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ご機嫌で菓子が詰まっている袋を抱えながら、車内に乗り込む祐樹。
同じように西條も運転席に乗り込み、エンジンをかけた。鈍いエンジン音が暗く静かな立体駐車場に響く。
次は、と西條は言いかけるがふとデジタル時計を見た瞬間言いかけた言葉を飲み込んだ。
気づけばもう午後3時を過ぎている。祐樹は普段バイトをしていて午後9時過ぎに帰っているので、門限という制度は無さそうだが、あまり遅くまで連れまわすのも良くない。
それに、天明寺から浅見までは距離があるのでより一層だ。
そろそろ帰って、4時には家に送るかと西條は「帰るか」と告げようとする。
だが、その瞬間。
助手席から、いつもの「きゅうー」という間抜けな音が鳴った。
案の定、ばっと腹を押さえる祐樹。
西條は思わず噴出してゲラゲラ笑ってしまった。
「あれ?俺あのマスコット買ったか?」
なんてからかいながら。
祐樹は顔を真っ赤にしてわなわなと震える。
うどんは意外に消費ペースが早いのだ。ましてや、祐樹のような若い体では尚更。
もうお腹が空いてしまった自分に「俺の腹め…!」と小さく唸った。
しかも、以前の事も合わせて食いしん坊だと思われていそうで嫌だ。
さすがに祐樹も、想い人に「食いしん坊」と認識されて嬉しい訳がないのだ。どちらかといえばその称号はデメリットの方が大きい。
目の前にある菓子の袋を見て、食べようかどうか迷う祐樹。しかし、他人の車内でばくばく物を食べるのはいかがなものか。
どうしよう、どうしようと迷っていると、
「何か食ってくか」
「え!い、いいンすか…」
西條がナイスタイミングで、近くに祐樹の好きそうなドーナツショップを見つけて右折する。
お前、あれ好きだろ。と言いながら。
よく宮崎が、ドーナツショップの詰め合わせを買ってきて事務室に置いているのだ。
結構頻繁に祐樹はそれを美味しそうに食べている。
なんだかんだ、西條はよく見ているのだ。祐樹のこと。
祐樹はちょっと戸惑いながらも、こくこくと頷いた。
下唇をちょっと噛んで、上目遣い。
それは祐樹の癖なので無意識なのだが、西條は意識しまくり。
その小動物のような仕草を見て、さっと視線を逸らした。これ以上意識したら事故を起こしかねない。
「岡崎、店入っていきなり腹鳴らすなよ」
「な…!?が、我慢するし!」
「どうやって」
「こう…ぎゅっと抑えて…?」
変な会話をしつつ、車を止めて2人は最後にドーナツショップへ寄っていった。
明るい色調の建物内は、飲食店なので清潔感がある。
たくさん並べられたドーナツやパイはとても美味しそうで、祐樹は目移りした。
さすがにここでは自分で払います、と祐樹は遠慮して数個のドーナツを自分で買った。
西條は今更だろと思いながらも、自分も何か食べるかと甘くないパイ状のものを1つ買う。
男2人でドーナツショップというセレクトは何だか面白いなぁ、と西條は心の中で引き笑い。
けれど、隣で祐樹が嬉しそうにはにかんでいるので、そういう概念は全部吹っ飛ばした。
(ま、いいか)
西條の車へと向かう途中、ふと祐樹が立ち止まる。
はっとするかのように、近くにある洋服店を見つめた。
服が欲しいのだろうか、と疑問に思いながら西條は祐樹に「岡崎?」と呼びかける。
祐樹は呼ばれて「はい、」と律儀に振り向くが、すぐにわたわたと双方を見つめる。
別に拒否する理由は無いので、西條は「入るなら行くぞ」と言うが、
「あ、えっと、いや…違くて、っすね…」
どうやら目的は洋服店ではないらしい。
祐樹は目を泳がせて、ぎゅっとドーナツが入った袋を握り締めた。潰れないように端っこを。
疑問を浮かべて首をかしげる西條をこれ以上待たせるのは、とっても申し訳ないし怖いので、祐樹は勇気を振り絞って、
「あ、あっちに川原っていうか、公園みたいなとこあって…そこで食べたいなーなんて…」
俺、車の中汚しちゃいそうだし…と最もな理由をつけながら恥ずかしそうに告げた。
本当は、ちょっとでも一緒に居たい。
きっとこの後は家に送り届けてもらうだろうと察しが付いているからだ。
こんなワガママ、聞いてもらえるだろうかと祐樹はちょっと不安になって西條を見上げる。
「あー、そういえばお前いっつも下に何かひいて食ってるよな…」
西條は特に困った様子を見せずに、あっさり承諾。
向こうか、と祐樹に聞きながらその場所へと歩き出した。
祐樹はそんな所も見られていたのか、と恥ずかしくなるもやっぱり嬉しくて、西條の隣へと歩き出す。
夕方になりかける、暖かい時間。
影がちょっと伸びているのを見ながら、西條と祐樹は小さな川原が近くにある公園に向かった。
公園と言っても、遊具がある訳ではない。
川原でちょっとのんびり出来るように、小さなベンチと砂場らしきものがある程度だ。
祐樹は一番綺麗なベンチを選んで、真ん中よりすこし離れた所に座る。その隣に西條も腰をおろした。
瞬間、祐樹の体に一気に緊張が走る。
(ち、近い!何か近い…!なんでだ!?車ン中とか一緒に歩いたりとかしたのに…!)
