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日が徐々に落ちる夕方頃、ちょうど非番だった西條が見舞いの花を持って祐樹の祖父の病室へ向かっていた。
病気で亡くなってしまう人の見舞いなど訪れたことなどほぼ無きに等しいので、西條は何と声をかければいいのだろう、と悩む。

そもそも、祐樹の祖父と会話を交わしたのは自分が風邪をひいて運ばれたときと、祐樹が誘った夕飯のときだけ。せいぜい店のことか他愛無い世間話しかしたことが無い。

とりあえず、見舞いの花だけ差し出して「お大事に」と当たり障りの無いことだけ告げよう。

そう決意して、西條はゆっくりと病室へと入っていった。



「おや、西條さん!わざわざ来てくださったのかい?」


すると、西條を見つけた祐樹の祖父はいつもと相変わらず人の良い笑顔で声をかける。
病に蝕まれているというのに、その元気さに西條は驚きながら「はい、」と少し戸惑いながら返事をした。

持ってきたオレンジのガーベラを基調とした花束を渡せば、ありがとうとそれこそ嬉しそうに笑ってくれた。隣に居た祐樹の祖母も、「花瓶に生けましょう」と笑顔でそれを受け取る。

すぐに退院出来る様な雰囲気に流されて、西條も薄っすら笑みを浮かべた。
やっぱり、暖かくて良い人達だ、と。
10数年前に祐樹の両親の結婚を固く断ったとは思えないほどに。


「どうぞ、西條さん座ってください。今りんご剥きますから」

「え、いや俺は…」

「いいからいいから、お祖父さんの話し相手になってやってください」


祖母に押し切られる形で、退室しようとしていた西條はあっさりとその場に留まらされた。
断る理由も無いので、西條は戸惑いながら差し出された椅子に腰掛ける。
ちょうど西日が降り注ぐこの部屋は、初夏というより春先の暖かさを醸し出していた。
あたたかなオレンジがあたりを包み込み、何だか安堵を覚える。


「そういえば、最近祐樹はどうですか?」

仕事先で迷惑をかけていませんか、と祖父は困ったように笑って問うた。
西條の肩がびくりと揺れる。
過ぎるは、雨の中泣きそうなくらい歪められた顔だけ。
聞いているのは、祐樹の仕事ぶりだというのに、西條は答えられなかった。


「…迷惑をかけてますか?祐樹が不器用なのは昔からなンで許してやってくれませんかねぇ」


どうも折り紙も鶴すら折れないしで…としみじみ祖父母が祐樹のことを語る。
西條は慌てて、

「い、いや、最近は仕事も慣れてミスもほとんど無いし、よく働いてますよ」

と告げる。
その通り、最近は初期に比べればミスも少なく、笑顔も多くなったので客のウケも良い。
後輩が沢山出来たので、指導する側にも慣れてきたくらいだ。迷惑なんてかけたことは最近全く無い。

しかし、


「そうですか?それならいいンだけどなぁ…最近祐樹は元気無くて…学校で何かあったのだろうか…?」


うーんと祖父は腕を組んで首を傾げる。
大事な孫をとことん可愛がって心配しているのだな、と思えば思うほど西條の胸が締め付けられるように痛んだ。
思い返せば、自分が祐樹から避けるようになったのは彼らのため、祐樹のためと考えたこと。

もし、もしそれが。
仮に祐樹の元気を失くしていたとしたら。

取り返しが付かないのではないか、と西條は思うとどっと背中に冷や汗がにじみ出た。
絶望したかのような表情になり、絶句。


それを、隣で見つめていた祖父は、小さく笑った。



「…祐樹は、西條さんと一緒にいると楽しそうだな、とこの前の夕飯のときに気づいた」


父親との空白の時間を埋めようとする訳でもなく、居ない兄弟の代わりでもなく。
と、祖父は付け加える。

西條の唇がわなわなと震えた。
ぎゅうと下唇を噛んで、震えそうな声を止める。

シャリシャリ、と祖母が静かにリンゴの皮を剥く音だけが響いた。やけに、静かだと思えばこの病室には入院患者は2人だけで、もう1人は席を外していた。
おかげで、この沈黙が苦しい。


