絆の在り方
「―――ッ」
臍にあるピアスを弄られて、貫かれて、いつものように欲望を吐き出した。
アキラは乱れたシーツの上で荒い息を吐く。アキラの息が整う前に、シキは立ち上がった。
服を軽く整えながら扉へと向かう。
「……出かけてくる」
その一言で外へと出て行く。ヴィスキオの王として、統治をし始めたシキの行く先をアキラは知らない。
それで良いのだ。
服従することの楽さを覚え、その甘美さを知った今、アキラにとってはシキがいれば良い。
己の腿の内側を残滓が流れ落ちた。
とろり、と伝うそれはシキのものだ。
つぅ、と指先で救って口に運ぶ。
己の物が混ざっているのかもしれない。
しかしそれでも、青臭い苦さは甘さへと取って代わる。
シキを感じる。
名残を惜しむことすらなく、シキは出かけていく。
同時に、シキを感じたくなる。
いつものことだ。
そしてふと、思い出す。シキに与えられる快感を。
口に広がるシキの香りのせいか、無性にシキに会いたかった。そして――抱いて欲しい。
アキラはふらりと立ち上がると、そこにあった白いシャツを一枚羽織った。別に羽織る必要もないのだが、僅かに肌寒さを感じる。火照っていた体が冷めてきたのだろう。
何か食べ物を補給したい。シキは何時帰ってくるのか分からない。
すぐそこの、扉の外に立っているであろう誰かに呼びかければ、きっと何かを持ってきてくれるだろう。
しかし部屋の外へ出たかった。
今となってはアキラが後始末をする必要もない。誰かが勝手に片付ける。
この部屋には留まりたくなかった。シキを感じさせるこの部屋には。
白いシャツを一枚羽織っただけの姿で部屋を出た。
向こうから歩いてくる男がいた。――シキに近い年齢だ。もちろん、その容姿や雰囲気には一抹たりともシキと似通った所はないのだが。
男は、自分の方に向かってくるアキラを視界に捕らえた。途端、びくりと震えたかと思うとアキラから視線を外そうとした。
その時、アキラの足を残滓が伝った。
男がごくりと息を飲む。
アキラから視線を外すことが出来ないようだった。
突然思い立つ。
この男に抱かれたら、シキはどんな顔をするのだろうか。
周囲の者たちが、自分をどういう目で見ているのかくらいアキラにも分かっていた。
アキラが誘ったとして、誘われた相手が拒みきれるわけがない。
アキラは男に向かって艶然と笑んだ。
思わず立ち止まった男へとゆっくり歩み寄る。
「ねぇ」
寄り添うようにして、男を見上げる。
男の首に手を回そうとすると拒むのが分かった。背伸びするようにして耳元に顔を近付ける。
「抱いて?」
囁くように言うと、男の抵抗はそこまでだった。
男はアキラを半ば強引に押すようにして、手近の部屋へと入った。そこはシキとアキラの部屋の隣であり、見張りの待機する部屋だった。
そこに人影は見当たらなかった。当たり前だ。この男自身が見張りなのだから。
アキラを壁に押し付けると、耐え切れないとばかりにアキラを貪った。
男の手がそっとアキラの胸に触れた。
「あっ……」
シキに慣らされているアキラの体は触れられるだけでも快感を見出した。その艶やかさに男は思わず息を呑んだ。
アキラの体に飲み込まれるように男は行為に没頭する。
アキラのそれが頭を持ち上げ始めると、すぐに男は自分のそれに己の先走りを塗りつけてアキラの秘所に潜り込もうとした。
しかし、そこは解す必要など全くなかった。
先ほどまでのシキとの行為のために一切のすでに柔らかく、滑らかだった。
「……っ」
男はアキラの中の熱さに僅かに眉を顰めた。全てを誘い込もうとするかのように蠢くそこは果てしなく魅力的だった。
無我夢中で腰を動かす。貫く。
愛などなく、ただがむしゃらに獣のごとき本能でもって、アキラを貫く。
「……くっ……」
高級娼婦など足元にも及ばないようなアキラ。男は呻いてアキラの中に欲望を吐き出した。その瞬間の表情には、悦びとともに――後悔が混じっていた。
男の表情を眺めながら、同時にアキラも男に下肢を弄られて果てた。
「っ、はぁ……っ」
アキラの息は再び乱れていた。
しかし男との行為は「行為」でしかなかった。
自分本位でひたすら欲望を満たすために動く男。
やはりシキとは全然違った。比べるまでもない。
シキでなければ――満足できないのだ。
次の日も、次の日も、またその翌日も男との行為は繰り返された。それはシキのいない間を見計らっての行為だった。
秘め事を楽しむように、アキラは楽しんだ。それは行為としてではなく、ゲームとしての楽しみだった。
