遊び禁止


「ねぇ、いつ帰ってくるの……?」
シキはアキラの問いには答えず、寝室の扉を外へと押し開ける。
「さっき帰ってきたばっかりなのに……」
腕をシキに絡ませる。しかしシキはすぐに振りほどいて廊下へ足を踏み出した。
「おとなしくしていろ」
それだけ言い残して歩み去る。角を曲がって、シキの姿はすぐに見えなくなった。アキラはシキに振りほどかれて手持ち無沙汰になった腕を行き場もなく垂らしたまま、見送るでもなく立っていた。

つまらない。

シキは城にいることが少ない。遠征なのか視察なのか、なんのためなのかをアキラは知らない。重要なのはシキがいるかいないか、それだけ。
ようやく見つけた遊びはシキを城に比較的長く滞在させた。出かけても早く帰ってきた。アキラの虜になった男の命を銀の一閃が鮮やかに散らした。アキラが壊れてしまいそうな程に乱暴に抱いた。
だがそれも最初だけで長くは続かなかった。諦めたのか慣れたのか、シキのスケジュールは以前のように戻っていった。
アキラが見つけた遊びは有能で、くだらない性交も暇潰しにはなる。シキはアキラを抱いた者を斬る。アキラの目の前で舞い散る血飛沫もシキの刀もアキラを高揚させる。
それでも足りないのだ。

シキが、いない。

一番大切な部分が埋まらなくては満足できない。
男を弄ぶアキラの遊戯は、すでに目的の大半を失っていた。


「……つまんない」
シキが門を出ていくのが窓から見えた。一人では広すぎるベッドに身を投げ出す。スプリングはろくに音も立てずに弾み、柔らかな寝具がアキラの体を受け止めた。
「はぁ……」
大きく溜め息を吐くと、部屋の端に控えている男が息を呑む音が聞こえた。シャツを一枚羽織っているだけの、露出したアキラの肌に触れるシーツの温度は冷ややかで、シキの名残は微塵も感じることができない。
枕に頭を沈める。窓で切り取られた空は曇天。気温は低そうだ。雲が低く垂れ込めている。別に、見るべきものもない。枕に頭を預けたまま視線だけ動かす。部屋の隅で狼狽している世話係の男が見えた。
――こいつで遊ぼうか。
そう思って、体を少しだけ起こす。シキがいない今、そんな些細な動作も億劫だ。
「ねぇ」
声を掛けた時、窓の方から小さな音がした。窓を見ると水滴が一粒付いている。もう一粒。また一粒。次々とガラスにぶつかった水滴は、かすかな跡を残して流れ落ちる。
「雨……?」
見ている間に激しくなった雨が窓を打つ。
シキは今頃濡れているのだろうか。雨に濡れたシキの黒髪は艶やかに違いない。どんなに冷たい雨にもシキの赤い眼光が衰えることはないのだろう。
「あ、アキラ様……? ご用事がおありでしょうか……?」
「やっぱりいい」
シキの姿を思い描けば、目の前にいる男はかすんでしまう。全くの役立たずだ。想像した、雨に打たれるシキの姿にアキラの気持ちは昂ぶった。
シキが風邪をひくことなどありえないだろうが、少しだけ心配になる。
風邪。
そうだ。
「花が、欲しい」
アキラがぽつりと口に出した言葉に、男が慌てて身を乗り出すようにする。
「ここに飾られるのですか? すぐにお持ちします」
「いらない」
男は訳が分からないという風に立ち尽くした。
「取りに行く」
ベッドからゆっくりと降りて床に足を下ろす。もともとシャツを一枚着ているだけなのだから調える必要もない。裸足のまま廊下に出る。男がついてくるがどうでもいい。アキラはぺたりぺたりと廊下を歩いた。

枯れ木も山の賑わい。そんな言葉がしっくりくる屋外庭園に大した花はない。芝の生えていない土壌を激しい雨が抉り、辺りはぬかるんでいる。雑草ばかりが所々に集まって生えている。
この城に花は似合わない。庭だって無価値に等しい。かろうじて死体廃棄所としての機能を持っているだけだ。
「アキラ様、風邪を召されます。中にお戻りください。花でしたら私がすぐに用意させていただきますので……」
「やだ」
ぷいと顔を背けて歩を進める。雨はアキラを肌まで濡らし、白いシャツには肌色が透ける。庭の奥まで入り込むと、最近掘り返されたのだろう、草が全く生えていない場所があった。先日の遊び相手だろうか。
くすくすと笑ってアキラは腰を落とした。掘り返された場所の淵、小さな白い花が一輪だけ咲いている。目立つものでもなく、勝手に生えてきたのだろう。雨を帯びた長めの髪が頬に貼りついて邪魔だ。濡れてまとわりつくシャツも鬱陶しい。アキラは手を伸ばして花を手折る。葉に付いていた雫が落ちた。
「綺麗だね」
摘んで顔の前に持ってきて眺める。
「死体が埋まってるからかなぁ? 赤くはないけどね」
くすくす笑う。
男がもう一人駆けてきた。上着を持っている。
「これをお召しになってください」
「いらない」
「ですが……」
「帰る」
いい加減寒かった。冷たい雨は全身を打って体温を蝕み、アキラの体は骨まで冷えきっている。花を一輪だけ握って城の中へ戻っていった。