それらとは違った距離の近さに、ドキドキしながら祐樹は慌ててドーナツを取り出した。
西條はパイ1つなので、ゆっくりとそれを頬張りつつ、一生懸命もぐもぐ食べる祐樹をちょっと呆れて見る。
「…ドーナツは逃げねぇぞ」
「わ、わかってまふ…」
小動物のようにもふもふ一生懸命食べる祐樹に、喉を鳴らしてクククと西條は笑った。
静かに流れる川の音だけが、聞こえる。
遠くで車の走る騒音も聞こえたが、この空間はとても静かで。
時折流れる風の音や、それがもたらす葉の揺れる音。
心が、ゆっくりと癒されていくような気がした。
祐樹は2個目のドーナツを取り出し、また急いでもくもく食べる。
ホイップクリームの甘さが口中に広がり、思わず抜けた顔をしてしまった。
幸せいっぱいです、と言わんばかりの表情。
西條は隣でそれを見ながら、パイを食べ終える。
なんとなく、祐樹に近づいて
「俺にも一口」
「え、」
祐樹が口に運ぼうとしていたドーナツを、ぱくりと一口貰った。
色の付いたチョコレートで包まれたドーナツなので、ちぎれないだろうと思ったからの行動である。
そして、一応男同士だし、気にしないだろうとも思ったし、相手が祐樹なのでちょっとした下心もありの行動だった。
「うっわ、甘…!」
独特の甘さに、西條は食わなければ良かったと後悔。
あまり甘いものは好きではないのだ。
しかし、(勝手に)貰ったので礼を言おうと思ったそのとき。
「…岡崎?」
祐樹は慌ててベンチの端っこに逃げ、西條を背にして振り向く。一気に離れられて、さすがにやりすぎたかと西條は反省。
しかし、実際は嫌で離れたわけでは無い。
なぜなら、今祐樹の顔は耳まで真っ赤。
困ったように眉が下がり、ちょっと震えていた。
心拍数は、今までよりずっとずっと激しい。
(ち、近い近い近かった…!西條さんが俺の手から…うわあああどうしよう、なんだこれ、死ぬ…!)
もう自分の気持ちさえ分からないほど混乱。
いきなり逃げてしまった、とは気づいているものの、この状態で再び西條と向き合うなんて勇気は無かった。
けれど、近づく気配。
「悪かったって…ンなに拒否ンなよ」
一口だろうが、と言いながら謝ってくる西條。
向こうを向いてひたすら黙っている祐樹が気になるのだろう、距離を縮める。
しかし祐樹は一向に振り向かず、「いや、その…怒ってはないです」と空中に向かって話した。
怒っては居ないのか、と西條は安心して止まる。
しかししばらく経っても、祐樹は一向に向こうを向いたまま。同じベンチに座ってこの状況はおかしい。
西條も痺れを切らして、とうとう。
「ったく、一口ぐらいで拗ねんなっつーの…」
何か奢ってやるから、と言いながらぐいっと油断していた祐樹の肩を掴み、こちらを向かせた。
祐樹は急に動かされたのと、西條に触れられたことに驚いて声も出ず、拒否も出来ず。
「何で向こう向いてん…」
だ、と言葉を出そうとしたがそれは、西條の喉の中で消えた。
振り向かせた顔は、困ったような顔をしていて。
けれど、ただ困っている訳じゃない。
耳まで頬を赤くさせ、泣きそうになっているのか瞳は潤んでいる。
「あ、…」と頼りない音を出す唇は震えていて、掴んだ肩も若干震えていた。
西條はごくりと唾を飲み込む。
(…あ?…これって…)
こんな、表情を見て察しがつかない程西條は子どもじゃない。けれど、それを確信と思えないのは、祐樹との距離はまだ遠いから。
だけど、あまりにもその表情は西條の心をひどく揺さぶりすぎた。
西條は祐樹の細い肩から手を離し、近づく。
一気に近づいてきた西條に、祐樹はもう動けない。
この後どうなる、なんて予測が出来るほど冷静ではいらくれなくて「さ、さいじょ、さん」と声を震わせた。
不思議なことに、祐樹は無意識のまま体を西條の方に向ける。頭は分かっていなくても、好きだという本能に近い心がそうさせた。
西條の空いている手が、祐樹の顎を触る。
もう、2度もされた事だ。この前触れは。
(う、嘘、)
祐樹はまさかのことにパニックになりながらも、思わずぎゅっと目を閉じてしまった。
多分、閉じなかったら西條は冗談だとからかって逃げられたのに。
ゆっくりと近づく距離。
祐樹は震えながら、食べかけのドーナツを落として空いた両手を西條の胸元に置く。
ぎゅっと縋るように服を掴む祐樹の掌。
唇まで、あと、