男の顔からは、達する瞬間でさえも後悔の念が消えることがない。それでも毎日のようにアキラを抱くのだ。
男は完全にアキラに溺れていた。
その姿を、シキに見られても別に構わないと、アキラはどこかで思っていたのだ。
その日もまた、アキラは男と体を重ねていた。
男が絶頂に達してアキラの中から己の欲望をずるりと引き抜いたときだった。
足音がした。
軽やかで、しかし重く、一定のリズムを刻んで近付いてくる、耳慣れた足音。
「……帰ってきた」
アキラは誰にともなく言った。
しかしその言葉は男にとっては、残酷に、冷酷に、空虚に響いたようで。
「ひっ」
息を詰まらせると慌てて服を整え始めた。
男のそんな様子をアキラはただ笑んで見守っていた。足音はすぐそこまで来ているのだ。
部屋の扉が開いた。
全身に黒を纏い、日本刀を手にしたその男。
「……シキ。おかえり」
アキラはいつものように笑みをシキに向けた。立ち上がるとアキラの足を残滓が伝った。
「……何をしていた」
寸分の揺るぎすらなく、それはいつも通りのシキの声音だった。しかしわざわざ訊ねる必要がないほどの状況だ。
シキは無言で、恐怖に引きつる男の胸倉を掴むと廊下に捨てる。
「待っていろ」
シキはアキラにそれだけ言い残すと、男を連れてどこかへと去っていった。
いつもより若干、乱暴な音で扉が開けられた。
そこに居たのはいつも通りの――否、普段以上の凶暴性を瞳に秘めたシキだった。
アキラがこの部屋に居るのは当たり前だ。いつでも、顔を合わせる度と言っても良いほどにアキラとシキはここで体を重ねる。
傍から見れば、それは倒錯的な行為なのかもしれない。それでもそれがアキラとシキにとっての通常だ。
違うのは、空気。
少しピリピリとした雰囲気。
普段から、決して穏やかであるわけでも、和やかであるわけでもない。
しかしその緊張感はアキラとシキという2人の間で生まれるものだった。
今日は違う。第三者が介在している。名前すら知らない、見張りだった男。
見張り「だった」。
過去形で表現することは、おそらく正しいのだろうとアキラは思った。
シキが纏っているのは紛れもない血の匂い。
シキから血の匂いがすることは決して珍しくはないが、今日の匂いは違った。
憎悪でも、嫌悪でも、怨恨でもなく、後悔。
シキが自らあの男を斬ったのだ。シキの荒々しさがそれを証明している。
いつもと違う意味を持っているであろう、その血の匂いは何者にも代えがたい甘美さでアキラを誘った。
アキラからシキに近付くまでもなく、シキはアキラの横たわるベッドへと近付いてきた。
ただ見下ろす。
それは嘲りだった。誰にでも簡単に体を許すアキラに対してのものであり、あるいはシキ自身に向けられた嘲笑だった。
勢いよくアキラを押し倒す。
ぎしり、とベッドの軋む音がした。アキラの体を無言でまさぐった。
シャツ一枚しか羽織っていないアキラの体は、ほぼ全てをシキに対して見せていた。アキラもそれを知りながら隠すことすらしない。シキ以外の男に抱かれた痕跡も、穢れも。
シキの手の動きが止まった。
指先に無機物が触れていた。
視線を下げてみると、案の定、光に鈍く輝くものがあった。
――所有印。
それは目に見える印。少なくともシキにとっては。
湿った感触がシキの腹の辺りを這った。
シキがピアスの周囲を舐めていた。いつか、アキラに印を与えたときのように。
突然、シキの視線が上に向いた。
そして。
「―――っ」
その手はアキラの細い首を戒めた。アキラに呼吸の自由を与えなかった。アキラの眉は苦しげに顰められ、口から息が漏れた。恍惚により。
シキに与えられる刺激は、些細なものであっても見張りの男のものとは全然違った。当たり前だ。
そこに居て、アキラに触れているのはあれ程に切望したシキなのだから。
待ち侘びていたシキによる接触。代わりの者がアキラに与えることは決して出来ない甘さ。
アキラは乱暴に扱われることや、痛みによって満ち足りた気分になることを最早厭わなかった。飴のごときその甘さに、ただただ身を浸し、溺れた。
その恍惚の中で、この部屋に入ってきてから初めての、シキの声を聞いた。
「飽きたか」
思いがけない、言葉だった。
シキがどんな顔をするのか。いつもと違うシキを見たかっただけなのに。
自嘲だった。
シキがそんな表情をする所など見たくはなかった。何もかもを乗り越え、最強のはずの男の自嘲だった。
あきた……?