一日が過ぎ、二日が過ぎた。雨は降り止まない。寝室の花瓶に飾ってある貧相な花は三輪に増えた。
今日もまた、アキラは雨の降りしきる庭に踏み出した。ふらふらと夢見るような足取りで歩き回る。途中、立ち枯れた木があった。
「っ……いったぁ……」
偶然そこでよろめいて、アキラの頬を尖った小枝が引っ掻いた。小さく皮が切れて血が滲み出る。
「アキラ様、お戻りを」
ついてきた男が有無を言わせぬ口調で言う。強引にでも連れ帰ろうという勢いだ。
「やだ」
「ですが……」
「死んじゃうよ?」
アキラは指で自分の頬を拭う。指は頬を流れる雨と血を纏った。人差し指を男の方へ差し出す。アキラの血液は男にとって致死性の強い毒。男は青ざめてあとずさった。
「まだ帰ってこないのかなぁ?」
天を仰げば雨が顔を打つ。
突然、強い眩暈。
「あ……」
アキラは弱々しい声を出して、そのまま倒れた。
「アキラ様!?」
兵達が駆け寄る。抱き上げてみると全身が熱い。いつもは白い顔が真っ赤だ。息は荒く、胸は激しく上下に動いている。
「医者を呼べ! それから伝令だ。シキ様にお知らせしろ!」
城内が慌ただしく準備をする中、苦しそうであるにもかかわらず、アキラの表情は満足気だった。


「っ、ん……」
熱い。だるい。目を開ける気も起きない。
高熱はアキラの体力を容赦なく削る。喘ぐように口を開けて酸素を補給する。
風でも吹いているのだろうか、髪が首や額をくすぐる。雨に濡れていた髪は既に乾いていた。
前髪が額をくすぐった直後、冷たいものが額にあてがわれてアキラは身を強ばらせた。思わず目を開ける。アキラは天井を見て自分が寝室のベッドにいるのだと知った。
「馬鹿が」
低い声がアキラを詰る。額から離れていったものの正体は白い手。
声の源を探ってアキラはにっこりと笑んだ。
「シキぃ、おかえり。早かったね。二週間位は帰ってこないって聞いてたけど」
「何のつもりだ」
「何って?」
アキラは重い体を起こしてシキへと腕を伸ばした。シキを引き寄せようとする。しかしシキはアキラの腕を振り払った。バランスを崩したアキラはベッドに倒れこんだ。
「何のつもりだ。雨の中歩き回ったのだろう?」
「あ、そうだ。これ、シキにあげる」
サイドテーブルの花瓶から花を抜き取ってシキに差し出す。シキは受け取って眺めた後、ベッドへと投げ捨てた。
「こんなもののために風邪をひいたのか? 言え。目的は何だ」
「別にぃ。風邪なんか大したことない、し……っ」
最後の方の言葉は激しい咳に遮られた。絶え間なく続く咳にアキラは俯いて肩を震わせた。
「シキ、が……早く、戻ってきてくれたから、それで、いい」
咳の合間をぬって言葉を紡ぐ。シキは冷めた目でそんな様子を見ていた。
「まったく……」
吐き捨ててベッドに足を組んで座る。
「おとなしくしていろと言ったはずだが」
「してたよ……だから抱いてよ」
「話にならん」
「つまんない。折角シキが帰ってきたのに」
「病人は寝ていろ」
アキラはぷぅと頬を膨らませて不満を顕にした。シキはつまらなそうにシーツに落ちた花を摘み上げる。
「綺麗でしょ? 死体の傍に生えてたんだ」
擦れた声で言う。
「シキを栄養にしたら、もっと綺麗に咲くのかなぁ?」
横たわったまま、再びシキへと腕を伸ばす。届かなかったが、今度はシキが上体を倒してアキラに近づいた。
「お前が花の餌にならないように気を付けるんだな。何だ、この傷は。誰の許可を得た?」
アキラの顎を掴むと頬の切り傷を眺めた。そのままおもむろに顔を近付けると傷に舌を這わせる。
「あっ……」
ねとりと執拗に舐め上げる舌の湿ってざらざらした感触にアキラは声を漏らした。
「……ん」
シキは乾いたアキラの唇を少しだけ舐めて、しかしそれ以上のことはしなかった。
「ねぇ、抱いて?」
発熱のせいだけではなく、昂ぶっていくアキラはうっとりとシキを見つめた。赤い瞳の虜になる。理性を捨て、現実を唾棄するアキラの目にはシキしか映っていない。
「……いいだろう」
シキは熱っぽいアキラの視線を受けて短く言うと、アキラの隣に寝転がった。肘をついて持ち上げた頭を支える。
「シキ?」
隣にあるシキの顔をきょとんと眺める。
「寝ろ」
シキは腕を伸ばすと文字通りアキラを抱きしめた。
「熱いな」
鼻で笑ってアキラの耳元で囁く。
「……こんなのじゃなくて、してよ」
「不満なら出かけるが」
「不満」
アキラは言いながら、それでもシキにしがみ付いた。シキの体温がいつも以上に低く感じられる。それが気持ち良かった。
「病人はおとなしく寝ていろ」
「退屈」
「自業自得だ」
「……もう風邪なんかひかない」
アキラはシキの胸に顔を押し付けた。けほっ、と小さく咳き込む。
「当然だ。そう何度も城に呼び戻されては仕事が進まん」
シキは時折アキラの髪を梳いた。その時に頬や額、首に触れるシキの手はひんやりとしている。
「おとなしいな」
「疲れたから寝る」
「新しい“遊び”は控えることだな」
本当にあっという間に寝てしまったのか、アキラの返答はなかった。しばらくして寝息が聞こえてきた。しばしば咳が混じるものの、基本的には健やかな寝息だ。シキの胸に顔を埋めるようにして寝ている。
「死なれたら面倒だからな」
触れ合う部分から伝わる身体の熱さはそのまま熱の高さだ。まだかなり高いのだろう。穏やかに眠るアキラの額に、あやすように唇をそっと落とした。



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