道標の先


「……いい加減道を覚えたらどうだ」
「あはは」
リークスの咎める声を気にする様子も悪怯れる様子もなく、赤髪の雄猫、シュイはからりと笑った。
「だってこの森って複雑だし、だから迷った時には一度ここに来ることにしたんだ。ここだったら君が道しるべを作ってくれたから」
色が変わっている草を辿ればここ、すなわちリークスの砦に辿り着く。それは結界にもなっているから非常に安全な道である。迷った時に砦を目印にする、というのはまぁ正しい判断かもしれない。
とはいうものの、
「全く……」
リークスは仕方なくシュイを砦の中に招き入れた。
机の上はたった今までリークスが読んでいた本が開かれたままで、ペンの類も散乱している。自分がリークスの研究の邪魔をしたことくらい見て取れるだろうに、シュイはそれらを一瞥しただけで謝りもせずに勝手に椅子を引っ張り出して座った。壁に楽器を立て掛ける。ゆるりと伸びた尾が緩やかに揺れた。
がっくりと肩を落としているリークスの立ち姿を見て僅かに目を見開くと、にこにこと笑いながら、シュイは手をひらひらさせてリークスを呼んだ。
「ほら、またそのままじゃないか」
「ん? ……あぁ」
しまった。
シュイが来る前に適当にでも括っておけば良かった。
後悔先に立たず。
リークスの引き摺る程に長い後ろ髪は、床に向かってぞろりと垂れ下がるばかりで結ばれていない。
昨日のことだ、シュイがリークスの髪の長さに見かねて細く長い三つ編みを編みあげたのは。
「やっぱり自分でなんかやらないだろ、君は」
「……余計な世話だ」
じろりと睨み付けても動じないシュイに、結局リークスは負けた。
「ほら」
再び呼ばれて仕方なく渋々近づくと、シュイはブラシを取り出してリークスの髪を梳き始める。
「――っ」
「あ、ごめん」
髪が絡まっていた部分にブラシが引っ掛かって容赦なく引っ張られる。リークスが顔をしかめるも、シュイは手を休めない。
「別に、読んでてもかまわないよ」
「……」
意図的か天然か。
おそらく後者だろう。
リークスは深く溜め息を吐いた。背後でもぞもぞと髪をいじられて、時には頭皮が引きつるような状態では、安心して本を読めるわけがない。
こいつの場合、これで素なのだから文句を言っても無駄か。
どうしようもなくてぼんやりしていると、髪を引っ張られるのが止んだ。梳かし終わったらしい。
次にシュイは髪の束を三つの房に分けて編み始める。
「折角綺麗な髪なのに、勿体ない」
非常に生き生きと、嬉しそうに髪を編んでいく。梳かしている時ほどの予期せぬ衝撃が訪れることはないから、リークスは膝の上で本を開いた。シュイは編みながら妻のこと、子供のこと、その他他愛ないことを細々と話す。
聞くつもりなどなかったのに、リークスの意識は本から逸れてシュイの声に移ってしまう。そのたびに慌てて本に目を通すフリをした。
「これでおしまい」
シュイは長々と編まれた髪の端を紐で縛ってから手を離した。
「これで少しは邪魔にならないだろう?」
シュイは至って満足気だ。椅子から立ち上がって部屋の隅に立て掛けておいた楽器を手に取る。爪で弾くとぽろんと音を立てた。
「帰らないのか」
「一曲だけ弾いたら、ね」
音を合わせているのだろう、数回掻き鳴らしてから、シュイの指が流暢な旋律を奏で始める。
本当に、音楽以外のことには疎い奴だ。他の賛牙もこうなのだろうか。
まさか。
こんなのが何匹もいたらとっくに世界は滅びている。
とりとめのない考えがリークスの頭を満たす。結われた髪の端を手にとって眺めてみれば、不恰好な三つ編み。緩かったりきつかったり、そもそも房の太さが違っていたり。
……昨日よりは幾分マシか。こいつが帰ったら結び直そう。
心地よい音に身を委ね、リークスはつらつらと考える。
きっとまた、明日も道に迷って此処に来るのだから結わせれば良い。シュイが編んだものを解くなんて、どうせ出来ないのだから。


今日も明日も、また次の日も、その先も――。



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