飽きた。
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「なっ……」
どんなに脳の奥底まで探ったってそんな言葉が出てくるわけがない。なのに否定する権利さえ与えられなかった。
言葉を紡ごうとしたアキラの口は突然シキの指でこじ開けられた。
指が捻じ込まれて、アキラの口内を隅々まで蹂躙する。
シキと話したくて、離れようとすると無理矢理舌を指でつまんで引き摺り出した。
動揺と、焦燥により息が上手く出来ない。飲み込みきれない唾液が喉を伝う。
飽きた、わけがない。
むしろ全く反対だ。
シキの紅い瞳が間近にある。瞳をいくら近くから覗き込んでも、一切の感情を読み取ることが出来なかった。
ただそこに、己の姿が映る。
こんな状況でもシキに与えられるどんな僅かな刺激にも反応する体。貪欲に快楽を求める体。
そんな自分が綺麗だとは思わない。思うわけがない。
ただ悦びを貪る愛玩人形――否、それよりも遥かに悪い。
シキに、自嘲させた。
シキに、そんな表情をさせた。
そんな顔なんて、見たくなかったのに。
どうしても伝えたくてシキの胸を押して離れようとしても、不可能だった。ただでさえ歴然としていた力の差は、今のアキラにとっては何があっても埋められないほどになっていた。
だからといって諦めるわけにはいかず。
シキの指を思い切り噛んだ。
ぴり、と電気が走るような僅かな衝撃。
予想外の反撃に思わずアキラから遠ざかったシキの指は僅かに皮膚が破れていた。
「違うっ」
開口一番、そう叫ぶ。
「ちがうちがうちがうっ」
狂ったように全力で否定する。
最近、嬌声以外でこんなに大きな声を出したことがあっただろうか。
がむしゃらに同じ言葉を繰り返す。そんなアキラの様子に、シキの瞳は僅かに戸惑いの色を宿していた。
「飽きるわけなんかない! そんなのじゃなくて……」
「では何だ」
「シキに、会いたいだけ」
シキが全然分からないと言うように目を眇めた。
「シキに会いたくて、シキの顔が見たくて、シキの表情が知りたくて、シキの声が聞きたかった」
ただ必死な様子のアキラを眺める。
「シキが、好き」
シキに縋りつくようにして言う。
「シキが良い。シキじゃなきゃ駄目。シキじゃなきゃ嫌」
それに、シキに見て欲しかった。
自分を。
自分だけを。
外など見ないで、アキラのことだけを見て、アキラを支配して、アキラを飼う。
それが、望み。
無理だと分かっていても望まずにはいられない。
どう表現したらいいのかわからなくて、シキの紅い瞳を見つめる。
別に、他の男と交わったことを咎められて斬られても良い。むしろシキになら斬られたいと思う。
それでも嫌いになったという誤解だけはして欲しくなかった。
笑った。
シキが笑った。いつものように、冷徹に。
「堕ちたな」
なんて甘美な言葉だろう。
シキの言葉は、消えずに突き刺さって留まった。
冷たい声はいつものシキ。
声だけで、アキラの心は昂った。
「うん。それで良い」
「嘲られて、悦ぶか」
「どこまで堕ちたって良い。シキが居れば」
「では何故他の男に抱かれる?」
心なしか、シキは楽しそうに見える。
「別に」
ただのゲームだ。先ほどシキに斬られた男の表情を思い浮かべて、くすりと笑った。
「生意気なことを言うようになったな」
「そんなことないよ?」
シキに口付けを求めて近付いた。
しかしシキはそれを許さず、アキラをベッドに押し付けた。
「可愛いことをする」
「ねぇ、シキ」
アキラの肩を強い力でベッドに押し付けているシキの手に触れる。そっと握るようにして言う。
「一緒に堕ちよう?」
「知らんな。勝手にしろ」
シキは即座に否定した。
だが結局、二人揃って堕落の道を駆け上るのだ。
昇りきった堕落の先、そこは吹き溜まりですらなく、きっと二人しかいない。
此処まで来いと道標を示して、来れる者なら割り込んでみろと隙を見せて。
しかし誰もがその深淵の前に斃れ、腐れ落ち、夢にまで見たモノに触れることすらできない。
どこよりも深く、昏く、堕ち切った場所で結ばれていて、何者をも誘い込むような、眩暈がするほどに鮮烈な闇。
それでいて何処か神聖な、触れがたい絆。
破綻しきっていて、理路整然とした絆。
愛ですらなく、それは感覚。
「シキは俺が他の人に抱かれるのは嫌?」
「さぁな」
シキの手に触れたアキラの手は瞬く間に剥がされた。
他人がアキラに触れることを嫌うのか、ただの不快感なのか、とにかくシキの愛撫は性急だった。
ただし、それを愛撫と呼んで良いものなのかどうか。
シキの服がアキラのピアスに触れた途端、それだけでアキラの体は言うことを聞かなくなり、壁に体重を預けた。
「相変わらず感じやすいな」
「誰のせいだろうね」
とぼけてくすくすと笑う。シキはそれを咎めるでもなく、嘲るでもなく、行動で示した。
アキラの胸の飾りを噛む。それは甘噛などという生易しいものではなく、痛みが走る。もう片方を指で押しつぶすように捏ね回す。
「やぁっ……」
アキラが苦痛とも快感とも取れる声を漏らすと、シキはアキラを床に引きずり倒した。
「――っ」
頭部が容赦なく床に打ち付けられて、一種の痺れのような振動が全身に広がった。一瞬意識が飛ぶ。
シキは、アキラの中に。
そして切れない絆を繋ぐ。
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