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太陽が西に沈みかけてきている午後4時30分。
携帯、財布、家の鍵。
それらをズボンのポケットに入れ、祐樹は穿き慣れたスニーカーを穿いて家を出た。
普段から荷物は少ないのだ。
身軽になって、遅い足も少しは速くなる。
不思議と急ぎ足になる自分に気づかないまま、祐樹は早くホームセンターに行きたいと小さくひとりごちる。
いつもの道にある縁石に乗ってみたり、近所の犬に手を振ってみたり、とてもご機嫌だ。
そうこうしている間に、もうホームセンターは目の前。
駐車場の奥から祐樹は来るので、裏口に西條がいないかな?なんてちょっと期待。
しかし、裏口はいつものように薄暗くて誰も居なかった。
そのうえ今日はダンボールの回収日らしく、大量のダンボールが積み重なっている。
自分がやらなくて少し良かったな、なんて思いながら祐樹は裏口から店内へと入った。
有線のBGMが、薄っすら聞こえる。
今日はジャズ風味か、と祐樹はチョイスした人を思い浮かべながら倉庫から事務所へと小走りで向かおうとすると、
「岡崎!」
1番聞きたかった声が、倉庫の端から飛んできた。
急ブレーキをかけるかのように祐樹の足が止まる。
同時に、走りよって来る音が聞こえてきた。
「遅刻してねぇの、珍しいな」
おはよう、と意地悪に笑いながら西條は挨拶する。
祐樹の心が一気に舞い上がった。ふわふわする。
けれどついつい、
「そンな遅刻ばっかしないし…!」
素直じゃない言葉を吐いてしまった。
おかげで少しばかりの沈黙が訪れてしまう。
自分の発言に、やってしまったと祐樹は口を噤んだ。
相変わらず、以前の癖が抜けていない。西條を、嫌いだった頃の。
またキモいと云いかねない。
祐樹はひとつふたつ咳払いをして、テンションを持ち直した。
「あの、おはようございます!」
なぜか、挨拶だったが。
言った後、自分の発言が意味不明なことに気づいて慌てふためき始める。
ちらりと西條を見上げれば、目を丸くして首を傾げていた。それもそうだ、会話した後いきなりまた挨拶。
思わず、西條は喉奥でくくくと笑った。
「…おはよう、さっさと着替えて作業確認しろ」
アホなことしてないで、と意地悪も付け加えながらそう告げる。
本当にアホなやつだと思いながらも、そんなところが何だか可愛くて仕方ないから。
だから先ほども、裏口から祐樹が入ってきたと気づいた瞬間思わず声をかけて駆け寄ってしまったのだ。
昨日会ったばかりなのに、まるで久しぶりに会ったかのような感覚。
それは祐樹も同じで。
だからこそ、名残惜しい。
いくら仕事中だとはいえ、やっぱり傍に居て話をしたいのだ。けれど、こればかりはどうしようもない。
じゃあまた、なんて言いながら祐樹は急いで事務所へと小走りで去っていってしまった。
ぱたぱた、と小さな足音がフェードアウトしてゆく。
祐樹が行った後、西條はまた作業へと戻った。
緩む口元を腕で隠しながら。
「あっ、おはようございます岡崎先輩!」
事務所に着いた祐樹を迎えたのは、今日も元気なひよりだった。
長い髪を後ろで1つにまとめながら、明るい笑顔を祐樹に向ける。
相変わらずヒマワリの様に明るい笑顔だ、と祐樹もなるべく明るい笑顔で「おはようございます」と元気に返事をした。
いそいそとひよりの隣に向かい、彼女のロッカーの隣にある自分のロッカーに手を伸ばす。
それはご機嫌に。
ふと、隣にいるひよりを見てあることを察した。
「そういえば、東條さん今日はレジ?」
接客業において、レジは女性が優位だ。
屈託の無い笑顔は、店の顔にピッタリ。
祐樹も最近では愛想が良くなってはいるが、可愛らしい笑顔のひよりにはさすがに敵わないので専ら裏仕事だ。
しかし、その裏仕事が今の祐樹には嬉しい仕事。
そんな祐樹の思惑など知らないひよりは、けろっとしながら返事をする。
「そうですよー!今日は補充がいっぱいみたいなンで頑張ってくださーい」
へらへら笑うひより。
本当!?最悪だ、とガックリする祐樹を想像していると、ひよりの想像とは裏腹な表情をし始めた。
いっぱいかぁ、手伝ってもらおうかな…なんて小さいひとりごとを漏らしながら、へにゃへにゃ笑っている。
頬を薄っすら染めて、嬉しそうに。
(…あれ?)
ひよりの笑顔が一気に消える。
訝しげに眉を寄せて、首を傾げた。口の端も引きつる。
もしかして、以前自分が疑っていたコトになっているのではないのかと。
ひよりは小さく「うそでしょ…」と呟いた。
「ん?なに?」
ぱっと祐樹が表情をいつもの緩い笑みに戻して、ひよりを見つめた。
ひよりもぱっといつもの笑顔に戻す。
「いいえ!私行きますね!」
「ん?早くない?」
レジを始めるのにはまだ10分ほど早い。
前の担当である常田がまだやっているというのに。
それなのに、ひよりは祐樹の疑問を流しつつタイムカードを持って店内へと出て行ってしまった。
これ以上、何だか祐樹の傍にいることができないと思ったから。
案の定、タイムカードを切ってレジに向かうと、常田にとても驚かれてしまった。
それでもひよりは構わず、「やる気満々です!」と行って見せる。
だから誰も気づかない、彼女の混乱など。
1番気づかないであろう祐樹は、のんびりとシフトチェックをしながらエプロンを着けている。
1年以上経つというのに、未だにエプロンを着け慣れない祐樹は、いつものように紐を変な所に出してしまっていた。
なんで出来ないかなぁ、なんて呟きながらもう一度挑戦。
事務所で1人わたわたとエプロンに苦戦している姿はちょっとばかし滑稽であった。
すると、事務所の扉からレジの中身を持った常田が入ってくる。ひよりと交代をしたので、清算するのだろう。
祐樹に挨拶をしながら、数えるために椅子に腰掛けた。
「岡崎くんったらまァだエプロン付けられないの?」
「違っ…ちょっと戸惑っちゃってて!」
祐樹をちょっとからかってカラカラ笑う常田。
宮崎といいひよりといい、どうもここで働く女性はからかい上手で困る。
後頭部の髪を少し弄りながら、祐樹は不器用ながらもちゃんとエプロンを着けた。
レジの金銭を数える音が静かな事務所に響く。
今日は売り上げが予算より少しでも越えていればいいな、なんて祐樹は思いながらタイムカードを持った。
もちろん、売り上げを気にするのは店のためというよりは西條のためなのだが。
事務所から出ようとする祐樹に、ふと常田が声をかけた。
「そういえば、花の種あるンだけど岡崎くんいらない?」
「種っスか?球根とか苗じゃなくて…」
「気長でいいでしょ?」
確かに球根や苗よりは時間がかかるだろう。
その分咲いたときの喜びは大きい。
しかし、今育てている花たちの中に入れて世話しきれるだろうか、と迷っていると、
「あ、それねぇ西條君が発注ミスってフェイス無いやつだから西條君に貰ってね」
「…はい」
常田は気づいていないが、祐樹の背中の一押し発言をしたのだ。
祐樹は種を貰うことを決め、また1つ話の話題が出来たことを喜びながら、ご機嫌でタイムカードを切りに扉を静かに開けた。