手料理のすすめ


ニルティエ現代新婚パロ






チャイムが鳴るのを聞いて、ティエリアはぱたぱたと玄関へ走った。息を軽く整えて、鍵を開ける。
がちゃり、と扉が開いた。
「ただいま」
黒いスーツを着た肩に掛かる茶色の髪。緩くウェーブのかかった髪は柔らかい。彼はティエリアの顔を見て、にこりと笑った。
「おかえりなさい、ニール」
真正面から見たニールの笑顔が眩しい。スーツが似合いすぎていて、目のやり場に困る。足元に視線を落とし、スリッパの爪先を見つめた。
「あの……」
こんなふうにニールを出迎えられる日が来るとは思っていなかった。何を言ったらいいのかわからない。
「お風呂、入りますか?」
「後でいい。それより、良い匂いがする」
革靴を脱いでスリッパに履き替えたニールはリビングに向かった。追い越されるときに、ちゅ、とさりげなく額に唇を落とされた。くすぐったい。触れられたところが熱を持った気がして、指先で触れてみる。
ニールがリビングのドアを開けたのに気付き、駆け寄る。スリッパの音。
「あっ」
突然、歩みを止めたニールの大きな背中にぶつかった。
「おっと」
振り返ったニールに頭を撫でられる。
「慌てるなよ。時間はたくさんあるんだから」
「そう、か」
ティエリアが先にリビングに入った。後ろでドアの閉まる音がする。
椅子に掛けておいたオレンジ色のエプロンを着て、キッチンに立った。
「夕飯、何?」
「シチューです。……美味しいかどうか分かりませんが」
深い鍋をコンロに乗せ、火にかける。皿を洗おうとして、すぐ隣にあるニールの顔に驚いた。
「何を……」
「おいしそうだな」
ネクタイを緩めながら、ニールが笑った。思わず見惚れそうになって、目を逸らす。
「……向こうに行っていてください。スーツが汚れたら、洗うのが面倒だ」
「はいはい。着替えてくるな」
ニールが着替えに行っている間にシチューを温める。スプーンで掬い、味見してみる。濃すぎることはない。でもニールは濃い目の味が好きだからもう少し調節した方がいいだろうか。じゃがいもに竹串を刺してみると簡単に通る。肉は、ちゃんと柔らかいだろうか。
ぐつぐつと、茶色いシチューの表面に大きな泡が現れては消えるようになってから、火を消す。皿に取り分ける。用意する皿は二枚。二枚であることが、嬉しい。
シチューの入った皿を両手に持とうとして、リビングに戻ってきたニールに止められた。
「熱いだろ。危ないから俺が持ってく」
「それくらい平気だ」
「少しくらい俺に手伝わせろよ。な?」
ニールが持つと、皿が小さく見える。量が少なすぎるだろうか。
スプーンを二本、皿の横に置く。小皿にパンを乗せて、テーブルに運んだ。ジャージ姿になったニールが既に座っている。
ビールを注いだグラスをニールの前に置き、ティエリアも席についた。エプロンを脱いで椅子の背に掛ける。
「いただきます」
ニールがスプーンを手に取り、シチューを掬い、口に運ぶ。その一連の動作をまじまじと見てしまう。どこかに問題はないだろうか。
「……ずっと見られてると照れるだろーが」
「すみません」
気付かれたのが気恥ずかしい。
ぱく、とニールがシチューを食べた後、微笑むのを見て安堵した。不味くはなかったらしい。
「美味しい」
「そうですか」
素っ気なく答える。内心を知られたくない。料理一つにそわそわして、そんなことも出来ないのだと思われてしまうのは嫌だった。
ティエリアも自分のシチューを食べた。パンをちぎる。味がよくわからない。向かいに座っているニールが気になってしまう。
「どうした?」
ティエリアの視線に気付いたらしいニールが、手を止めてティエリアを見た。
「いえ、何でも」
「もう食べないのか?」
ティエリアの皿は既に空だ。
「僕はあまり食べる方ではない」
「それは知ってるけどな、体壊すなよ。ただでさえそんなにほっそいんだから」