祖父は、やんわりと西條から視線を外し窓から見える空を見上げる。
オレンジ色に染まった空はとても綺麗で、祐樹が幼い頃3人で散歩をしていた頃を思い出した。

愛する娘の息子。大事な孫。
目に入れても痛くないほど愛しい彼を思い出し、祖父は一度目を閉じて、切なそうに囁いた。



「…西條さん、良ければこれからも祐樹をよろしくお願いします。せめて、祐樹がアルバイトを終わるまででも」


懇願と切望が織り交ざったその願い。
全てが愛で出来ている美しいそれに、西條はひどく心を打ち砕かれた痛みに震えた。

その、可愛い大事な祐樹を、泣かしているのも苦しめているのも、自分なのにどうして自分に頼むのか、託すのか。


西條が押し留めていた思いが、あふれ出てきた。




「…俺には、岡崎の傍にいる権利はありません」


祖父母は驚いて西條の俯く顔を見つめた。
震える肩に、もしかして祐樹のことを好いていないのではないかと不安になる。

祖父は何度か目を泳がせて、


「祐樹は、邪魔ですか」

と問えば、西條は何度も首を横に振る。


「邪魔なのは、俺です」

自分は子どもか、と西條は思った。
余命残り少ない人に、こんなことを言うなんて、大人の対応をまるで出来てすら居ない。
それでも、あふれ出た本当の感情はもうこれ以上嘘をつけなかった。



「俺は、岡崎を泣かせたり、苦しめたりしてばかりだから…」


声が震える。
たどたどしくなる声に、祖父は目を凝らして西條の俯く顔を覗いた。
ひどく、苦しそうな顔をしていた。



「…家族を失って、勝手に岡崎を、…俺の世界に引き込もうとして、…アイツの将来も考えずに…」


独りは、嫌だった。
もう大人になったというのに、家族と呼べる人が欲しくて仕方なかった。
自分のいつまでも誰かと居たいという浅ましい考えで、勝手に祐樹を家族にするわけにはいけない、だから。

西條は泣きそうな声で告げる。
今まで1人で押し留めていた感情を、この世界に声に出して吐き出すことは、ひどくリアルでそれをまだ逃げ惑う心に直撃させるようなことだった。
胸が痛い、西條の心は悲鳴を上げている。




「…年を取ると、人生というのを少し分かるような気がします」

祖父はゆっくりとした口調で話し始める。
しみじみと自分達の過去を振り返りながら。


「幸せというものは、決まったものでは無いンなぁ…」

それは、自分達が娘を縛り付けたもの。
今なら分かるのだ、それが人を悲しませるものなのだと。



「西條さん、


あなたは、自分の楽なようにすればいい。
祐樹も、1人の人間だ。もうただの子どもじゃないから、だいじょうぶ。話せばきちんと答えを出してくれる。

…あなたは、幸せになっていいんだ」





ぶわ、と西條の両目から涙があふれ出た。
拭うことも忘れて、俯いてひたすら泣く。
ジーンズの膝周辺が涙で滲んで、染みを作った。



たった、数文字の言葉が、
こんなにも嬉しくて悲しいものだと。



「…俺、おれはっ…!岡崎の、アイツと一緒にいて、いいんですか?俺は、こんなに弱いのに…!」



大人の男が、嗚咽を漏らして必死に自分の居場所を、祐樹のことを求める姿はひどく滑稽で。
それでいてとても悲しくて、
とても、愛に満ち溢れたものだった。


「…許すのは私達じゃあない、祐樹と西條さんが決めてゆくことだ。…祐樹を選んでくれて、ありがとう」





にこり、と笑う祖父の表情は、
祐樹がパワーウィンドウ越しに「ありがとう」と告げた笑顔に、とても似ていた。

どっと涙が洪水のように溢れ出す。
数年間押し留めていた感情が、全部全部あふれ出て、西條は嗚咽を漏らして泣いた。


ありがとう、ございます。と、必死に告げながら。


すると、
ガタン、と入り口で何かが落ちる音がした。
医者か看護士か、それとも同じ病室の人か。
誰だろうか、と祖母がドアを見れば、落としたものがまず目に入る。

小さなビデオカメラ。

誰が持ってきたのだろうとそこから視線を上げれば、そこには。



「…祐樹!」


西條と同じようにひたすら涙を流して、その場に膝を落としていた、祐樹が居た。

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