う え を み て 。


 
 もう日は落ちて、閉館間際の図書館。少し前までぽつぽつと幾人か見えていたそこは、すでに己以外の人影はない。カウンターにいるはずの司書もいない。
 机に置かれた時計の針は七時を差していた。そろそろ帰るかと思案していると、図書館の扉がわずかに音をたてて開く。

「……日吉、いる?」

 顔を上げて扉の方を見れば、見慣れた顔。

「榎本?」

 扉の陰からこちらを覗く榎本。入らないのか、と問えば、入っていいのか、と問い返される。公共の場なのだから何も気遣う必要はないのに、だ。
 まだ閉館してないから良いんじゃないか、と言うと、じゃあ、とゆったりとした動作で榎本が動く。
 その動作を見て、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花とは正に彼女を表しているようだと日吉はふと思う。

「日吉は『かさのこ』を知ってる?」

 榎本は向かいの席に着くなり、そんなことを口にした。
『かさのこ』。単純に考えれば『傘の子』だろうか。

「ああ、そう言えば」

 昼休みに廊下で女子生徒たちがそんな話をしているのが聞こえたような気がする。

「やっぱり知ってたんだ」
「知っている、と言うよりも小耳に挟んだってだけだがな。榎本は、その『かさのこ』が何なのか知っているのか?」
「うん。まあ、女子生徒を中心に広がってる噂で、私も友達から聞いた話なんだけど」

 榎本が言う『かさのこ』は、よくある都市伝説のようなものだった。
 放課後、傘を忘れたある女子生徒は雨が止むまで雨宿りをしていた。
 すると、赤い傘をさした女性が歩いてきた。
 その女性はおもむろに女子生徒に傘を渡すと、そのまま去っていったそうな。

「怪奇現象でも何でもないな」
「ここまではそうだね」
「ここまでは?」

 続きがある、と榎本が目を伏せる。

 傘を借りた女子生徒は、貸してくれた女性に傘を返そうとした。借りたものだから返す。それは当たり前のことよね。
 生徒ではなさそうだから、教師に女性のことを聞くことにした。もしかしたら自分の知らないうちに入った教師じゃないかって思ったのかしら。見たままの特徴を伝えたり、傘を見せたりしてみたそうなの。
 でも、教師の誰もそんな女性には心当たりはないって言うの。女性の教師も面識のある人ばかりだし、あまり関わらなくても姿くらいは見ているからやはり違った。
 なら、あの女性は誰なのか。
 それは謎のまま、女子生徒はその赤い傘を持っていなければいけなかった。いつ女性が取りに来るか分からなかったから。雨の日が続いていたというのもあって、仕方なくその傘を使っていた。
 数日使っていて、ふと、女子生徒はあることに気がついた。
 傘を差していると、視線を感じる。
 最初は気のせいだと思っていた。でも数日使っていて、その間ずっと視線を感じていた。
 気味が悪くて何度か後ろを振り返った。
 でも誰もいない。誰も、いない。

「私が知ってるのは、ここまで」
「中途半端な話だな」
「私もそう思う。明日続きを聞かせてくれるらしいけど……もう帰ろう」

 長い上に中途半端な話に付き合わせてごめん、と榎本が立ち上がる。次いで日吉も立ち上がる。

「日吉なら知ってるかなって思ったんだけど……」
「生憎、今日聞いたばかりだ」

 鞄を持って図書館を後にする。外はもう日が沈んで暗いが、廊下は等間隔にある電気のおかげで明るかった。
 考えてみたんだけど、と廊下を歩きながら榎本は呟く。

「何だ?」
「大体ああいう話って、すぐ身近なところに原因があると思う」
「身近なところ、か」

 ―――榎本は。

「自分の後ろとか」
「振り返っても誰もいなかったんだろう?」
「うん。でも日吉、女子生徒が持ってた傘は赤色だった」

 ―――意味深に笑って。

「それがどうかしたのか?」
「傘越しじゃ見づらいよ」
「まあ、そうだな」

 ―――歩みを止めて。

「どうやって振り返る?」
「どう、って傘ごと一緒に……ああ」
「分かった?」

 ―――自分の後ろを指差して。

「自分と一緒に動くものに、ナニカがいても、分からないよね?」


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