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「瑞樹、今日は何か機嫌良いわね」

仕事を終え、テーブルをふきんで念入りに拭く西條に、突然熱い息と声がかけられる。
耳が弱いので思わず飛び上がれば、ゆづきは相変わらずカラカラと笑った。

「別に、なにも」

「うそつき、恋でもした?」

瞬間、思い浮かぶ先ほどの少女。
年はさほど変わらないので恋になる確率は高いのだろうと薄っすら思っていたが、まさか図星を当てられるとは。
西條はゆづきの言葉を無視し、ちゃっちゃと仕事を終わらせ、またアパートへと帰宅していった。




翌日、西條が工場の仕事を終えてから直接スナックバーに向かうと、ホステスのみゆきにいきなり、

「ママの大好きなスイトピーが枯れたから買ってきて!」

と、地図を渡されおつかいを頼まれた。

ただでさえ、自宅と工場とスナックの往復は辛いというのにと西條は肩を落としながら、地図に記載されていた花屋に辿り着いた。
他のところと何ら変わりない其処。
ただ、花のバリエーションが豊富で、店内も穏やかな雰囲気に包まれている。

しかし、それほど花に興味の無い西條は、この鼻を浮かせるような香りから逃げたくて、目当てのスイトピーを見つけた。
傍にいた店員に適当に声をかける。

「すみません、これください」

「あ、はい!」

掃除をしていた女性店員がぱっと振り向き、西條に笑顔を向けた。
それは、あの太陽だった。

「…あ、」

あのときの、と西條は口を開こうとした。
しかし、相手が覚えているはずがない。
誰でしたっけと言われるならば忘れたふりをしよう。
正直羞恥にはあまり耐えられない性質だ。
それに、仮にも好きな相手にそんなことを言われたらきっと立ち直れない。
そう、都合をつけようとした瞬間。

意外にも、

「あ!まめちゃんがぶつかっちゃった人ですよね!あの、私覚えてますか、ウサギの…」

「え、あ、覚えてます、けど」

彼女の方から覚えていて、尚且つ親身そうに話しかけてきた。
太陽のような笑顔は変わらずに。
その笑顔と、覚えられていた驚愕に西條は思わずどもってしまった。


「よく覚えてますね、俺のこと…」

嬉しさと驚きが混じって、西條は思わず頬が綻んだ。
しばらくしていなかった笑顔が、自然に作られてゆく。
そんな西條を目を細めてみる彼女は、楽しそうにくるくると回ってスイトピーを数十本とった。

どうやら西條が得意先であるスナックの従業員だと知ってのことだろう。
現に彼は従業員の服を着ている。

それに臆せず、彼女はまた笑って、

「はい、なんだか、」

西條は一瞬、自分の顔が目立つからだろうと思った。
別に自信は無くとも周りが言ってきたのだ、そう思ってしまうのも仕方ない。
だが、彼女は



「寂しそうな顔 してたから」



違っていた。
氷を溶かす日光のごとく、彼女は優しくて暖かい。
そう西條は、全身で感じてしまった。

ぽかん、としている間にも、彼女は楽しそうにスイトピーを新聞紙にくるくると包み、持ち帰り用に仕上げてしまった。

「はい、ゆづきさんトコのホストさんですよね!
毎度ありがとうございます、お気をつけて!」

どんな花よりも、輝いていた笑顔に。
西條は思わず、


「…また、」

「はい?」

「また、来ていいですか」


スイトピーの花束を受け取る手を滑らせ、彼女の細腕をしっかと掴んでいた。
あまりのことに驚きながらも、彼女は西條のその真剣な表情を見て、やんわりと微笑む。


「いつでも、どうぞ」



これが西條にとって希望のはじまりであり、絶望への始まりでも、あった。

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