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ひとしきり練習を終え、なんとか相手のグローブに投げられるまでに成長した祐樹。
行き着くまでに、ボールが川に落ちそうになったり、散歩中のおじさんにぶつかったりと困難が多かったのだけれども。
その度に西條が呆れ、祐樹が慌てふためいたことは言うまでもない。

2人は休憩のためにベンチに腰掛ける。
一般的なキャッチボールより遥かに体力を使ったためか、沈黙が数分間続いた。
西條はぐったりと俯き、祐樹はあまりの疲れに口をぽかんと開けたまま意気消沈している。


「あー…疲れた…お前、当日大丈夫か?死んじまうだろ」

「が、がんばる…俺、外野だから、たぶん大丈夫です…」

「レフト?ライト?」

「え?左とか右とかあるンすか?」

なんとなく話し始めてはみたものの、相変わらず野球のルールも用語も知らない祐樹に溜息を吐く西條。
また呆れられてしまった、と祐樹は落ち込むものの、西條の溜息は「コイツしかたねぇなぁ」という程度のもの。
大して呆れてはいないので、西條は気にせず適当な棒を見つけて、砂にガリガリとルール説明を描き始めた。


「ここがホームベース。
一周してココを踏んだら、1点だ」

簡単なゲーム進行を祐樹に教える。
祐樹は、ふむふむと納得し頷きながらも、西條の書く字にちょっと笑みを零していた。
一緒に働いていて、彼の書く帳簿やら書類を見れば分かるのだが、字が女子のように丸い。
字があまり上手ではない祐樹から見れば、十二分に上手いのだが、西條が書くとギャップがひどいのだ。

ルールの勉強と、西條の字に微笑むことで頭がいっぱいな祐樹はうっかりヘラヘラしてしまう。
人から教わっているときだというのに、それは止められなかった。
そのせいで、西條は一旦手を止めると、


「なに、ヘラヘラしてンだよ」

軽く祐樹の額を指で弾いた。

「いて、すいません…」

軽い力だったので、それほど痛くは無かったが、西條の指摘通りなので祐樹は少しばかりしょげる。
次はちゃんと真面目に聞こうと、口をきゅっと噤んだその時。
西條が小さく息を吐き出して、すくりと立ち上がってしまった。
もう勉強は終わりなのだろうかと祐樹も不安になって立ち上がると、彼は祐樹に背中を向けたまま、


「向こう行こうぜ」


川上の少し奥にある、日が当たるけれど通りからは死角になっている場所に目線を向けた。
その目線の先を追いながら、祐樹は小さく頷く。
西條がこうして場所を変えて話すということは、きっと何かあるのだろう。

一緒に働き始めてからも、幾度かそういうことはあったのだ。
例えば、祐樹がうっかり2度も箱洗剤を落としてぶちまけた時。
注意力が欠けているとこっぴどく叱られ、箱洗剤の相場すら教えられた。
その他にも、祐樹の使っているエプロンが汚れていた時。
新しいのを与えたときも、仕事終わりの祐樹を事務室に1人呼び出した。

その頃はまだ、恋心も彼を慕う心も何も無かったのだけれども、呼び出される不思議な感覚は同じ。
一体、なんの話をされるのだろう。


(も、もしかして、もう別れるとか…!?)


最悪な展開を妄想して、祐樹は冷や汗を滲ませる。
考えるだけで、貧血の症状に似た、なんともひんやりとした感覚に襲われた。
そんな話だったら、着いていきたくないななんて思いつつも、彼は西條の後ろを律儀に着いて行く。


2人が腰掛けたところは、ベンチにしては少しばかり粗末な木製の2人掛けの椅子。
地べたに直接座るよりはマシだが、少しだけ尻が痛む。

しかし、目の前にはキラキラ光る水面と、初夏特有の青々とした丘。
日の暖かさはちょうどよく、昼寝には贅沢過ぎるくらいに気持ちのよい場所だった。

そんな場所で、西條と2人きり。
祐樹の心が、先ほどとはうって変わって温かさに満ち溢れる。
向こうの丘に咲いている、素朴で可愛らしいシロツメクサの花たちをじっと見つめた。


落ち着いた祐樹を、西條は隣で横目で見やると小さく息を吐くように話し始める。


「俺たち、一応…付き合って2週間ぐらい経ったよな」

少し照れているのか、痒くも無い頬を何度か掻く西條。
だがしかし、その話の切り出し方のおかげで、祐樹の心臓は嫌な方向に跳ねた。
滲んでいた冷や汗は、だらだらと流れ始め、一気に口の中が乾ききる。


(やっぱり、別れ…!?そんな、せっかく両思いになったのに…)

あまりのことに、返答が出来ないのか、祐樹は何度も頷くだけの返答をした。
頭の中では、次の西條の言葉は一体何なのかでいっぱいいっぱい。
西條の顔なんて見れずに、ひたすら足元の柔らかそうな草を見つめていた。

