距離の行方


ニルティエ
1万フリリク「押せ押せなティエリアと鈍感ニール」です






キスなど知らない。
手を握ったこともない。




「ティエリア」
心地好い声で呼び掛けられ、肩をぽんと叩かれた。何か用事でもあるのかと仰ぎ見るが、名前を呼んだきりロックオンが次の言葉を紡ぐ気配はない。
肩に置かれた大きな手がするりと二の腕を滑り、ティエリアの指に触れた。滅多に外さない手袋をロックオンは外していて、肌が直に触れ合う。
「――っ」
絡み付いてくるロックオンの指を、ティエリアは咄嗟に払っていた。
「あ……悪いな」
ロックオンは一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、次の瞬間にはいつもの頼れる顔になっていて、ティエリアに笑いかけてきた。
「突然、手を握ろうとしたりしてごめんな。嫌だったか?」
「いや、あの……」
「ごめんな」
ロックオンはひらひらと手を振って去っていく。ティエリアは呼び止めることもできず、その背中をただ見送っていた。



そんなことがあって以来、ロックオンはティエリアに近付こうとはしない。
少し前にロックオンに「好きだ」ていう内容のことを言われ、「付き合おう」と言われた。頷いた。だから付き合っている、らしい。所謂恋人、らしいが、特にそれらしいことをしたことはない。それらしいことがどういうことなのかもよくはわからないが。

ロックオンがティエリアの近くにはこない。

それが妙に物足りない、とは思う。
「ロックオン・ストラトス」
数日経っても相変わらず近付こうとしないロックオンを呼び止めた。
「どうした、ティエリア」
声も口調も物腰も柔らかで、あの日以前と異なる部分はない。ティエリアがロックオンの手を払ってしまったあの日。どこも優しいままなのに、それなのに、体温は近付いてこない。
「……どうしたんだ?」
下から顔を覗き込まれる。目の前に迫ったエメラルドグリーンの瞳にどくんと心臓が跳ねた。
「あ……」
顔が熱い。脈はどくどくと打って変調を訴える。それが何なのかを理解する前に、体は知らず後退っていた。
ロックオンが身を起こす。その表情に浮かんでいる感情がとりあえず怒りではなさそうだということに、ティエリアは息を吐いた。
ロックオンの右腕がゆっくりと上がって、掌がティエリアに近付いてくる。ぎゅ、と目を閉じる。その手が頭に乗せられることはなかった。
いつまでも訪れない体温に、ティエリアが瞼を緩めると、ロックオンは腕を下ろしていた。
「ごめんな」
あなたに謝ってほしいわけじゃないのに。そんな顔をしてほしいわけじゃないのに。
ティエリアに背を向け、ロックオンが去っていく。
「違……っ」
ロックオンの背が遠ざかる。柔らかい茶色のくせっ毛がふわふわと揺れる。あと二、三歩。それだけの距離。その距離を詰めることを、この間は躊躇った。
「ロックオン!」
駆け寄ってベストの裾を掴む。
今日こそ捕まえた。ロックオンが驚いた表情で振り返る。
「どうした? なんか変だぞ、お前」
「僕は」
勇気が足りない。
「僕は、嫌なわけじゃ、ない」
こんな短いことを言うだけで、疲れ切る。体力を根こそぎ持っていかれるような感覚に囚われる。
「本当か?」
ロックオンの瞳がまっすぐティエリアを見る。見られている。この間ほんの一瞬だけ触れられた指先が熱に疼いた。
びくん、と体が強張る。それを感じ取ったのか、ロックオンはティエリアの傍を離れた。
「無理すんなって」
肩をぽんと叩かれる。これではこの前と同じだ。
「付き合ってくれ、なんて言って、悪かった」
違う。
ロックオンがティエリアから離れていく。



その夜。皆が寝静まった頃、ティエリアの意識ははっきりしていた。自分がいけないのだ。曖昧な態度がロックオンを困らせる。はっきり伝えなければならない。答えはとっくに決まっている。
部屋を訪ねる。勝手に扉を開け、中に入る。中は真っ暗で、廊下の光が室内に差し込む。明るさに部屋の主が目を覚まさないよう、ドアを閉めた。ハロはいない。静かだ。
ロックオンがベッドで眠っている。目が暗闇に慣れてくると、毛布が規則的に緩やかに上下しているのがわかった。微かな寝息が聞こえてくる。
ゆっくりと近付いて、ベッドのすぐ横に膝をついた。
間近に眠っているロックオンの顔がある。そろりと手を伸ばし、ロックオンの頬に指先が触れそうになった瞬間。
「っ」
ロックオンが飛び起きた。鋭い警戒心に、ティエリアは手を素早く引いた。
「誰だ……ティエリアっ」
ロックオンが目を丸くした。心底驚いたのだろう、ぽかんと口を開けている。
「お、前……どうしてここに。今何時だと思ってるんだ」
叱責という程に強い口調ではなく、単なる疑念のようだ。ロックオンは怒っていない。
「あなたに早く謝りたかった……ごめんなさい」
口を出たのは単純すぎる言葉。
「ごめん、って……」
ロックオンの目が戸惑いに揺らぐ。
「勘違いさせてすまない。僕はあなたに触れられるのが、嫌いでは、ない、と思う」
「……なんだよそれ。震えてたし、嫌なんだろ。俺が悪いんだからお前さんが無理することは……」
「違うっ」
ロックオンが自嘲気味に言うのをティエリアは遮った。
「僕は、僕は……よくわからない。だが、嫌だったわけじゃない」
ただ怖かった。
「あなたに触れられると、ここが」
ロックオンの手袋をした手を取り、胸元に導く。肩が、手が、瞼が、震える。
「煩い」
現に今も心臓がどくどくと煩い。ロックオンに聞こえてしまいそう。
「熱くて、わけがわからなくなる。それが嫌で、あなたの手を……」
膝で立っていられなくなって、ぺたりと床に座った。ロックオンはベッドに腰掛けている。
上手く言葉にすることができない。ティエリアは震える手をロックオンの頬へ伸ばす。指先がふるふると震えるのを無視して近付ける。あと少しでティエリアの指先がロックオンの頬に触れる。寸前で、手袋に包まれたロックオンの大きな手がティエリアを妨げた。
「どうして……っ」
「やめろ。無理するな。もう、わかったから」
これ以上にないくらいの甘く優しい声がティエリアに降ってくる。
「やっぱり、俺が悪かった」
「そ、んなことは……」
「お前は慣れてないんだよな、こういうことに」
ティエリアの真っ白で華奢な指にロックオンの手袋をした指が絡む。
「僕は……誰かに、人に、触れたことも、触れられたことも……」
「そうか。寂しかったな。もう大丈夫だ、ティエリア」
繋いだ腕を強く引かれ、ベッドの上に持ち上げられる。隣に座らせられた。
「俺もお前と同じだ」
手を掴まれ、緊張に強張る。ロックオンは掴んだティエリアの手を自分の胸元に引き寄せた。シャツ越しに伝わってくるのはロックオンの体温と、少し速い鼓動。
「お前といるとこうなっちまう。ティエリアが好きだから、な」
「ロック、オン……」
「ゆっくり、ゆっくり慣れていけばいい」
手袋をした指がティエリアの指に絡む。もう片方の手のひらで頬を包まれ、布越しの体温にそっとあたためられる。目を閉じた。


肌が触れ合うまであと一ミリ。







「押せ押せ」「鈍感」とは少し違うかもしれませんが…いつもとちょっと違う、初々しいニルティエを書いてみました。
リクエストありがとうございました!




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