
それこそ、誰にも泣いてもらえなくてひとりぼっちな人にとってはね。
だってそうでしょう?
自分のために泣いてくれたり、笑ってくれたりすることって、独りきりじゃないってことだもの。
ねえ、瑞樹?」
ゆっくりとそう言ったゆづきの視線の先には、先ほどゆづきに渡されたカクテルを静かに飲む西條が、居た。
「…酒がまずくなるだろ」
そう呟きながら、ゆっくりとグラスをテーブルに置く。水滴がきらりと光り、小さくテーブルを濡らした。
その様子だけをぼんやりと見つめる祐樹。
涙が瞳に表面張力してよく見えないのに、それだけははっきりと見えた。そして、西條の姿も。
なぜここに?いつから?
祐樹の頭の配線はぐるぐるとそればかりをリフレインさせる。完成させる間もなく、西條と目が合った。
途端、祐樹は音を立てて立ち上がり、走り去っていった。
慌てるゆづきを余所に、西條は「後で払いに来る」とだけ言って祐樹の後を追っていく。
カウンターでひとりになったゆづきは、しばらくぽかんと口を開けていたものの、すぐにまた柔らかな笑顔に戻った。
西條の残したカクテルと、祐樹の残したオレンジジュースを片付けながら、小さく呟く。
「変わったわね、瑞樹」
岡崎くんと、会ってから。
ゆづきはそう嬉しそうに小さく笑った。
そんな彼女を、他の客は酒を飲みながら見つめる。
その微笑みはとても慈愛に満ちていて、美しいと彼は思った。