君に捧ぐ


琥珀色のウイスキーに湯を注ぐと湯気と共に濃厚なアルコールの香りが辺りを満たした。そこに取り出した粉末を零すとすぐに溶けた。
無味無臭だと言っていた。だがおそらくそんなことは無意味だ。シキの感覚は容易く異物の混入に気付くだろう。
それでも飲ませることは不可能じゃない。
アキラはグラスを手にとって執務室に向かった。
「総帥、飲み物をお持ちしました」
返事はない。それを肯定と受け取って扉を開ける。
「失礼します」
シキは丁度仕事に一段落がついた時だったのか、書類の束を整えている最中だった。厚みのある束がアキラへ差し出される。
「軍の再編をする。お前がやれ」
「分かりました」
手に持っていた湯気の出ているグラスを机の上に置く。
途端、シキは僅かに顔を顰めた。
「何だ、これは」
やはり、気付いた。嬉しい。
「お前が作ったのか」
「はい」
「どういうつもりだ」
「害はありません。お飲み下さい」
「こんなものを俺が飲むとでも思うか?」
「いえ」
予想通り。
アキラは再びグラスを手に取ると素早く一口含む。そしてそのままシキの唇に重ねた。無理矢理舌を差し込む。
「っ……!」
シキがアキラの舌を思い切り噛んだ。
アキラがシキから離れると、シキの体が僅かに傾いだ。即座にシキの背後に回ると、シキの両手を後ろ手に手錠で戒める。
「何の、つもりだ」
抵抗を示したがシキは普段の力の半分すら出せていない。
「速効性の弛緩剤です。医療用にも使われているものですから肉体への害はありません」
「これで害がないと言い張るか。動きが鈍ることは害ではないのか」
「すぐに元に戻ります。速効性である分、持続性はありません。ですから」
いつもより遥かに反応速度が遅いシキの体に触れた。大丈夫だ。まだ効果は続いている。
執務室と寝室を分ける壁にはドアがあって繋がっている。シキを背中に担ぎ上げると扉を半ば蹴り飛ばすようにして開けた。
寝室のベッドにシキを下ろす。
「少し、お休み下さい」
戒めた両の手をベッドに結びつける。シキは上半身を起こした形でベッドの上に座っている状態。
「……謀反でも起こすつもりか?」
それだけは有り得ないと知った上で、シキはなおアキラに問い掛けた。
「貴方への忠誠は変わらぬつもりです。今も、今後も」
「では何だ」
「いかなる処罰もこの身にお受け致します。今だけ、不敬をお許し下さい」
確かに弛緩剤は持続性に欠けていた。否、欠けていた、という言葉では到底及ばない。シキの体は既に常の状態に戻りつつあった。
「貴方はお体を大事になさるべきです」
「お前に説教をされるとは思いもしなかった」
「説教ではありません。貴方にそんなことが出来る者は一人もおりません。ですからただの願望でしかありません」
「ほう?」
シキは面白いものでも眺めるかのように目を細めてアキラを見た。
「貴方の体が貴方にとって、この世界にとって、どれだけ大切なものなのかを考えていただきたい」
「世界にとって……か?」
戒められようとも、威厳にもその強さに由縁する美しさには一点の曇りもない。言わんとしていることがアキラに分からないわけもなく、逆らうことが出来るはずがなく、そんな意志があるはずもなかった。
「……俺にとって、です」
絶対。
絶対の支配者によって支配される。
自由を奪われる。
意志すらも屈服してされるがままに付き従う。
美しいものに魅せられて、虜になって、見上げる。
それによる安心と、安穏と、幸福と、安定。
アキラは既に、遥か昔から――おそらく初めて出会った時から囚われている。
シキという支配者に。
「お前は本当に可愛いな」
「――っ、何を……!?」
「いいだろう。やりたいようにやってみろ、アキラ」
滅多に呼ばれることのない名前をシキの口が紡いだ途端、全身が歓喜に震えそうになる。たとえシキを物理的に戒めているのがアキラであってさえ、シキがアキラを支配しているという実感。
「ありがとう、ございます」
恍惚に溺れそうになる自分を叱咤激励して、アキラは意志を行為に変え始めた。