ぎゅっと自分の太もも部分のズボンを握りしめ、早く鼓動する心臓を落ち着かせようとする。
だが、西條が次に出した言葉は、祐樹の妄想とは全く違ったものだった。


「だからさ…まだ早いとは思ってたけどよ。
 お前の祖母さんに聞かれたから、答えちまったンだよ」

「…え?」


何を、と言う視線を向ければ、西條は困ったように眉尻を下げて力なく笑った。


「付き合ってることだ」


お前には悪いけれど、泣かせてしまった。
と、西條は静かな声で伝える。

その困った表情と、声に、祐樹の心は痺れるように震えた。


だが、それよりも先に祐樹は、


「えと、それは、わ、別れるってこと…っすか?」


泣きそうな声で、先ほどから思いつめていたことを西條に聞いてしまった。
西條はそんな話などする気などさらさら無かったので、極限までに目を丸くする。
不安いっぱいの瞳で自分を見つめる祐樹に、思わず可愛いと思いながら、


「ばっか、違ぇよ。
 …ンな訳ねぇだろ!」

ぶっきらぼうでありつつも、祐樹と別れることなど無いと告げた。
その答えにようやく安堵した祐樹は、やっと震えを止める。
だが、その後にやっと西條の告げた事実を、理解し始めた。


「…ばあちゃんに、話したンだ…」


祐樹の頭の中で、ぼんやりと思い出すのは母と父が結婚を反対されていたという過去。
彼は直接見た訳では無いけれども、遠い親戚にそのことを聞いた過去を思い出していた。
子ども心に、深く付いた傷がじくじくと痛みをぶり返し始める。

けれども祐樹は、ゆっくり息を吸ってその痛みを消すように心を落ち着かせた。
一瞬だけ目を閉じて、自分の中の答えを見つける。


「…俺は、ばあちゃんが泣いちゃうのは、悲しい。
 やっぱり、ばあちゃんもじいちゃんも俺にとって大切だから…」


家族を大切に思う気持ちは、西條も痛いほどに分かる。
それを失って、大切さを一番知っているので、より一層に。

だからこそ、西條は祐樹の想いを聞きたかったのだ。
もし彼が、祖父母を悲しませたくない、彼らの気持ちを優先したいのならば。
今日この場で、悲しいけれど手を離そうと思っているのだ、西條は。

けれども、祐樹は


「でも、その、…俺、西條さんのことも…
 同じくらい、大切なンだ…だから、謝ンなくても、大丈夫」


誰のことを優先する、なんてことはしなかった。

祐樹にとって、自分を大事に育ててくれた祖父母はとても大切な存在。
けれども、西條のことも大切で、大好きだから。
どちらかのために、どちらかを犠牲にするなんてこと、彼には出来ないのだ。


それは、ほんの少しだけ愚かだけれども、西條の心を満たすのには充分な答えだった。



「あ、でも、ワガママかもしンねぇけど、俺も…わ、別れたくないし!
 祖母ちゃんには俺も言うから…」


顔を真っ赤にして、焦る祐樹のふわふわした頭に西條は力無く顔を埋めた。
脱力したように少し体重を乗せて、溜めていた息を吐く。
その吐息と、自分にもたれ掛かる体温に、祐樹の頬はますます熱くなった。
そして、

西條を、支えて生きたい。
なぜか、そう感じてしまった。


祐樹は、そっと西條の手の甲に手のひらを重ねた。
きゅっと少し力を入れて、彼の手を懸命に包む。
自分も西條の肩に頭をコトン、と置くように寄りそった。

体温から伝わる、西條が不安に思っていたこと。
それはきっと、祐樹も薄々感じていたことであり、これからもずっと続いていくもの。


同性同士、年の差、過去、2人を囲む人間関係、将来。


考えるだけで、目を瞑りたくなる。
全てのことに目を背けて、西條とこのままずっと寄り添っていれたらいいのに、なんて。

ほんの少し浅ましいことを思いながら、祐樹はそっと目を閉じた。
もし自分の性別が違って、自分の家庭環境が豊かで、彼とも年の差が無かったなら。
そんな、思ってもいない異世界を思いながら西條の体温を感じ続ける。


すると、その体温がそっと離れたかと思うと、西條は祐樹の肩を引き寄せた。
優しいけれども、ちょっと乱暴なその動きに反抗する間もなく顔と顔がとても近くに寄せられる。

コツン、と音を立てて額同士をぶつけた。


「…今度、岡崎ン家に行くから。
 俺も、もう1回きちんと説明しねぇとな」


お前だけだと、どもりまくって祖母さん理解しないかもしれないからな。
なんて、いつもの悪態を付けつつ、祐樹に微笑みかける。

祐樹は、身内にそんなにどもらない!なんてムキになりつつも、困ったようにへにゃりと笑った。
先ほどまで募っていた不安が、徐々に溶け出してゆくように。

2人の間に、心地よい沈黙が流れる。
目が少しだけ合えば、祐樹は瞬きのようにそっと目を閉じた。

それを合図のように西條は、そっと祐樹に音も無く口付ける。

柔らかい下唇を、優しく何度も挟み唇同士を深く深く合わせた。
角度を少し変える度に、西條は祐樹を抱き寄せ、ぎゅうっと抱きしめる。

祐樹の心臓が、少し早い一定のリズムで鼓動を刻む。
西條と口付けているということに、胸が締め付けられるくらい幸せだと思えたから。
ゼロに近い距離が、こんなにも、嬉しいなんて知らなかったからだ。



お互いの気持ちが通じてから、初めてのキスはとても静かで。
ひどく、暖かかった。


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