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ぴたり、と落下に向かっていた身体が抱きとめられる。
「あぶねっ、!」
焦ったハスキーボイスが、耳元で聞こえる。
いつの間にか戻ってきた西條が祐樹の胸を抱きかかえるようにしっかと支えていたのだ。
祐樹はただ目を丸くし、体勢を整えされるまでぼんやりとする。
自分を救ってくれた西條に感謝というわけではなく、ただびっくりとしか言いようが無かった。
そんな祐樹を見て疑問に思い、
「おい、何ぼけっとしてんだ」
声をかけても「あ、ハイ」と空返事。
何なのだろう、と思うが先ほど歩きにくそうにしていた祐樹を置いて先にどんどん行ってしまった負い目もある西條は、先ほどよりゆっくり歩いてなるべく祐樹の隣を歩くように心がけた。
ふと、廊下の端に行き着いた事に気づく。
どうやらこの先は体育館のようだ。体育館では、総合的にイベントが開かれている。
「体育館で面白そうなことやってンな」
体育館から聞こえるアナウンスの声に惹かれ足を進める。
同時に、祐樹の手も引いて。
大きめで骨ばっている、男らしい手が祐樹の小さめで細い手をがっしりと掴んでいた。
祐樹は目を丸くして、ひたすら驚く。
「えぇ!?何やってンすか!きもい!」
「うるせー!キモいキモいって…さっきから腹立つな…」
引っ張ってってやんだから感謝しろ。
相変わらずえらそうな言い方に、祐樹は苛立ちながらもその手を振りほどけずにいた。
自分より大きい手。
仕事柄、ひどくかさついている。
それでも温かい。
(他人から見たら、俺たちなんなんだろ)
ほ、の次の文字を想像した瞬間、祐樹の血の気が一気に床に落ちた。
本日、二度目。
(違う違うちがーう!ムリムリ、とてもひどく著しくムリ!)
衝撃的な予測に、思わず祐樹は首を思い切り横に振った。おかげで繋いでいた手もぶれる。
「何暴れてンだっつの、着いたぞ」
「あ、ども」
体育館に辿り着き、すぐさま離れる手。
まだ感触と温度が残る自分の掌を見つめながら、ふと先ほどからひっかかっていたことを
祐樹は呟く。
「あの、西條さん」
「なに」
体育館では不思議なイベントが行われていた。
マジックやら、カラオケやら。
拡声器やマイクで響く煩いそこのはずなのに、西條と祐樹がいる体育館の入り口の脇は、ほんの少し静かだった。
「あのウサギ、部屋に飾るンすか」
「…俺はそんな気持ち悪い男じゃねーし」
祐樹が気にかかっていたこと。
それは、口が悪くて大人気ないこの男がなぜあんな可愛らしいウサギを買ったのかということである。
彼女は居ない。
「妹にでもあげるとか?」
「俺、兄弟とかいねぇンだよ」
新たな情報はより混乱を招く。
祐樹が首を傾げる。
なぜだろうと言った具合に目を丸くして。
その姿を、薄っすら苦笑して西條は見つめた。
すこしだけ、悲しそうに。
そしてぱっと目を逸らして、西條は虚空を見つめる。
その眼差しの先には何も無い。
せいぜいそこにあるのは空気か、体育館の少し汚れた壁だけ。
きっとそこを見つめている訳ではない。
ただ目線がそこなだけだ。
それなのに、祐樹は西條と同じ方向を見つめながら、彼の小さな囁きを聞いた。
「…好きだった人だ、」
とても小さくて小さくて、もしかしたら違う人が言っていたのではないのだろうかと祐樹は思えた。
けれどそれは確かに西條の声で、一瞬だけ呟いた最中に見た唇は動いていたのだ。
祐樹は、自分でも驚いているのかどうか分からないほど呆然とした。
口を半開きにして、何も言わずに西條をじっと見つめる。
西條は祐樹の姿など1度も見ずに、ただずっとずっと遠くを見ていた。
その先に何があるのか、
祐樹は分かっていたけれど、よく、分からなかった。
体育館の賑やかな声や音楽が、先ほどよりずっとボリューム高く響く。