手をベッドに括り付けられたシキは、ただ面白そうにアキラを眺めていた。だがシキが存在していうということ自体がアキラに為すべきことを伝えている。シキの無言は時に言葉以上に雄弁。
視線を感じながら服を一枚一枚剥いでいく。床に落ちてぱさり、と乾いた音を立てた。シキの目前に晒された裸体を這う視線に体が急激に熱くなっていくのを感じる。
ベッドの上に膝を乗せて屈むとぎしり、と僅かにスプリングの軋む音がした。
「んっ、」
シキのパンツの前を寛げて、現れたシキの雄をアキラは頬張る。
「あ、ふ……」
シキは動かない。もっとも手を出してこないのは戒められているから当然。だがシキならば自由な部分を使って何かをしてきそうなものだが、動かない。
昂りを口に含んだまま視線だけで見上げると、口元に冷笑を刷いたシキが見えた。
反応が見えなくて、心配になる。今はシキが少しでも快く感じられるようにしているはずなのに、本当に感じてくれているのだろうか。
収まりきらない部分には手を這わせる。息苦しさは全く気にならなかった。舌先で先端を突付く。
「あ……ん、むっ……っ」
途端、シキの雄は大きく、熱を持った。少なくとも体は感じてくれているのだという安心。口内に広がる苦さがその証。
では心は?
気持ちは?
見上げれば、冷笑があるだけ。
充分に昂ったシキ自身から口を離すと、唾液と精液の混ざったものが糸を引いた。口から漏れたそれを指で拭って舐めとる。
「美味いか?」
「勿論です」
シキの全てがいつでも俺の傍にあれば良いのに。それなのに、シキの心は時に俺以外のものを見つめる。
アキラの唾液を纏って艶やかに屹立したシキ自身を眺めながら思う。
今は、シキが見ている。俺を見ている。
紅が全てを侵し、犯していく。
「う、あっ……」
一切触りもしなかったアキラ自身は既に熱を帯び始めていた。
「準備を、します」
シキの方を向いて己の指を口に含む。羞恥にか、顔が朱に染まっていくのを自分でも感じる。
羞恥?
否、シキに見られていること。それが全て。
目を細めてアキラを見ているシキがそこにいる。
3本の指を口内でバラバラに動かし、一本一本に舌を絡めて唾液を纏わせていく。ぴちゃりぴちゃりと濡れた音が響く。その音に時折アキラの苦しげな、しかし甘さを帯びた声が混ざる。飲み込みきれない唾液が口の端から零れ落ちる。充分に潤った所で指を抜いた。
膝立ちになって、指をそのまま後孔に押し込んだ。自らの内側を潤す。
「っ……」
何度経験しようとも消えてなくなることのない圧迫感。
シキを待たせるわけにはいかない。
すぐに3本に増やした指で、内側を抉るように押し広げ、掻き混ぜる。
「……っ、ん……」
くちゃり、と漏れ聞こえる水音がアキラを煽った。
自分の指が内壁を押し分けて入っていく感覚に思わず目を閉じれば、その存在がより鮮明になる。
そしてシキの瞳が。
紅が。
「あ……ンっ」
血に勝る紅が興奮を引き起こす。
シキを受け入れるのに充分でなくとも、シキに負担が掛からなければ良い。
「ふ……っ」
指を自らの後孔から抜くと、すっと消えた圧迫感に知らずの内に安堵の吐息が漏れた。
「総帥。失礼します」
既に上がってしまった息が情けない。ベッドに膝を付いて、手を付いて、シキに近付く。
間近に迫ったシキの瞳。
体の自由を奪われていてなお、嗜虐的な笑みがアキラを昂らせる。
シキに近付いて、シキを跨ぐようにして座る。
シキの雄にそっと手を添えるとゆっくり腰をおとす。未だ誘うようにひくひくと動いている内側にシキを導く。
入り口に触れた先端の熱さに腰が震えた。
「く、ぅっ…ん」
ず、ずと入り込んでくる熱。大きさ。全てを感じる。
「ん、あ……っ」
指などとは比べ物にならない圧倒的な質量を己の中に収めていく。あまりの熱さに逃げ出しそうになる自分を励まして、シキの腹に手をつくと一息に腰をおとした。
「あぁっ!」
声を抑えることが出来ない。
一つ大きな息を吐いて、アキラはゆっくりと動き始めた。
「は……あっ……」
シキに押し広げられるリアルな感触。
「あ、あ……んっ、あぁっ!」
先端が最奥を突いて、あられもなく、甘さを帯びた声が溢れ出た。自分の嬌声に驚いてアキラは羞恥に俯いた。
「アキラ」
今まで口を閉じていたシキが己の名前を呼ぶ声に、アキラの体はびくんと震えた。
「そう、す、いっ……」
「お前は本当に可愛いな」
言うや否や、突然シキが下から突き上げる。
「――っ」
瞬間あまりの衝撃に息を詰めた。
「声を出せ。抑えるな」
耳元で囁かれれば甘美な媚薬に体は溶けていく。
今にも挫けてしまいそうな体を奮い立たせて体を上下に動かす。
「……は……んっ、ぁ……」
シキの腹についた手が支えとしての役割を果たさなくなりつつある。アキラは体勢を保とうと必死だった。
「外せ」
「えっ……」
「これを外せ」
手錠のことを言っているのだ。
「ですが……」
「外せ。主の命に逆らうか」
シキの迫力に息を呑む。繋がったまま、アキラが渋々シキの手錠に手を掛けると、無機質な金属音が響いて手錠は床に落ちた。
「ふん」
満足そうに笑うと上に乗っていたアキラを押し倒した。
「ひあっ……」
繋がったままのシキの雄が角度を変えてアキラを貫く。
「おやめ、下さいっ、総帥っ……」
「何故だ」
「お願いですから、お休み下さ……っあ、あ……っ」
シキの指がアキラの胸の突起を弄り――臍に穿たれたピアスに触れた。
「余計な世話だ」
アキラの首にねとりと舌を這わせる。そしてそのまま耳元で囁く。
「俺はいつ、貴様が敬語を使うことを許した?」
「あ……?」
「呼べ」
ピアスを弄ばれると、ぞくり、と背中を快感が走った。
「貴様の主は誰だ」
「そうすい……?」
言っている意味が分からない。
「貴様の、主の名すら忘れたか」