ニールは言って、ビールを飲んだ。
「……そんな苦いだけの飲み物の何がいいんだ」
「ティエリアにはまだわからないか」
苦笑して肩を竦める。手招きされて、ティエリアは席を立った。ニールの隣の椅子に座る。
「何ですか」
ニールはティエリアの問いを無視し、ビールを呷った。
次の瞬間、ティエリアの唇はニールのそれで塞がれていた。
「! ん……むっ……」
口内に苦い液体が流れ込んでくる。しゅわしゅわと発砲するビールを飲み干す。
ニールが離れた。
「いきなり何を」
「悪戯」
断言されれば反論の言葉もない。
「顔、赤い」
「茶化すな」
顔が熱いのはアルコールのせいだけではないと、自分でも分かっている。
「どうだった?」
「やはり、美味しいとは思えない」
「へぇ? 俺とのキスが?」
ニールが意地悪く笑う。こういうときのニールはしつこくて、性質が悪い。
「……もう酔っているんですか」
「まさか」
二度目のキスは啄むような軽いキス。ニールのことだから執拗に深いものをしてくると思っていたティエリアは拍子抜けした。
「美味しい?」
「……悪くはない」
曖昧な答えに逃げる。
ふーん、とニールは鼻を鳴らした。
「足りなかった?」
「そ、んなわけ、ないでしょう」
心の中を見透かされたようで、ティエリアは慌てた。手を握られ、引っ張られる。
「っ」
握られた手が痛む。途端、ニールが真剣な表情になった。僅かな表情の変化に、気付かれてしまったらしい。
「何かあったのか」
じっと見つめられると、いたたまれない。
「何も」
「嘘を吐くな」
取った手がニールの顔の前に持っていかれ、手のひらを見られた。
「血、出てるな」
手のあちこちにある小さな切り傷。その中の比較的深い、左手人差し指の先の傷口が、ニールに手を握られたためか、開いてしまっていた。
「傷だらけだ」
「大したことない」
隠していたのに、見られてしまった。今日、料理をしているときに包丁で切ってしまった傷だ。
「ちゃんと消毒しろ」
「しました」
「どうせしてないだろ」
掴まれたままの指が、ニールの口元へ持っていかれる。
「やめ……っ」
長い舌がティエリアの細い指に絡む。湿った、ざらりとした感触。そのまま口に含まれ、指の股にまで舌を這わされて鳥肌が立つ。傷口を舐められると、ちり、と痛む。
目を閉じたニールの睫毛が意外に長いことに気付いた。
唾液が名残惜しげに糸をひき、漸く開放される。空気に当たって、人差し指だけがひんやりと冷たく感じられる。
「ったく、無理するなよ」
自分の手の甲で唇を拭うニールの動作が淫靡に感じられて、目を逸らした。
「折角の綺麗な肌に傷がつくのは、勿体ない」
「女でもあるまいし、肌なんて……」
「肌に女も男もないだろ。好きな人が傷付くのは嫌なんだ」
確かに、そこに性差はない。正論を言われると返す言葉はない。肩を落として俯いていると、頭の上に手が乗せられた。
「今度は一緒に作るか」
「……あなたが作るよりはマシです。あなたの料理は食べられたものじゃない」
「きっつー」
はは、と笑って、ニールはスプーンを手に取った。食事が再開する。
「……余計なところまで舐めないでください」
「ばれたか」
へらっ、とニールが笑う。先程の真剣な表情が嘘のようだ。
「別に減るもんじゃないし、いいだろ」
「困る」
「困る? ……あぁ、感じた?」
「――っ。あからさまにっ、言わないでください!」
おろおろしているティエリアを尻目に、ニールはパンをちぎった。
「もう食べ終わるから、」
耳朶をぺろりと舐められ、囁かれる。
「そうしたらベッド、だな」
「……ふざけるのも大概にしろ」
にやにやしているニールに背を向ける。長めの袖をきゅっと握った。



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