星の器 | ナノ


▽ 03

「これは りんご です。わたしは すき です。」
『そうです。名前様はおぼえが早いですな』

次の日から、おじいちゃんの学者が部屋に来てくれるようになった。
その学者さんは発音を丁寧にくりかえし、根気強く言葉を教えてくれた。正解したときは大げさに褒めてくれ、私が最初に覚えたのはその「褒め言葉」だった。良い先生だ。私も習った言葉を粘土に書いて何度も繰り返した。
1ヶ月もすると私の語彙は幼稚園児ぐらいになり、いくつかの単語を聞き分けられるようになった。

『王様ほどではありませんが、良い筋をしていらっしゃる』
学者さんは言葉を教えるついでに、男の子の話もしてくれた。私も彼がどんな存在なのか分かるようになった。

「おうさま、も、教えましたか?」
『はい。ですが王様は生まれた時から言葉を理解され、文字もすぐ書かれました。普通の子供が文字を習い始めるころに、王としての仕事を始められたのですよ。まさに神の子です』
「神、の子…」

 自慢しているのに、その言葉はどこか寂しげだった。
( …あんなに小さいのに、王様なんだ。)
 王の居ない時代に生まれた私には想像できない。それに「神の子」というのは、古代人が王様を強く見せるために言っているだけなのだろうか。
 あの男の子は……たしかに普通の子どもとは違う。でも本当に神様だというのなら、生身の体で同じ体温を持っているだろうか?
その時生じた疑問から生き延びるためだけではない興味が湧いてくる。
彼のことを「もっと知りたい」と思うようになった。


『…ティグリス河…堤防…建築を…』
ある日。学者さんは用事があるらしく勉強に来なかった。
暇になった私は寝室からこっそり出て、話し声の漏れ聞こえる所まで行ってみる。
『認め…。…ありがとうございます』

ドアをいくつか越えると、大勢の気配がする部屋の前に着いた。ああ、扉の向こうは私が初めて連れてこられたあの大きな広間だろうか。
隙間からのぞいて、あの男の子が一段高いところに座っているのが見えた。大勢の人がいて、役人が男の子に訴える。
『家畜泥棒を捕まえました。彼らは夜に忍び込んで窃盗を繰り返していました。この青年たちには幼い兄弟がいるようですが、どうしましょうか?』
……そばにいるのに大人達は何も言わない。役人と同じように、ただ男の子をみつめている。全部、あの男の子が判断して指示をするんだ。
対する男の子の声は堂々と響きわたり、何の迷いも感情もなかった。

『それには同情の余地がありますが、犯人が許されてしまえば法の意味がなくなります。
 彼らを死刑とし、兄弟は奴隷身分にします。』


すべての言葉を理解できたわけではなかった。だが、男の子が何の迷いもなく、死刑を宣告したのは分かった。

――ああ、男の子が私を助けたとき、どうして死体に動揺しなかったのか。理由が分かった。
男の子はいつも命令や処罰を与えているのだ。
死刑だからといって躊躇はない。当たり前だから、いちいち感情は持たないのだ。



それ以上聞かずに、私は部屋に戻った。
部屋に戻ると頬をつたう涙をぬぐった。

涙が溢れたのは怖かったからじゃない。死刑を宣告していたことへの衝撃と、そして彼の周りにいる大人たちへの怒りだった。

彼はまだ、私を抱きしめて眠るような子どもだ。
私のような弱い人間に、夢で何かに怯えて、すがりつく“子ども”だ。

それなのに、大人たちは彼を“神”として崇めることで何でも決めさせる。これだけ大勢いて、誰も責任を負わず、幼い子どもに死の決定権や責任を押し付けるなんて……間違っている。




夜になって彼は寝室へ来た。表情はいつもと変わらない。きっと今日のことも彼にとってはいつもなのだ。
言葉がわかるようになって、すぐ彼が自分を殺すつもりはないのだと分かった。
彼の話がすべて分かるわけではないが、今日あった面白かったこと。私が見たことないような場所のこと。私が退屈しないように、色々と考えて話してくれていた。

『…名前、君から来るなんて珍しい』

自分から彼に近づき、「こっちに きて」とささやいた。そして不思議そうな表情の彼を……抱きしめた。
彼が私を抱きしめ返すと、恐々だが彼の肩を優しく撫でる。
背負った重荷がすこしでも軽くなるように。
彼は驚いて私を見上げる。『…どうしたの?何かあったの?』
「い、いいえ…」
まだ彼に伝えたい言葉の知識はない。それでも私の気持ちを伝えたいと強く願った。口から出てきたのは、学者さんがいつも私に言ってくれた言葉だった。
「ぎる、は、いい子だね」


名前を呼ばれて突然ほめられた彼は――、

困惑しながらも、少しだけ、はにかんだ。


『…変だな。急に名前は僕の“お姉さん”になったつもりなの?』
彼が笑う。
『でも名前がお姉さんだったら、きっと優しいんだろうね……』


初めて私は、私自身の意志で彼を抱きしめた。

それが伝わったのか、疲れていただけなのか。
幼い王は目を閉じて私の細い腕に抱きしめられていた……。



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