それは大切な名。
だが同時にシキの隣に立ち始めてから呼ぶことを自分に戒めてきた名。

「シ、キ……っ」
久しぶりに呼んだその名が懐かしかった。
そうだ。
シキ。
それが。
俺を支配する支配者の名。
俺を拘束する絶対者の名。
「シキ――!」

その名が、俺を縛る鎖。



「ふっ……ん、む……あ……」
シキに唇を塞がれて、器用な舌がアキラの口内を蹂躙した。シキの舌がアキラの舌に絡みつき、吸われる。歯を立てられるとアキラは体を震わせた。息苦しさで頭が真っ白になる頃、漸く解放されて、唇の端から二人分の唾液が糸を引いた。
「っ、はぁ……」
生理的に涙で潤んだ目でシキをぼんやりと眺めていると、アキラが息を落ち着ける暇すらなく再び激しく突き上げられる。
「ん、んっ……あぁっ」
中で内壁を抉るように犯す先端がとある一点を掠めて、アキラは声高い嬌声をあげた。
「お前は本当に綺麗になった。だが愚かだな」
「な、んで……?」
「愚問だ」
アキラの耳朶に舌が触れるほどの近さで、言う。
「お前はただ在れば良い」
シキの存在そのものがアキラを圧倒していく。
「この命は誰のものだ?」
突然、シキの歯がアキラの首に食い込んだ。文字通り噛み付かれているのであり、まさにアキラの命はシキの手の中。
「勿論――お前のものではない」
「シ、キ……」
「忘れたか?」
長い指が、ピアスを撫でるようにアキラの腹の辺りを蠢く。
「っ……」
「そのための、証だろう?」
「あ……」
「何も考えるな。お前は俺に従っていれば良い」
その甘美な言葉に従うと決めたのは少し前のこと。
それに本当に従ってしまうのがシキの意志なのかどうかが分からなくて「シキのために」行動しようと思った。
思い上がりも甚だしい。
シキに全てを捧げる。
それは事実だが、真実ではない。
捧げたのではない。
シキに全てを委ねた。
それこそが真実。結局の所アキラには捧げるものなど心以外――あるいは心すらも――なかったのだ。
全てはシキのもの。
アキラはアキラでありながら髪の一本、血の一滴までシキの所有物。
そのあまりに幸福な真実に溺れてしまうことが怖くて、現実でないのではないかと怯えて。
埋められた熱はシキが与えてくれるもの。間違いなくシキがアキラを見ているという証。
がむしゃらに貫かれて、身体も、意識も、意志も、精神も、全てを引き裂くように。
「ん、あっ……あ、あ――っ!」
「……っ」
頭の中が白くなって、欲望が弾けた。体の最奥にも熱が注ぎ込まれるのを感じた。
それでもやはり。
シキのことが意識から離れることはなく。
シキは果たして満足しているのかとか。
どう考えても休まったわけがないとか。
そう思って。
どのみち答えは得られないのだろうと。
諦めてそのまま意識を閉ざしてしまおうとして。
やや低めの体温を持った手が、アキラの前髪を払って、その額に。
柔らかい唇がほんの僅かに触れて。
そのまま下に。
唇と唇が触れ合った時間は刹那。
「え……?」
「お前は俺のものだ。忘れるな。刻み込め」
囁かれて、シキに染まった思考は深い眠りに落ちていった。



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